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「宇田川源流 日本万歳!」 「100日後に死ぬワニ」で語られた「日常の中の死」を多くの人が考える日本国民の知的水準の高さと平和

2020.03.22 22:00

「宇田川源流 日本万歳!」 「100日後に死ぬワニ」で語られた「日常の中の死」を多くの人が考える日本国民の知的水準の高さと平和

 毎週月曜日は「日本万歳!」をみなさんにお届けしている。基本的に、毎週月曜日、俗に「マンデーブルー」といわれるように、土日の休みの後、また月曜から金曜まで働かなければならないというつらい感覚を持っているところで、何かその一週間を頑張れる内容を一つくらい持っていてもいいのではないか。その頑張れる内容をお届けするつもりである。

当然に「日本のすばらしさ」「日本人のすばらしさ」「日本人の持っている感覚や習慣のすばらしさ」「日本の歴史や伝統の奥深さ」をここに示して、その中で同じ日本人としてその内容をかみしめ、そして自分の中にも同じ日本人の血が流れ、そして日本人としての習慣や感覚を身に着けているということを自覚し、そして誇りに思ってもらおうと思うところである。

そのような意味から、この連載「日本万歳!」では「日本と日本人」において、その内容をしっかりと研究し、そしてそれを皆さんにわかりやすく伝えることを一つの基軸にし、その中で日本人として誇りに思ってよいことを書いて、皆さんが一週間日本人としての誇りを持って頑張れるようにしてゆきたいと考えているのである。


さて、今回は「日本人の死生観」である。

変な言い方ではあるが「人間というのは必ず死ぬ」ということは誰もが知っている。そして死ぬときは基本的にはわかっていない。まあ、それは人間だけではなく、生き物全般に言えることであり、なおかつ、形あるものは全て壊れるのである。しかし、その壊れる時期、死ぬときは自分では事前にすることはできないということになっているのである。

では、その「死をどのように迎えるのか」ということが非常に大きなテーマになる。このように書くと「死」を招いているように思える。「武士道とは死ぬことと見つけたり」というが、実際には、「いつかは死ぬのでどのような死に方をするか、そして、死ぬときにどのように自分が恥ずかしくなく生きてこられたか」ということが最も重要なのである。

「100日後に死ぬワニ」作者 最終話投稿日にTV出演、ラストへの思い明かす

 イラストレーターきくちゆうきさんが手掛け、ネットで話題となっている日めくり漫画「100日後に死ぬワニ」が20日、100日目を迎えた。“最終話”投稿となる同日、きくちさんが日本テレビ系「スッキリ」(月~金曜前8・00)に生出演。作品発案のきっかけや作品への思いを語った。

 「100日後に死ぬワニ」は、100日後に死ぬことを知らないワニがのほほんと暮らす日常を描いた4コマ作品。きくちさんが昨年12月12日に自身のSNSに投稿してから「100日後どうなるの?」「死ぬって教えてあげたい」「切ない」と目が話せなくなった閲覧者が続出。日を追うごとに注目が高まっていき、ツイッターフォロワー数は191万人(3月20日午後4時現在)を突破した。

 スタジオ生出演したきくちさん。MCの加藤浩次(50)から「1話から100話まで書いた上での投稿だったのですか?それとも書きながらだったのですか?」と質問を受けると「書きながらやってましたね」と返答。「形というか、プランは最初から?」と聞かれると「内容は頭に入っていて、やりたいなと思って書き出しました」と語った。

 加藤が「(4コマの一番下に)『死まであと○日』と出ている。このコンセプトはどうやって思いついたんですか」と続けると、きくちさんは「見ている人が終わりを意識してくれるようにしたかった。僕らもいずれ死んでしまうが、それを考えながら生活すると、今やるべきこととか、これは今やるべきことじゃないなとかが見えてくるのではないかなと思った」と明かした。

 コメントを聞いた加藤は「凄い。4コマでの起承転結じゃなくて、その下の『死まであと○日』という文字がオチという新しい形だなと思った」と絶賛。「なんか70日、60日になってくると、笑えない自分になってきた。それはきくちさんの狙いだったのですか」と質問。きくちさんは「そう思ってもらえたら嬉しいです。自分に置き換えてくれたら。自分があと30日だったら何をしようとか。ワニは僕らと一緒で、死ぬ日が分かっていない。それぞれの人がこの漫画を見て、その気持ちを生かしてくれたら嬉しい」と語った。

 99日目の4コマ内で「ところにり雨ですが」というセリフがあり、一部ネットでは「よ」が抜けていることに何か意味があるのではと話題になったが、きくちさんは「これは、ミスです」と明かし、スタジオの笑いを誘った。

 ついに迎えた100日目。ラストについての思いを聞かれると「終わり方はそんなに重要ではないと思っている。(作品を通じて)いろんなことを考えてもらえたらと思います」とコメントした。

2020年03月20日 18時29分 スポニチアネックス

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-602929/


 もう少し人間の「死生観」の話を続けよう。

そもそも宗教も文化もそして、人間の生きることも神話も、すべてが「死生観」で彩られているといって過言ではない。「宗教芸術」といって、イスラム教は幾何学模様しか描かない、偶像禁止なので何とも言えませんが、それ以外の場合は必ず神や神の啓示者、そして来世、中には天国や地獄など様々な場所を作っているということになる。まあ、人間の想像力というのは、行ったことがないのによく様々なものを作り出し、また長年にわたって様々なことを主張しているので、長年の英知が、様々な世界を作っている。

日本人は、戦後あまり宗教観がなくなったといわれる。実際のところは「葬式仏教」といわれるように、江戸時代に紫衣事件などがあり仏教が支配権力の中に組み込まれ、幕府の寺社奉行の配下に置かれてしまってから、あまり多くの宗教論争や宗教哲学論争がなく、その影響で儒学と国学が隆盛を迎えることになる。ある意味で、この江戸時代の考え方が現代の日本の「日本を考えること」の最大の基盤になっているのではないかという気がしてならない。

さて、そのような「宗教的、または、歴史伝統的な死生観」を持った日本人が、現代になって「死」をどのようにとらえているであろうか。

毎日何の気なしに自分が死ぬことも知らずに安穏と暮らしているワニを題材に「100日後に死ぬワニ」というツイッターの上の四コマ漫画(最終回は13コマ)が話題になった。この内容は本当に全く何もわかっていないというか、日々、我々現代人と同じ、死ぬことが全くわかっていないワニが、毎日の日常を暮らしながら「あと何日に後に死ぬ」ということの予告で終わっているという漫画である。

きくちさんは「見ている人が終わりを意識してくれるようにしたかった。僕らもいずれ死んでしまうが、それを考えながら生活すると、今やるべきこととか、これは今やるべきことじゃないなとかが見えてくるのではないかなと思った」と明かした。<上記より抜粋>

さて、読者がこのきくちさん(作者)のように、ここまで強く意識し、そして日本人の死生観を意識しているとは思えない。しかし、その事が、なんとなく心に響く人がいるのではないか。そして、様々な感想を持つのである。

実際に「意識して他人に説明できること」が重要なのではなく、「その物語から何かを感じること」が重要なのである。その感性があることが、日本人の中で話題になり、そして、その日本人の感性を持っている人に、共通の「何か」を生み出すのである。

難しくなく、それを感じることができる。その感性が最も重要なのではないか。そのような感覚を持つことができいる日本人で本当に良かったと思う。