トニー・フランクリン #4 / ブルー・マーダー時代
フレットレス・ベースプレイヤーとして長年様々なバンドやアーティストを支えてきたトニー・フランクリン。
今年初めの彼のインタビュー要訳をお届けしてきましたが、ここからはブルー・マーダー時代の盟友、カーマイン・アピス (Dr) も合流。
ブルー・マーダー時代のお話がたっぷり語られています。
I: インタビュアー
T: トニー
C: カーマイン
カーマイン加入の経緯
17:35 ~
*インタビュアーがブルー・マーダーの話を聞き始めたところで、ちょうどカーマイン・アピスも登場し、二人のインタビューへ。
カーマイン加入の経緯について
C: コージー(・パウエル)がブルー・マーダーを辞めると耳にして、僕はイギリスに飛んだんだ、彼らに会うためにね。
ちょうどハマースミス・オデオンで、僕の弟ヴィニーがドラムを務めていたDIOのライブが三夜連続あったから、そこに行けばブルー・マーダー側の連絡先を知っている奴が必ずいるだろうと。
実際に行ってみると、現地のジャーナリストが彼らの電話番号を知っていたから、僕は電話をし、車を借りて、彼らの場所へと向かったんだ。
道中にエアロスミスの “Permanent Vacation” をずっとかけながらね。
で、トニーが夜中の3時ぐらいにホテルに来てくれてね。僕は全然飲まないんだけど、彼は「オレ達まだ飲み足りないんだ!」って言うから、僕もそれに付き合ったさ。
翌朝起きてからはレコード店に行って…
T: オレは覚えてないけどね(笑)
C: それからジョン(・サイクス)の所に戻って、一緒に大麻を吸って…
T: ああ、それは覚えてる。
C: その後、一緒にプレイし始めたんだ、残っていたコージーのドラムセットでね。
すぐに「これだ!」と思ったよ。僕は彼らが求めていたグルーヴを持ち込むことが出来た。僕はコージーよりもテクニックを重視するタイプだったから。
T: カーマインのドラムプレイには、ビッグバンドのようなスウィングがあったんだ、もちろん重い感じのね。
C: ジョンは僕に言ったよ、「僕らはコージーや色んなドラマーとリハをしてきたけど、キミは他のドラマーよりもたくさんのフレーズを持ってるな!」って。
当時のジョン・サイクス
19:12 ~
I: ジョン・サイクスの「仕事のやり方」って、どうだった?
T: 次の質問お願いします…(爆笑)
ウソウソ、冗談だよ(笑) あの当時の彼はすごかったよ。すごく集中して取り組んでいたな、自らの力を証明してやろうと意欲満々だった。
C: デヴィッド(・カバーデル)を見返してやる!ってね。
T: ホワイトスネイクで得られるはずの評価を得られなかったもんだから、彼には証明すべきものがたくさんあったんだ。
最高だった日本ツアー
19:37 ~
I: きみたち二人にとって、あの当時のブルーマーダーとしてのハイライトは何だった?
T: すごいアルバムを作って、アメリカと日本をツアーを出来たことだな。めちゃくちゃ楽しいツアーだったよ。
C: 彼らと共に作りあげた音楽こそがまさにハイライトだよ。僕らはお互いにすごく良く馴染んでいたしね。
ツアーの中でも、特に記憶に残っているのは日本だ。僕らの最初の来日が、あんな規模で出来るとは予想もしていなかった。
12,000人ものオーディエンスが僕らを見てくれた。まさにマジックだったよ。
そのライブの映像をYouTubeで見たんだけど、僕らは信じられないほどタイトでエネルギーに溢れていて、テクニックも抜群だった。
サイクスのソロに、トニーのフレットレス・ベース、そして僕のドラム。まるで野獣のようだったよ。
だからこそ、それほどたくさんの人達が僕らのライブを見たがったんじゃないかな。
続く…