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あの日から10年

2020.03.28 12:00

本日、2020年3月28日は私の大好きな(父方の方)じーちゃんの命日。

今年でもう10年になるらしい。

私にとってじーちゃんは最強にかっこよくて優しくて誰よりも大好きな人。

今日はそんなじーちゃんの話。


じーちゃんとは生まれた時からずっと同じ家で暮らしていた。

私はじーちゃんと毎日散歩をするのが日課で、よく遠くまでどこまでも散歩に出掛けた想い出ばかり。


幼稚園生の頃の散歩は今も忘れられない想い出がある。


私は幼い頃、親に甘い物を禁じられていてアイスなんか以ての外。

なのに、じーちゃんは散歩の帰りに『パパとママには秘密だぞ!』と私に、パイナップルアイスを買い与えてくれたのに、私ったらドジだから開封直後地面に落として半べそ。笑

そしたらじーちゃん、慌てて水で洗ってくれてさ。笑


優しいじーちゃんでした……。


夕方は笑点を一緒に見る。コレも日常。

そんな想い出。

じーちゃんとの想い出は全部、オレンジ色の良い思い出ばっかり。


そんなじーちゃんはある日、『体調良くないから朝飯要らない』と朝起きたのにスグ寝室に戻った。

その後、心配した母はおにぎりを握り、私と父で寝室に向かった。

私が『じーちゃんおにぎり持ってきたよ〜!』とルンルンで寝室に入ると、口から血を流したじーちゃんの姿。


私は泣き叫び、母は混乱して119番の番号すら思い出せない始末。


脳梗塞でした。


それから亡くなるまでの数年、ずっと入院生活。


しかし亡くなるまでの病院生活での想い出も沢山ある。


毎週日曜は家族みんなでじーちゃんのお見舞いに行き、それまであった話や世の中の話。数時間の幸せでした。


学期末には成績表を持って遊びに行き、どう考えても成績の悪い私の成績表を見て『おー大したもんだー!』と全力で褒めちぎってくれる。それが嬉しくて嬉しくて。


私の七五三の時は一時外泊という事で我が家に戻り、みんなで近くの神社に七五三のお参りに行き、みんなで記念撮影。


『綺麗だなぁ~大したもんだなぁ~』とやっぱり褒めちぎってくれるじーちゃん。

その時間があまりにも幸せでした。


時は10年前。

今まで体調が基本安定してたじーちゃんが、新年の一時外泊後に体調を崩した。


医者から、『危篤』と告げられた。

当時の私は、危篤の意味を知らなかったので、携帯の辞書でその言葉を調べたら、死にそうだ、という事を知った。


その告知の後、当時通ってた塾で私はボロ泣きして勉強どころじゃなかったなぁ。笑


一時、意識も安定して会話が出来る程だったのに…気が付いたら、危篤患者が入る部屋に移動し、沢山の管で繋がれて、その時はもう会話すら出来ない状況。


親戚が沢山集まり、病院に寝泊まりの日々。


ある日1回家に戻る事を決めた母と妹と私は帰宅し、すぐに病院に戻る為急いだ。

しかし…あと数分で病院というのに、1本の電話がかかってきた。

電話の相手は、ボロボロになった父からで一言、『逝っちゃった。』


病院に着くと、親戚のおばさん達に慰められてる父。その時初めて父が泣いてるのを見た。父はその日しか泣かなかった。父は強い…。


私はじーちゃんの元に駆け寄った。

そこには管が1本も繋がらないじーちゃんが横たわってた。

やはり辛かったのであろう。

死に顔がまだ強ばっていた。


そうしてじーちゃんと一緒に家へ帰った。

桜が舞い散る時期でした。


葬式はなんと、2週間後でした。

どうやら季節の変わり目は亡くなる方が多いとか。

葬儀場がどこも混みまくってて2週間の間ずっとじーちゃんと過ごしました。

悲しいけど、こうしてゆっくり一緒に居られるのがちょっと嬉しかったり。


生前じーちゃんは町内でもトップクラスの歌声の持ち主で、家にカラオケとミラーボールを設置してしまうくらい歌好きでした。

自分が歌った録音テープが沢山残されていて、ちょっとした遺言で『死んだらずっと流してくれ』との希望があったので家でも葬儀場でもずーっとじーちゃんの歌声が鳴り響いてました。

 

私はその歌声を聴きながら、冷たくなったじーちゃんの横で毎日一緒に寝てました。


死人と寝るなんて怖い!とか思う人もいると思うが私はそんなんどーでも良くて、とにかく一時も離れたくなかった。


ある日不思議な出来事が起きた。


風ひとつない部屋なのにロウソクが不思議な揺れ方をしている。

小学生の私にはその揺れ方的に、もしかしたらじーちゃん?と思ったので、ある実験をする事にした。


『じーちゃんはこの饅頭とこの饅頭どっちが好き?片方あんずが食べるから半分こしよ?』死人に向かって頭がおかしくなったかと思われても仕方ない。

しかしどうしても試したかった。 


『こっち?』(ロウソクは止まる)

『それともこっち?』(激しく揺れるロウソク)


やっぱりそうだ。この炎にはじーちゃんの魂が宿ってる。そう確信した私は楽しくなって、喋らないじーちゃんに向かって毎日話しかけロウソク越しに会話をしていた。


そう言えば、2週間みんな暇してたもんだから、我が家の住所には688という数字が入っていたので688羽の鶴を折った。


じーちゃんが無事に天国に行けるように。


そうしてるうちに、とうとう出棺。

葬式が始まる。


生前、じーちゃんは沢山の友達に恵まれ、沢山の信頼を買っていたじーちゃんの為に有り得ないくらいじーちゃんの最後に立ち会ってくれた。


嬉し悲し……。


お通夜が終わり、みんなで精進祓いの時、私は1人棺桶の色が変わるまでじーちゃんの前で泣き崩れた。


そしていよいよ、告別式、火葬。


その日珍しく早起きした私はじーちゃんとの最後の時間を堪能しとこうと朝からずっと傍で話しかけ続けた。

誰もいない、ロウソクの明かりだけの暗い部屋。

『じーちゃん、もう起きないと、今日燃やされちゃうってよ。起きてよ。』

当たり前だよな。起きるはずがない。

でも顔を覗くと、亡くなった時の苦しい顔とは変わって、少し優しい顔になってた。


告別式、私と妹はお別れの手紙を読む係を引き受けたので随分前から手紙を一生懸命書いてた。

涙で話せなくなるのが嫌だったので私は必死に涙をこらえ、いよいよ手紙を読む時間。


それまでの話、感謝してること。全部全部伝えた。

周りの大人は私の手紙に涙していた。


さぁいよいよ火葬場へ。

最後のお別れだから近くに行きなさいと背中を押されたのに私は、何だが嫌で嫌で、少し後ろから焼き場のドアが閉まるその瞬間、目をつぶった。


時間が経ち骨になったじーちゃんを見た。

688羽の鶴のお陰でか、じーちゃんの骨はカラフルでした。笑


そうして全てが終わった。



10年経った今年。

特に何も無い。

けど、やはり今年も桜が舞い散っている。


じーちゃんを忘れたことなんて1度もない。

じーちゃんは私にとって本当に大切な大好きな家族です。


じーちゃん。

最近はどうしてるかな?

会いたい人には会えてる?


世間はコロナウイルスでてんやわんやしてますが私はなんとやってます。


今も変わらずあんずはじーちゃんが大好きです。