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ZIPANG-4 TOKIO 2020「うちなーぐち(沖縄語)」は、ユネスコの消滅危機言語に認定されています。NTTドコモ「みんなのうちなーぐち辞典」公開!

2020.03.27 09:25

はじめに 記事をお届けするに当たり、昨夏、関東・東北地域を直撃した、強烈な台風19号と、続く21号の記録的な豪雨で、千葉や栃木、福島など5県の34河川で浸水被害や土砂災害により亡くなられた方々を始め、多岐に亘って被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。また、このたび我が国の世界遺産である沖縄のシンボル首里城の正殿等主要部分の全焼被害が発生。やりきれぬ国民的ショックも癒えぬ中、重ねて2019年12月4日、アフガニスタン東部で長年医療と共に当地に用水路を完成させた国民的英雄、中村哲医師の暗殺事件が続きました。余りにも大き過ぎる一連の悲報に暮れた昨今です。今私達は世界平和の為に何が出来るか…?中村氏が遺した後姿から一人ひとりが何かを学び取り、その実践こそが目指した真の世界樹に繋がるものと思います。謹んで哀悼の意を捧げつつ。合掌

ヤハラヅカサ

干潮時に姿を見せる、琉球開びゃく祖神、アマミキヨの上陸地。
南城市玉城字百名(なんじょうし・たまぐすく・あざひゃくな)の浜川原海岸にある拝所で、海中にあるため干潮のときでなければ渡ることができません。琉球開びゃくの祖神、アマミキヨが初めて上陸した地点であると伝えられています。いつの頃からか、石の塔と香炉が備えられていますが、満潮時には海中に没して見えなくなります。首里城の東方にある霊地を巡拝する、東御廻い(アガリウマーイ)の行事で訪れる拝所の一つです。

受水走水(うきんじゅはいんじゅ)

東御廻りの拝所の一つで、琉球での稲作発祥の地と伝えられる聖地
南城市玉城字百名(なんじょうし・たまぐすく・あざひゃくな)の海岸近くにある二つの泉で、西側を受水、東側を走水といいます。下流に御穂田(ミフーダ)と親田(ウェーダとよばれる田んぼがあり、琉球における稲作発祥の地と伝えられています。旧暦一月の最初の丑の日には、南城市玉城字仲村渠(なんじょうし・たまぐすく・あざなかんだかり)区の人たちによる、親田御願(ウェーダヌウガン)と呼ばれる田植えの儀式が行われ、儀式は市の無形民俗文化財に指定されています。首里城の東方にある霊地を巡拝する、東御廻り(アガリウマーイ)の行事で訪れる拝所の一つです。

玉陵(たまうどぅん)

石彫り獅子に守られた、第二尚氏王統歴代の陵墓
第二尚氏王統歴代の陵墓で、1501年頃、三代目の王、尚真(しょう・しん)が創建したと伝えられています。周囲は石垣で囲まれ、墓室は東西に連なる自然の崖壁に穴をあけ、連続した3つの室が造られ、東室は洗骨後の王と王妃の遺骨を、中室は洗骨までの遺体を、西室にはその他の家族の遺骨を安置しました。外見は木造建築を模し、棟には尚家の家紋や牡丹・唐草・宝珠等が彫りこまれ、左右袖塔上には陵墓を守護する石彫りの獅子像が置かれています。

2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。

首里金城町の石畳道

琉球王国時代の歴史を感じる石畳の道。
首里金城町の石畳道は、16世紀に首里から那覇港や沖縄本島南部へ通じる主要道路として造られた「真珠道(まだまみち)」の一部です。琉球石灰岩による石畳道で、当時は総延長約10kmにも及んだ道でしたが、現在では、首里金城町に約300mの石畳がみられます。周辺には赤瓦家が並び、琉球王国時代の歴史を感じながら、散策を楽しむことができます。ただし、雨の日はすべりやすいので注意が必要です。

石垣やいま村
「ゆくいたぼーり」島人のくらしがここにある。八重山の昔がよみがえる。

石垣島の名勝「名蔵湾」を一望する丘にある石垣やいま村。 豊かな自然を背景に古き良き八重山を再現したテーマパークです。 市内から移築した築90年以上の古民家は国・登録有形文化財にも指定されています。 赤瓦の古民家からは三線の音色が響き、琉球衣装、星砂アート、シーサー絵付けなどの体験ぷらんも充実。 リスザル園では60匹ほどのかわいいリスザル達にエサやりや直接触れあうことができます。 2005年11月にラムサール条約に指定された名蔵アンパル。マングローブの森への散策路があり、 希少な動植物を傷つけることなく観察できます。またカヤックツアーにて気軽に水上からも楽しめます。 園内散策のあとは、あんぱる食堂にて人気のやいまそばをはじめ、郷土料理を中心にご用意。 売店では各種泡盛や島ならではのお土産などのショッピングも楽しめます。


