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Masayuki YAMAGATA Lab.

山縣ゼミ第10期、修了。

2020.03.23 09:59

最近、こちらのブログに書けずに申し訳ない限りです。


先週土曜日、コロナ禍で大学全体としての卒業式は中止となりましたが、学部学科ごとの学位授与式は、厳重に衛生管理をおこなったうえで実施されました。ゼミでの集まりも実質的に「禁止」。なので、例年のような追いコンも、謝恩会も、いったんは延期せざるを得ませんでした。

偶然、全員が集まれたので集合写真を撮れたのは、何よりの幸いでした。


「自粛」って何なのか、やはり考えざるを得ません。


ほんとはこの第10期のメンバーを盛大に送り出してやりたかった。「そんなの大したことではないではないか」というようなことを言う人があるとすれば、それは少なくとも山縣ゼミがどれだけガチで共に学び続けたかを何も知らぬ人でありましょう。それくらい、第10期メンバー24名は、2年半近くプロジェクトや卒論など、全力でやってきました。


世の中には、「そんな式など不要だ」という考え方もあるようです。たしかに、誰ともわからぬ人の“ありがたい”話ばかり聞かされるなら、そんな式は不要でしょう。しかし、ガチで学んできたその節目を祝う式であるならば、それはこれからの前途も含めて大いに祝うべきです。


それを十分にやってやれなかったことの悔しさというのは、はかり知れません。


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第10期は、山縣ゼミの〈価値創造デザインプロジェクト〉の2nd Season。第9期を継承しつつも、6つの企業や団体と、商品企画やプロモーション、企業内課題の解決など、かなり濃密なテーマで展開しました。昨年同様、どっぷり実践に参画してもらいつつ、その実践から得られた問題意識や知見にもとづいて、理論的にも考察してもらうという、ビジネス系PBLでもちょっと異質な、しかもけっこうハードな内容になってます。


手探りだった昨年と違い、2nd Seasonとなるこの代、個人的には緩くなってしまうことを懼れました。けれども、その心配は無用でした。


それでも、24名のメンバーはガチで取り組んでくれました。プロジェクトでがんばったということももちろんですが、それを研究として省察するという点において、特に大きな成果を出してくれたと思っています。合同ゼミで高い評価を得られたのは、そのあらわれです。


卒論の厳しさは山縣ゼミ名物ですが、この代は例年になく「きっちり」やってくれました。今までになく多くのメンバーに100点をつけたのは、別にお情けとかでは全くありません。満点かどうかは置いといて、みんなよくがんばったと思います。


本来なら、謝恩会のあとに送るメッセージなのですが、今回はちょっとイレギュラー。でも、やっぱりメッセージは送っておきたい。なので、以下のようなメッセージを送りました。なお、メンバーに送ったのよりも少し端折ってます。


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みんなへ


例年なら、ゼミの修了式をやって、そのあと謝恩会をして、だいたい全員で二次会も行って、そのあとそれぞれの次の予定へと動いていくってかたちになってたはず。俺は終電で先に帰らせてもらって、その電車のなかでみんなへのメッセージを書くのが、いつものパターン。でも、今年はそれができなかった。夏にまたやるといっても、やっぱり節目の日に名残を惜しめなかったことは、ほんとに残念。


昨日、学位記授与が終わって、みんながどうしてたのかまったく知らないけれども、それぞれに名残を惜しめた?


いくら謝恩会を夏にやるって言っても、そのときに大学生としてのみんなに区切りのメッセージを送るのは、どう考えても違和感しかない。だから、とりあえずの区切りとして。


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この2年半近く、みんなにとってはしんどくて大変やったと思う。2回生の後半からプレゼミで学びをはじめて、3回生になってからはプロジェクト。しかも、ただやるだけじゃなくて、研究としてもやってきた。そして、おそらくほとんど全員が俺を嫌いになる卒論。濃すぎるくらいに濃かったと思う。けれども、「学びも遊びもガチで」ってのはただの理念ではなく、山縣ゼミの“真実”。それは、今あらためてわかってもらえるんちゃうかな。


プロジェクト。順調に進まないことがあるってくらいは想像してたやろけど、思った以上にいろいろあったんちゃうかと思う。でも、それぞれにちゃんと結果を出せていた。2年目って、往々にしてゆるくなりがちなんやけど、みんなはそこをしっかり締めてやってくれた。まじめにやるってのを斜に構えて、冷笑するやつもおるかもしれん。けど、そんなやつは捨て置けばいい。ガチでやるから、しんどくても楽しい。その楽しさを人生において味わえないことほど寂しいことはない。


