ジョゼフィーヌという生き方1 生き抜く力
「ジョゼフィーヌ」とは皇帝ナポレオンの妃だった皇妃ジョゼフィーヌ。ルーヴル美術館にある有名なダヴィット作『ナポレオンの戴冠式』で、ナポレオンから戴冠されている女性。後に後継者問題からナポレオンはオーストリア皇女マリー・ルイーズと結婚するため、ジョゼフィーヌと離婚することになるが、ナポレオンは彼女が住むマルメゾンをたびたび訪れ、別れても二人の絆はなお深まったとされる。ジョゼフィーヌの最期の言葉は「ボナパルト、ローマ王、エルバ島……」、ナポレオンのそれは「フランス、陸軍、陸軍総帥、ジョゼフィーヌ……」だった。
また、ジョゼフィーヌはナポレオンが敵対したロシアのアレクサンドル皇帝もその優美と教養で魅了した。ナポレオン失脚後、アレクサンドルはこんな手紙までジョゼフィーヌに送っている。
「前々からあなた様にお会いしたいと熱烈に思っておりました。フランスに来てからというもの、あなた様を讃える声しか耳にしておりません。ほんの小さな館においても、あるいは豪華な宮殿においても、あなた様の天使のような善良さを聞くばかり。あなた様に直接お言葉をおかけすることができたら、どれほど嬉しいことでしょう」
そして、マルメゾンでジョゼフィーヌと会ったアレクサンドルは感激する。美しさも優雅な振る舞いも噂以上で、その小さな手に触れたときには、感動で体が震えたほどだった。甘い囁くような声は、アレクサンドルをマルメゾンに足しげく通わせることになる。また、ナポレオンの″ポーランド妻″マリー・ヴァレフスカとその子供アレクサンドルも、ジョゼフィーヌは快くマルメゾンに迎え入れた。ジョゼフィーヌは、自分のまわりにいる人びとが幸福に満たされているのを見るのが何より好きだったようだ。
しかし、彼女はけっして「よくできた女性」ではなかった。
「ジョゼフィーヌは徹底したフランス女だった。浪費家で、お洒落で、社交にたけ、嘘をつくのが上手で、愛に盲目で、人生を楽しむことを知っていたジョゼフィーヌには、良妻賢母からはほど遠い、フランス女ならではの可愛らしさがある。」(川島ルミ子『ナポレオンが選んだ3人の女』)
今、強固な自我で今よりはるかに厳しい時代を生き抜いていった画家ゴヤ【1746年~1828年】とかジョゼフィーヌ【1763年~1814年】の生き方に魅かれる。この間、夏目漱石の前期三部作(『三四郎』、『それから』、『門』)と後期三部作(『彼岸過迄』、『行人』、『こころ』)を読み、脆弱な自我ゆえ自意識に苦しみ堂々巡りを繰り返す(あるいは自殺する)登場人物にいらいらさせられたことも原因しているが、いま日本や世界が置かれている状況ともかかわっているように思っている。確かにこれまで経験したことのない未曽有の事態かも知れない。しかし、そもそも人生とは想定外の事態の連続。どれだけ学び、情報を集め、自分や社会・世界を知り、未来を予測したとしても、思い通り、計算通りの人生を送ることなどありえない。だから、死後の世界を信じきれない人間、信仰を持てない人間は、できるかぎり将来に備えつつも、今を豊かに生きようとするしかない。たとえ明日、人生が中断されようと後悔しないように、自分の道を進み、今日を味わい、楽しんで生きるしかない。情報に耳を傾けつつ、それにふりまわされずに、自分の判断で決断し行動することが大切なのだと思う。こういう時こそ、自分の哲学が試されるのだと思う。

ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式」ルーヴル美術館 部分

ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式」ルーヴル美術館

ロベール・ルフェーブル「ジョゼフィーヌ」マルメゾン城