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「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 天文十八年で織田信長と明智光秀と徳川家康が一堂に会するという歴史ロマン

2020.03.24 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 天文十八年で織田信長と明智光秀と徳川家康が一堂に会するという歴史ロマン

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」がなかなか面白い。まあ、史実とされる通説から考えて、あり得ないとされるような内容は少なくない。それでも、当時の記録というのはほとんど何も残っていないのであるから、その意味ではなかなか面白いのではないか。

史実と違うという文句を言う人の多くは、「自分の思い描いた歴史」とは異なるということになるが、実際に、当時のことなどは本来は何もわかって居ないのであるから、現代と混同するような、例えば、信長が腕時計をするとか、帰蝶と光秀がスマホでメッセージを交換しているとか、菊丸がドローンで監視しているというようなことがなければ、まあ許容の範囲である。

さて、今回の信長の描き方がなかなか秀逸である。

染谷将太さんの演じる信長は父信秀を尊敬し、またその信秀に認められたいといいながら、片方で母土田御前の愛に飢えている。類稀なる知能と合理性、そして他人を理解しない幼児性をうまく表現できている。

信長そのものをサイコパスのように考える人がいるが、実際は、信長は愛に飢えていて、最後まで幼児性を捨てきれず感覚的に生きた天才ではなかったかという気がしてならない。

計算して出てくるような冷徹さではなく、幼児性ゆえの合理性とこだわりのなさ、そして残虐性を併せ持っている感覚が、うまく表されているのではないかと行く気がしている。

子供というのは残虐である。最近の子供は、あまり外で遊ばないからよくわからないかもしれないが、私が子供のころなど、生きている蛙やザリガニを「解剖」と称して何匹も殺してしまったし、遊びで虫の命を奪うことなどは何とも思っていない。

自分の興味の向くままに動き、そして、その興味と自分の考えた合理性に伴ってすぐに行動する。その行動力が、最も大きな信長の原動力であり、同時に、延暦寺を恐れずに焼き討ちしてしまう力となっていたのではないかという気がするのである。

それをうまく染谷将太さんは演じている。


「麒麟がくる」竹千代役・岩田琉聖に絶賛相次ぐ

 22日に放送された「麒麟がくる」(NHK総合・毎週日曜20時~ほか)第10回「ひとりぼっちの若君」で、徳川家康の幼少期・松平竹千代を演じた岩田琉聖(いわた・りゅうせい)の演技が注目を浴びている。(※一部ネタバレあり)

 第10回では、美濃の守護代・斎藤道三(本木雅弘)の娘・帰蝶(川口春奈)が尾張の織田信長(染谷将太)に嫁いだのち、明智光秀(長谷川博己)と信長が2回目、正式な顔合わせを果たした。尾張の国境に侵攻した今川義元(片岡愛之助)から、織田信秀(高橋克典)が人質である三河松平家の嫡男・竹千代(のちの徳川家康)の引き渡しを要求されていることを知った道三は、三河を今川に押さえられることに危機感を抱き、その動向を探るべく光秀を帰蝶のもとへ送る。

 信長は帰蝶を介して対面した光秀を気に入った様子だったが、そこへやって来たのが竹千代。将棋を手にした竹千代は、最近信長が相手にしてくれないことに疑問を呈し、信長は竹千代と異母兄・信広の人質交換が進められようとしている事実を告げ、自身はそれに反対だが兄を見殺しにもできず迷いがあると話す。囚われの身となり愛しい母に会うこともできず孤独に耐えてきた竹千代は、取り乱すことなく「敵を討つには敵を知るべし」だと自身の宿命を受け入れる姿勢を示した。

 放送後、そのけなげで聡明な竹千代の姿に心を動かされた視聴者が多く、演じた子役・岩田の演技に「かわいい」「天才」「引き込まれた」「圧倒された」と絶賛が相次いでいる。

 ドラマの公式Twitterには、この信長(染谷)との対峙シーンについて岩田が「将棋盤がすごく重くて、信長さまの前でゆっくりおろすときは、うでとひざがプルプルしました。あと、将棋のコマを動かす順番が決まっていて、それをセリフといっしょに覚えるのが大変でした。信長さまのオーラはすごくて緊張したけど、ちゃんとできてうれしかったです」とコメント。迫真の演技と、子供らしい素朴なコメントのギャップが微笑ましいと好評を博している。

 岩田は現在9歳。これまでCMやテレビドラマ、映画などで活躍。2017年の映画『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』では新田真剣佑が演じる虹村億泰の幼少期に、2018年放送のドラマ「僕らは奇跡でできている」(関西テレビ・フジテレビ)では高橋一生演じる主人公・相河一輝の幼少期を好演していた。(編集部・石井百合子)

シネマトゥデイ  2020年3月23日

https://www.cinematoday.jp/news/N0114867


 あえて言っておくが、染谷将太さんが大人になり切れていないということではない。あくまでも信長の設定がそのようになっていて、それをうまく演じているといっているのであるので、誤解しないでいただきたい。

さて、そのうえで、家康というのは子供の頃から苦労を重ね、ある意味老成した少年であった。いや、これも今回のドラマでそのように設定されている。

ドラマの中で「ちちはきらいである」と父、松平広忠を殺した信長の前でそういい、なおかつ今川義元を敵と言い切る家康の姿は、様々なことを学んでいる。敵を内側から見るなどということを言えるのはそれなりに学問を重ねていなければ言えない言葉であり、当時の票砲所などをしっかりと学んでいるという印象がある。

まさに、「大人の格好をしているが、中身が全く大人になり切れていなくて、幼児性を残し天才的な感覚で生きている信長」と「まだ幼い子供の格好をしているが、すでに老成していて様々な学問を重ね、非常に論理的にそして周囲を見回しながら生きている家康」という対比が、将棋の対局とその対局をしながらの会話の中で現れているのである。

ある意味で、この二人の会話とそれを聞いている「律儀な家臣光秀」が織りなす人間模様が非常に面白い状況になるのであろう。「ドラマとしての展開」や「色彩や映像」などもかなりさまざまな話があると思う。

しかし、私個人としてはこのような人間模様や人間の内面を表すような演技があることこそ、私の中では非常に面白く感じるのである。そしてその人間の考える「違い」が様々な事件を引き起こす。その性格的な感じ方の違いからくる行動の違いが、まさに歴史の事件の原因になってくるのである。

その伏線の書き方がこの時点で素材として出されているのである。

本能寺の変の時に、史実では、信長は本能寺、光秀は現在の亀岡市から京都向かいそして、家康は堺で観光をしている。この事件の時の三人の動きこそ、まさに、この時に一堂に会した内容が含まれるのではないか。

また先が楽しみになってきた。