真髄とは何か
"What is authentic yoga?"
真髄とは何か
ヨガという看板をぶら下げて
多種多様のクリエイティブなことを
やってる人達が多いことを
楽観的に観ています
逆にヨガを一括りにして
あの流派は古典的でないから本物じゃないとか
あれはただのエクササイズだとか
ただの浅はかなファッションだとか
瞑想ばかりやってる一種のカルトだとか
金儲けだとか言って
排他的になるのは
ナンセンスだと思っています。
これだけ多種多様なヨガがあるのは
ヨガがここまで立派に人気のあるカルチャーとして、のし上がってきたいう証なんでしょう。
それぞれのヨガが、音楽でいうコンテンポラリー、クラッシック、ヒップホップ、レゲエ、ヘビメタみたいな感じで
地域性、社会的要因、時代のニーズによって、独自にもしくは相互に影響を与えながら発展や進化を遂げたきた顕れなのだから。
オーム事件後の世間の冷ややかな眼差しとヨガ離れから考えたら、そこから今までヨガに関わってきた人達は皆それぞれ自分の持ち場でよく頑張ってきたよねーと称賛されるべきかもしれません。
人はauthenticという言葉(偽物や複製されたものでないオリジナル)
"本物のハタヨガ"とか"ヨガの真髄"とか、そういった類のフレーズに引っ掛かりやすいみたいだけど、意外とそういうものってその人の価値観によるものなのかな〜と思ったりします。
本物のルーツや歴史を知ることは大変興味深いけど、結局最終的には人の心はそこに惹きつけられない。
そして歴史は意外と歪められて伝えられてきたことも多く、大概は美化脚色されているか、塗り替えられているか、伝言ゲームになっているか… そんなところです。
ヨガを指導している立場、また大きなヨガのコミュニティの一員として、建設的でない無責任な発言をすることは避けたいですが
古来のヨガの研究しているマークシングルト博士のヨガボディ〜ポーズ練習の起源〜という本や、ルーツオブヨガという本を読んできて、ヨガの古来の叡智というものについてずっと考えさせられてきました。
(この本で書かれていることが全て真実かどうかも分かりませんが)
ヨガ業界は思わず見て見ぬ振りをして封印しておきたくなるような記述ばかり。
原初のアーサナで実際に説明があるのは4種類の座位だけで、現代の多くのアーサナはデンマークやイギリスの体操をもとに近代文明以降に作られたものであるとか、チベットヨガの方が古典的なハタヨガ身体観を実践に結びつけているとか。
インドの近代化とそこで生じた新しい身体観によって、再現性のあるアーサナ中心のヨガの練習法に都合良く転換されてきたことなどが綴られています。
私自身、ヨガの師は一人でなく、インド、アメリカ、アジア、日本の色々な師匠に出会いヨガの歴史や精神性について色々教えて頂きました。
どの練習法もその時の私には真実味に帯びているように感じました。
今でもどれが間違っているかとか劣っているかとかは特に問題にしたくありません。
ともかく熱心に教えてくれた先生達には感謝をしていて、どの先生に対しても人として好意があります。
要はその人を信じたいか、支持したいか(好きかどうか)なんだと思います。
何が本当かなんて全くわからないのです。
またここは物議を醸すポイントかもしれませんが、ヨガを"アレンジ"すること自体は悪いことではないと思います。
今のヨガなんて、アレンジのアレンジのそのまたアレンジみたいなもので、ヨガじゃない要素からインスピレーションを得てできてきたものばかり。
そうやってアレンジされた練習法は確かに人々に何らかの恩恵をもたらしていて、固定化されたオリジナルの練習だけが良い練習法だとは言い難いからです。
逆にアレンジの連続がヨガをこれだけ継続して支えてきたとも言えます。
ヨガは常に変化する化け物のようであり
練習は自分の中から突然生まれてくるアートのようなもの
色んな要素がくっ付いたり離れたりしながら
形を変えて自分とともに流動的に成長していくもののように感じています。
だから真髄は固定化されたものではないということ。
一人一人がユニークな創造性を表現できる社会において、そのユニークネスが相互に作用影響し合うからこそ、ヨガはそれだけ無限の可能性を秘めています。
真髄はそこにあるのかもしれません。