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いのちの選別

2020.03.25 03:03

2月にお会いした安積遊歩さん。 


会ってすぐから私の心をおっぴろげにしてくれる、不思議な包容力をお持ちの遊歩さん。

相模原市で起きた障がい者殺傷事件の被告の死刑判決を受けて
インタビューに答えられている映像が届きました 



 事件当初からの この拭えないもやもや感

忘れないように記すことにします 


おぞましさに身震いしたし
もし被害者の家族ならば死刑を望むのは当然だろうし罪は償ってもらいたい


 だけど彼の動機である 

「意思の疎通のとれない人は、周りを不幸にするだけだから安楽死させるべきだ」
に賛同する人が 社会の中に一定数いる事実 


明日 事故で「意思疎通の取れない障がい者」になったなら

次に消されるのは自分かもしれない 

そしてそれを「仕方ないよね」とされることになるかもしれない 



 かつての優生保護法は 障がい者は妊娠・出産を許されないという 

今では「え!?!?」な法律ですが

そう遠くない過去にそれこそが正義とされていた時代がありました  



「あの人は生きる価値があってこの人はない」

「障がいがあるなら堕ろして健康なら産む」 

「黒人は危なくて白人は安心」 

「日本人は最高で中国人はダメ」 

「イスラム教は危険で仏教こそ最高」 


こんな感じを突き詰めたのがユダヤ人大虐殺なのですが

(ナチスドイツは 障がい者も積極的に殺しました)



 差別はダメだ 

人の命はみな平等だ 


 わたしは多くの方と同じようにそう教わってきました 


だけど大人である私たちは 

台風でもホームレスは避難所に受け入れない 

難民は受け入れない 

ジェンダー差別は根強い

 弱者に手を貸すかというと そうでもない  


「自己責任」「生産性」「損か得か」そんな定規で人権や命が計られている面もあります 

 働かざるもの食うべからず的なやつでしょうか

 「税金払ってないなら助けられなくて当然だ」というような言葉はネット上でよく目にしました


つまりこの考えでいくならば 

命とは 誰かに利益を与えて初めて認められる ということですね



 かつて医者だった女性が 

「ただ人口呼吸器をつけて息をしているだけの人を治療して、延命して それが正しいのか分からなくて苦しくなった。こんな感覚のまま医者でいてはいけないと思って辞めたの」 

と言っていたのが印象的でした  

苦しかったのだろうと思います


障がい者を介助したり介護したりというのは わたしが思ってる100倍以上の大変さがあると思います

ご家族の負担や労力は想像するのも難しいですし

スタッフとして従事されている方のご苦労もあるかと思います 

もしかしたら

「この人はこのまま生きてて幸せかな」と葛藤があったり疑問に思う瞬間もあるかもしれません




だれが命の選別するのか 

できるのか


わたしは もうそこは神様の領域ではないかと思います  

「生きている」ということが答えとしか言えない


意思の疎通の難しいと見える方の家族やサポーターにとって

共に過ごす豊かな時間もまた計り知れないのではないかと想像します 

家族には小さな表情の変化が読み取れたり

生きるというシンプルな問いを投げかけたり

当事者のgiveは少なくないのではないかと勝手ながら思っています




今回のこの事件の犯人は 問題提起したヒーローでもなんでもありませんが 

彼が死ねば解決する問題でもないと思います 


亡くなられた方のお命を想う時 

ご家族の御心に想いを馳せる時 

誰かにジャッジされていい命ではなかった と言いたいです 

それをヨシとする社会ではないですよ と心から言いたいです