合同ゼミ。もちろん、全てのチームが入賞するわけじゃない。でも、実質で1位と2位ってのは、そのチームだけでなくやっぱり6チームあってのこと。教員賞をもらうチームがあるってのも嬉しいことやけど、同世代から明らかに評価されるってのは、やっぱりすごいことなんやで。


そして、卒論。こんなに満点を出した代はない。それくらい、みんなきっちりやってくれてた。そりゃ、もちろんうるさくも言うたし、何べんも書き直しをしてもらった。「前に言うてたことと違うやん」て内心で思ったことも、一度や二度ではないかも。でも、じつは社会に出て何かを創り出していくときって、こういう感じなんやで。計画どおりに一直線に物事が進むなんてありえない。行っては戻り、また進んでは戻る。そのなかで、自分が何を伝えたいのか、そこを考え抜き、磨きあげる。そのプロセスこそが、大学での学びでいちばん大事なことやし、社会に出てからずっと活きてくるところ。そのときに、みんな俺のアドバイスやったり指示やったりをちゃんと受けとめて、そこから考えてくれた。これって、教員にとってはすごく嬉しいことなんやで。仮に満点ではなかったとしても、そこをマイナスとネガティブに捉えないでほしい。満点やったからって、この先もう学ぶことなど何もないなどと思わないでほしい。学び続け、考え続け、そして実践し続けること。これこそが、これから先の動きの激しい世の中ををみんなが「安定して」生きていくためのいちばん大事なポイントです。


俺が近畿大学に移ってきて10年目の節目の代。もちろん、これからも教員生活は続くんやけど、この第10期は俺にとっても一つの「成就」やった。プロジェクトという実践的な学びと研究という大学本来の学びを、みんなは両立した。加えて、遊ぶという点でも。今までやってきたことが間違いではなかったということ、そしてこれからのベースはここにあるのだという将来への確信。そんな「成就」を感じさせてくれたみんなに、心から感謝している。


ほんとうに、この24名と第10期のゼミをやってこれたことを嬉しく思う。「偶然を必然にする」というのは、俺の信念の一つ。この24名+教員1名が一つの代として出会ったということ自体、気の遠くなるような偶然の結果だ。何か一つが違っただけでも、この偶然は成り立たなかった。しかし、その偶然を2年半を通じて、「このメンバー24名でなくては」という必然に、みんな一人ひとりがなしていった。ほんとは謝恩会とかを通じて、この感覚を共有したかったけれども、それは夏に取っておこう。これくらいのことで消えてしまう必然ではない。


これから先、今までに経験したことのないようなハードな事態、理不尽な事態、つらい事態に直面するかもしれない。けれども、この2年半のつながりは、きっとこれからのみんなの人生を支えてくれる。ここは、みんながいつでも戻ってきていい場所だ。自分を見失いそうなとき、どうしていいかわからなくなったとき、誰かに何かをどうしても打ち明けたいとき、ただただ久しぶりに会いたいとき。理由はどんなことでもいい。理由なんかなくてもいい。利害なく、そして心安く話ができるつながりは、ほんとに貴重なものだ。どうか、これからもこのつながりを大事にしてほしい。道に迷ったら戻ればいい。そして、少し休んで、また歩めばいい。ここに戻れる場所の一つがあるんやから。


もう長い授業は2年間の毎週の2コマ連続で十分だろうから、そろそろ締めよう(笑)ひとまずの最後に。


どうか、これから先のみんなの人生が光あふれるものとなりますように。時に影がさすことがあっても、それでもトータルで素晴らしい人生となることを祈ってる。そのためには、何度でも繰り返すけれども、心と身体を大事に。もちろん、前に進むことも大事だし、挑むことも大事だ。けれども、心を含めた身体は、すべての起点だ。だからこそ、心も含めて身体を大事に。


今までは、いろいろなことをこまごまと指導もしてきた。一緒に歩んできたつもりだ。でも、この卒業という節目を区切りに、みんなは俺の手を離れる。これからは、それぞれの道を歩んでいく。これから先のみんなの幸せを、俺はただただ祈り、願うよりほかない。どうか幸せな人生を。


そして、あらためて。

ありがとう。みんなが出してくれた成果こそが、俺にとっての成果でもある。その喜びをかみしめつつ。


また会おう。まずは夏までに(笑)


2020年3月22日

山 縣 正 幸