歴史概要

昔、沖縄県は、琉球(りゅうきゅう)とよばれた一つの国でした。
1429年、尚巴志(しょうはし)という人物が、各地の有力者(ゆうりょくしゃ)を一つにまとめました。


首里城を王国の中心とした琉球は、さかんに中国や日本、アジアの国々に出かけていき、たくさんの品物の売り買いを行いました。そのころの那覇の港は、海外から運ばれた物や外国人であふれたといわれます。この時代は「大交易時代(だいこうえきじだい)」とよばれています。琉球は、「レキオ」という名前で、ポルトガルの資料にも記録されています。

1609年、琉球は薩摩藩(さつまはん=今の鹿児島県)からの侵攻(しんこう)を受けます。ちょうど日本では、将軍(しょうぐん)を頂点とする国(江戸幕府)が始まったころでした。

この時代、琉球は日本文化の影響を受けて、さらに特色ある文化を育てていきました。 明治時代になると、450年間続いた琉球王国はなくなり、琉球は沖縄県となりました。

太平洋戦争が終わりをむかえようとする、1945(昭和20)年3月、アメリカ軍が沖縄に上陸しました。はげしい戦いが行われ、沖縄に住んでいた人々約10万人をふくむ、たくさんの人たちが亡くなりました。これが「沖縄戦」です。

戦争が終わると、1972(昭和47)年5月15日に日本へ復帰(ふっき)するまで、沖縄はアメリカの統治(とうち)が27年間続きました。その間に米軍基地(べいぐんきち)が建設され、今もなお存在しています。
かつて琉球王国として栄えた歴史と文化は、今も沖縄県民に受けつがれています・・・


ユネスコの消滅危機言語に認定されている「うちなーぐち(沖縄語)」。

「よくわかる」と答えた10代は、わずか0.4%※大切な言葉をつないでいきたい。そんな思いから作成した「みんなのうちなーぐち辞典」公開!

株式会社NTTドコモ(以下ドコモ)は、沖縄の大切な文化の一つである「言葉」を次世代へつないでいくために、これまでにない全く新しい「動画辞典」を制作しました。「うちなーぐち(沖縄語)」(=古くから沖縄で話されて来た言葉。以下、うちなーぐち)は、ユネスコにより消滅危機言語の一つに認定されています。うちなーぐちをもっと身近な存在にして、消滅の危機から救いたい。そこでドコモは、沖縄のみなさんと一緒にうちなーぐちをスマホで動画撮影。生き生きとしたうちなーぐちをたくさん集め、誰もが気軽にうちなーぐちに親しめる動画辞典サイトをつくりました。


「よくわかる」10代、わずか0.4%! このままでは、うちなーぐちが消滅する!?

2009年、うちなーぐちはユネスコにより消滅危機言語に認定されました。日本国内では8つの言語・方言が消滅の危機にあるとされており、そのうち5つが沖縄県の言葉です。今回このサイトでは、その中からうちなーぐちを中心に集めてあります。

うちなーぐちを含む沖縄県各地域の言葉「しまくとぅば」について県が実施した調査(※)によると、しまくとぅばを「よくわかる」と回答した人の割合は、70代以上で54.0%、10代ではわずか0.4%でした。若者が少ないのはもちろん、高齢世代でさえもよく理解できる人は半数程度しかいない、まさに危機的な実情があります。

※平成30年度しまくとぅば 県民意識調査報告書


「感情」や「動作」など様々な単語を表記。

動画でわかりやすく意味を表現。

若者に身近なスマホの動画で見て楽しむ、新しいスタイルの「動画辞典」!

消滅の危機にあるうちなーぐちを未来につないでいくためには、子どもや若者たちに親しみを持ってもらうことが重要です。そこでドコモは、彼らにとって身近なスマホの動画に着目。沖縄のみなさんに単語を表現する動画をスマホで撮影してもらい、生き生きとしたうちなーぐちの動画をたくさん集めて辞典サイトをつくりました。誰でも気軽にスマホで見て楽しめる全く新しい動画辞典です。



子どもたちも高校生も、おじーもおばーも、みんなで一緒につくった辞典です。

この辞典は、子どもたちや高校生、うちなーぐちの普及を願う高齢の話者の方たちや言語学者の先生など、沖縄のみんなと楽しみながら制作しました。制作に参加した高校生からは、「しゃべれるようになりたいと思った」「もっと知りたいと思った」「残していきたいと思った」という声が聞かれ、大切な文化を守っていく気づきにつながったようです。

これをきっかけに、少しでもうちなーぐちに興味を持ってくれる人が増えたら、それは微力でも、言葉というかけがえのない文化を未来へつなぐ力になるはずだと、私たちドコモは信じています。



この動画辞典は、ドコモの地域協創プロジェクトの一つです。

ドコモは、豊かな自然と独自の文化を持つ沖縄とともに、さまざまな地域協創プロジェクトを進めています。自然・文化保護や観光・インバウンド、暮らし・働き方など6つの分野を策定し、5G/AI/IoTなどのICT技術を活用して、沖縄県の持続的発展に貢献することをめざしてします。

この動画辞典は、その一環として、沖縄の文化の礎である大切な言葉を守っていくプロジェクトです。



編集後記

次のプロジェクトでは、正統な方言(⁉)を話すことが出来る方たちがおられる間に、ドコモさんに全国の方言集などを制作していただきたいですね。期待しております!



