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銃・病原菌・鉄(下)

2020.03.24 14:11

  「銃・病原菌・鉄」(下)(著者/ジャレド・ダイアモンド)は、文字の発明とその伝播の過程(「文字をつくった人と借りた人」)の説明から始まります。上巻最後の集団感染症の説明でもありましたが、動物から感染する病原菌が登場し、感染を広げるためには、食料を生産する社会の発達が不可欠だったように、文字が発明され、発達するのにも(数千年にもわたる)食料生産の歴史が必要でした。農耕物の栽培技術やや家畜の飼育技術が高度化し、食料生産が安定してくると、食料にも余剰がでてくるようになります。この余剰により人類は、食料生産以外の労働にも従事できることが可能となりました。これにより、社会階層が複雑化し、集権化、階層化が進みます。そうしていく過程で、集団を統治する王が生まれ、税として納める収穫物を記録したり、納入物、支払を記録する官吏が登場します。「狩猟採集民の社会では、文字が発達しなかった。よその社会から借用されることもなかった。食料生産をおこなわない狩猟採集民たちは、農耕民のように余剰生産というものを持たず、文字の読み書きを専門とする書記を養うゆとりが社会的になかったからである。(中略)最初の文字が、(メソポタミアの)肥沃三日月地帯、メキシコ、中国で登場したのは、それらの地域が食料生産の起源とされる地域だったからである。文字はいったん発明されると、交易を通じて急速に広がっていった。勢力の拡大や宗教の流布活動を通じて、経済的および社会的に似た社会へと浸透していったのである。」(P52) そして、文字の伝播も、食料生産の伝播が地形を含めた自然環境上の障壁を受けて広がっていったのと同じような影響を受けながら広がっていったのです。

      人類の科学技術の伝播についてもやはり、食料生産において可能となった定住生活、農民に生活を支えられた、非生産民の専門職の誕生という過程が非常に重要でした。新し技術の誕生、そして、別の発明を別の材料で次々に組み合わせて次の技術が可能になる、という過程は自己触媒作用に似ています。そのため、技術の発達というのはその伝播を妨げるような地理的障害や生態系の障害が少なかった大陸で早く発達したのです。また、「さまざまな理由によって、社会の革新性は個々の社会によって異なるため、大陸に存在する社会の数が多ければ多いほど、技術が誕生したり取得されたりする確率も高くなる。技術はすべての条件が等しければ、人口が多く、発明する可能性のある人々の数が多い地域、競合する社会の数が多く、食料生産性の高い広大な地域で最も早く発達する。」(P98)  このような科学技術の伝播にとって必要な3要因(食料生産の開始時期の早さ、伝播上の障害の少なさ、そして社会(人口)規模)において一番有利な位置にあったのは、3大陸の中では、ユーラシア大陸でした。「競合する社会の数も、世界の大陸の中で最も多い。肥沃三日月地帯と中国という食料生産の発祥地もユーラシア大陸に位置している。東西方向に横長の大陸であることから、発明は同緯度帯で同じ気候帯に位置する社会に比較的速い速度で伝播することができた。南北アメリカ大陸やアフリカ大陸では、厳しい生態系の障壁が大陸を分断しているが、そのような障害はユーラシア大陸には存在しない。(中略)こうした3つの要因が作用した結果、旧石器時代以降の技術進歩がユーラシア大陸でもっとも早く始まり、時間の経過とともに、もっとも多くの技術が蓄積されたのである。」(P98)

  さらに、ユーラシア大陸と南北アメリカ大陸では、主要な政治システムの形成においても異なっていました。「ユーラシア大陸では、中世後期からルネサンス期にかけての時点で、すでに大方の地域がさまざまな国家に支配下にあった。なかでもハプスブルグ家や、オスマン帝国や、中国、そしてインドのムガール帝国や、十三世紀に最盛期を誇ったモンゴル帝国などは、いくつもの国家を征服して、さまざまな言語が話される政治的複合体を形成していた。そして、ユーラシア大陸の国家や帝国の多くは、特定の宗教を国教と定め、政教の結びつきを利用して、指導者階級の存在理由や多民族に対する征服戦争を正当化していた。」 もちろん、南北アメリカ大陸にも帝国はありましたが、当時存在した帝国はアステカとインカの二つだけでした。(南アメリカの熱帯地域、中央アメリカ地域、北アメリカの南東部などにももちろん集団社会は存在していましたが、それらは、首長社会、小規模血縁集団、部族社会といった比較的小さなレベルの規模に留まっていたのです。)それに対して、ユーラシア大陸からは、スペイン、ポルトガル、イギリス、フランス、オランダ、スェーデン、デンマークといった7つもの国家が1942年から1666年にかけて南北アメリカ大陸に人々を送り込み植民地を確立していたのです。

  そして、著者が、一万三千年の人類史における最大の人口の入れ替えにおける「もっとも劇的で決定的瞬間」と表現した、将軍ピサロの率いる少数のスペイン軍がインカ皇帝アタワルパを捕虜にした勝利の戦い(旧世界と新世界の衝突)が起こった時、ヨーロッパ人が新大陸の人々を支配することになり、その逆は起こらなかったのです。

      これまで多くの欧米の歴史家が著す人類史は、ヨーロッパの歴史と、ヨーロッパからの移住によって建国されたアメリカ合衆国の歴史に焦点を当てるのが一般的で、(その他、中国の歴史について言及するのがせいぜいで、)その他の地域の歴史はヨーロッパの植民地主義とのかかわりあいの中でしか語られることはありませんでした。それに対しダイアモンド氏は、自らの研究活動を太平洋域や東アジアで行っていた30年以上の研究活動から、「東アジア、および、太平洋域からの視点によって人類史を理解しようとするアプローチ」を行いこれが本書の成果となって結実したのです。この成果に対し、あるアメリカの著名な歴史学者は「逆転の人類史」という評論を本書に対して寄せた、ということです。本書はまた、ピュリッツァー賞、コスモス国際賞受賞のほか、朝日新聞による「ゼロ年代の50冊」の第1位に選ばれています。

  尚、ダイアモンド氏は、30年以上にわたる太平洋地域、東アジアでの研究成果をもとに、以前世界に存在したいくつかの文明(中南米のマヤ、イースター島の文明など。)が崩壊した原因を探る「文明崩壊」という作品も著しています。