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桜は神の依り代

2022.02.06 07:18

https://www.el-aura.com/takanoguu20160404/    

【まるで大きな白い雪山? 豊穣の神の依代☆桜】  より抜粋

桜は精霊だけではなく、お米の神様が降りるというのをご存じでしょうか?

桜の「サ」は「米」を表し、「クラ」は「磐座」を表すんだそうです。

そう、満開の桜はまさにお米の神様が降りられる期間限定の神社なのです!

桜が満開に咲き誇るとその年は豊作なんだそうです。

なので、桜を楽しむ花見は、まさに桜を依代として降りられたお米の神様と直会&祭りをするのと同じ事なのでしょう。

神様は人間と楽しく大騒ぎするのも大好きなのですから

赤門を潜れば桜浄土かな  高資  赤門・慈光寺

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オンカカカ花の主の菩薩かな 五島高資

花を守る地蔵菩薩や忉利天 五島高資

六道や花を守れる地蔵尊 五島高資


下の写真は  https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/6416717  

【赤門と雅楽の寺 法蔵寺 灌仏会】 より

地から涌く枝垂れ桜や六地蔵  高資

光背の枝垂れ桜や六地蔵  高資

地から涌く枝垂れ桜の光かな  高資ー 場所: 赤門と雅楽の寺 法蔵寺


Facebook・ごとう 孝二さん投稿記事

I LOVE JAPAN❤️〜世界を融和に〜

「花見」の言葉の由来は「祓え」からきている。

桜はいっせいに咲いて、一気に散る。

その潔さは、武士の心に通じるものとされていました。

しかし古代の日本人は、そのような見方と異なり、桜の咲き方にこのような神の訪れを感じたようです。

「稲作のはじめのたいせつな時期に、田の神が来られて私たちを見守ってくださる」と。

田の神は桜の開花とともに、人里の近くに降りてきて、花が散ると帰っていく。

こう考えた古代人は、田の神に感謝の気持ちを述べようとして桜の開花の時期に、桜の花を求めて山や野原を訪れました。

これが「春山入り」「春山行き」などとよばれる行事です。

さらに桜の花に宿る神様と過ごすことによって、身体にたまった穢れが清められるとも考えられました。

古代の日本人は、桜を愛でることを神事と考えました。

そして室町時代に寺院や武家屋敷の庭園がさかんにつくられるようになると、武士たちは庭の桜を見て、「よけいなこだわりを捨てて、散るべきときは潔く散ろう」と感じたといいます。

桜の花はこのようなものだったのですね。

私たちも花見を機に日ごろの嫌な思いを祓い清めて清々しい気持ちで過ごしましょう。

http://www.yamanashinouta.com/kisetsunogyouji/ohanaminoyurai.html 【お花見の由来】

花見の由来は、古来から祓(はら)いのための宗教的行事、元々は神事でお祭りだった 桜の木の下での春の楽しみといえば、お花見だ。「三日見ぬまの桜かな」と歌われたように、うっかりするとすぐに散ってしまうのが桜である。 定番のお花見といえば、桜の木の下で日頃の憂さ晴らしとドンチャン騒ぎ、その日ばかりは無礼講のようにだ。今日においてはお花見とは名目で、本当は桜は酒の肴にすぎず、飲み食いに重点があるようである。

 しかし、花見の由来は、古来から祓(はら)いのための宗教的行事だったようである。期日が設定され、野山に出かけ花を愛で、その下で楽しむことで、厄を祓(はら)い神さまと過ごすとされていた。 かつては、秋の稔りを願い、花の下でお祭りをし、花で収穫を占ったのである。開花は神様が降りられた証で、パッと散ると凶とされた。

 お花見は平安時代より貴族が始め、今の京都の二条城のあたりに天皇が行幸(ぎょうこう)し桜見物を行ったそうである。その後、貴族・武士の間で盛んになり、豊臣秀吉が行った「吉野の花見」は有名だ。 江戸時代になると庶民の娯楽として定着する。桜の季節が近づくとなぜか心が弾む。日本人にとって、花見はきってもきれない春の楽しみになってしまったのである。 お花見といえば 「桜」、何故だろうか? 「花」といえば「桜」をさすほど日本人にとっては大切な花となった。

 また桜は山の神が降りてくる時の目印になる木として、特別に神聖視されており、お花見に付き物のお酒も、本来は神に供えたお下がりを皆でいただくものであった(今は、全く本来の意味を忘れてしまっています)。

 さくらの「さ」は山の神さま(田の神さま・稲の神さま)、「くら」は山の神さま(田の神さま・稲の神さま)のおわします座を意味し、桜の木は神様の依り代である。 また、「咲く」から来ているという説もあり、花といえば桜、咲くといえば桜だったとしたら、これも長い歴史の中で日本列島に受け継がれてきた精神的遺産(無意識の日本人好みの花として)ということだろうか。