参考

琉球の史蹟として、また観光地としても人気の高い「今帰仁城祉」関連情報は下記のリンク記事にてご覧ください。


ZIPANG-3 TOKIO 2020  文化庁 重要文化的景観選定 「今帰仁村 今泊のフクギ屋敷林及集落景観(沖縄編)」~あなたは、もうご覧になられましたか~

https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6523216


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~世界文化遺産 今帰仁城跡~ 「聞こえ今帰仁 百曲がり積み上げて 珈玻羅寄せ御ぐすくげらへ 鳴響む今帰仁(1)」

https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6539473


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 世界文化遺産 今帰仁城跡 ~「伝説と国宝『宝剣千代金丸』(2)」

https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6548657/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 世界文化遺産 今帰仁城跡 ~「今帰仁村の海と今帰仁城跡の祭祀(3)」

https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6556323


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 世界文化遺産 今帰仁城跡 ~「ぬーんねしが 今帰仁村19の集落と祭り(4)」

https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6564987


ZIPANG-3 TOKIO 2020 ~ 世界文化遺産 今帰仁城跡 ~「琉球王国のグスク及び関連遺産群(5)」

https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6571862



鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
石川県 いしかわ観光特使



協力(順不同・敬称略)

一般財団法人 沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)
〒901-0152 沖縄県那覇市字小禄1831番地1 沖縄産業支援センター2F
TEL 098-859-6123(代)

沖縄県庁〒900-8570 沖縄県那覇市泉崎1-2-2電話(代表):098-866-2333



※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。


読者からのご意見が届いておりますのでご紹介いたします。


『読者の声』

沖縄と言うと、頭に浮かぶのはオクマや万座ビーチ、ムーンビーチなどの西海岸リゾート。沖縄の人たちも明るい方ばかりなので、これまでの歴史のことは殆ど考えたことがありませんでした・・・次回行くときは、史蹟など訪ね、琉球の事をもっともっと知りたいと思います。


『読者の声』

東北からお便りしています。これまで標準語に憧れていましたが、沖縄の人たちやドコモさんのご努力を記事で読み、誇りをもって方言を話したいと思います。東京だって地方出身者が多いはず、それぞれがサンマさんのように地元の言葉で話せたらイイナ~と思いました。


『読者の声』

ええことゆうがね~地方創生~これからは方言の時代再来だがね、どんどん方言で喋ったらええがね、なんにもはずかしにゃ~でなも。ワシなんか、おえりゃ~人と話してもへっちゃらで名古屋弁だがね。ほんだでよ~国会の委員会の与党・野党の質問や答弁も大先生方の選挙区の方言でやりゃ~せ。安倍さんは山口弁、麻生さんは博多弁、二階さんは和歌山弁、菅さんは横浜弁、山口さんは茨城弁、枝野さんは栃木弁・・・え~がね、え~がね、どえりゃ~おもしれ~でなも。今の国会みたゃ~に、けんか腰はやめてちょ~なかよう、穏やか~に話し合ってちょ~でゃ~ませ。みんなで新型コロナ対策やろみゃ~か!ほんでよ~方言もどんどんつかおみゃ~か!あんまりゆうと投稿者わかっちゃうでなも、この辺でやめとくけど…とにかく名古屋へ遊びにきてちょ~見どころぎょーさんあるでなも~

本物の名古屋弁はもっともっと上品だでなも~名古屋へいっぺんいりゃ~しておばあちゃんたちと喋ってみや~せ。エエ!これが名古屋弁きゃ~ってぜったゃ~にビックリするでなも…覚えとってちょ~よ


『読者の声』

うちなーぐちは、歌やゲームや楽しいものと結びつけて、子供中心のものを展開すると内地の子供達に波及するようにすると良いでしょうね。


『読者の声』

うちなーぐちは私ども若い世代でも話したり、理解している人はほとんどおりません。 しかし高齢者においても理解している方が全体の54%とは正直、驚きました。
うちなーぐちが絶滅の危機に瀕している事について、私たち沖縄県民はもう少し考えるべき事だと思います。
(私の父方、母方の実家ではまだうちなーぐちを耳にする機会はありますが、あと10年、20年でもすれば無くなるかと。)