【有料メルマガのご案内】<今回は特別全文掲載>「宇田川敬介の日本の裏側の見えない話」 第37話 生物兵器開発中に事件が発生したと噂されている新型コロナウイルスのパンデミック 9 「想定外」対応に即
「宇田川敬介の日本の裏側の見えない話」
第37話 生物兵器開発中に事件が発生したと噂されている新型コロナウイルスのパンデミック
9 「想定外」対応に即応できない日本と緊急事態対応そしてこれからどうなるのか
新型コロナウイルスについてみてきました。
実際に様々な観点からこのことが見ることができます。
まだまだ検証が足りないような気がしますが、いったん、この第37話は京で終わりにして、少し来月からは話しを変えてみたいと思います。
さて、すでに書いたように、現在の政府の対応がもどかしいのは、まさに、国会が空転しているからであって、政府は現在「主権者である国民」に対して命令できない状態にあります。
命令できないというのは、ある意味で「命令をする権限がない」ということになります。
常に、今回の対応で政府が「要請」(例えば、外出自粛要請など)というようになっているのはそのようなことになります。
そのようなことから、自粛要請の中でもさいたまアリーナにおいて格闘技K-1が開催されてしまい、埼玉県知事が個人的に怒りを表明できても、それ以上のことができないということになるのです。
3月28日からの週末に関しても東京都は感染防止のために外出自粛要請をしていますが、しかし、外出をしても罰則がないというのはこのようなことなります。
強制的に外に出る人をすべて罰するまたは拘束するというのは「戒厳令」であり、いくら「ロックダウン」などとカタカナで表現したとしても同じ効果になってしまうということになるのです。
この状況において国民の選択は二つしかないということになります。
一つには、「自粛」というあやふやな状況と指針を得ることによって自主的に物事を行うということになります。
つまり、国民の一人一人が自覚と責任を持って行動するということになり、「要請」であってもよほどの例外がない限りにおいて、祖の要請が守られるというような状況になるということになります。
ある意味で、昭和、特に戦前の日本はそのような統治がなされていたと記憶しています。
まあ、私としては、昭和の記憶しかなく、戦前は生まれていないので、何とも言えません。
しかし、その流れをくむ戦前の人々というのは、まだ多くいましたのでそのような話がよくわかるようになったのではないかと思います。
実際に、当時は「そんなことをしたら世間が許さない」「他人の目を気にする」「おてんとうさまが許さない」などの話がたくさんありました。
また、子供が町でわけのわからないことをしていれば、全く知らないおじさんに注意されるなんて言うことも私の小さいころはよくあったと記憶しています。
また、我々の親も、それでよかったし、その見ず知らずの人にお礼を言うなどのことが普通にありました。
ある一定程度の常識という不文律があり、その不文律の枠の中で自由にしていながら、その外側に言った場合は地域社会やコミュニティが、その参加者の一人として、その中の逸脱者を注意するというような状況にあったのです。
当然に、そのような不文律を守らない人々には「村八分」などの制裁が食得られていたと思います。
このようなことは少なくとも地域コミュニティにおいて、そのコミュニティないの連絡がうまく言って居り、その構成員の連携がしっかりしているというような状況でなければなりません。
残念ながら核家族化、そして核個人化が進んでしまった現在の日本にはなかなか難しいかもしれません。
よく言われることですが、「壁一枚隣の人のことがわからない」ということが言われるのが現代の都会の生活です。
現在でも「都会」における「虐待」や「犯罪」が警察がくるまで気が付かない、また多少物音がしても無関心ということはよくある話です。
そのような状況で、緊急事態だけ何か力を合わせ「自粛要請」だけで対処するというのはかなり難しい話ということになります。
そうなるともう一つの方法ということになります。
つまり「命令」です。
命令というのは、その内容をやらなかった場合に、よほどの事情がない限りにおいて、罰せられるということになります。
もちろん罰則は「注意」だけかもしれませんが、「命令」は強制力を伴うことになるのです。
これは「命令」または「罰則がなければ従わない」とう前提になります。
要するに「自粛」で行うよりも民度が低いということになります。
一方で、民度が低いという話だけではなく、それだけ日本は戦前よりも「権利ばかりを言うようになってしまった」ということになるのではないでしょうか。
では「命令」をするためには、「法律的根拠」が必要になります。
ここが「緊急事態条項」というものになります。
もちろん憲法改正で入れられれば良いですが、今回日本では特措法ということで行っています。
基本的に「特措法が憲法違反」と判断されることもあるんですね。
そのような不安定な状況で国民を守れるのかということはかなり疑問です。
このように、政府そのものは万能ではないので、基本的には憲法などの法的な安定性がないと困ります。
そのような状況でなければならないということになります。
もちろん、政府に強力すぎる権限を出してしまっては話になりません。
しかし、ある程度の権限を渡さなければ守ってもらえないということになります。
日本人は「自粛要請」で護れない状況になってしまっているのですから、その場合何を我慢しなければならないのかということになります。
単純に、緊急時というのは「義務と責任」が問われるところです。
そのために、様々なところで「権利が制限されて義務と責任が問われる」場面が出てくることになります。
権利を主張するようなことしか知らないマスコミと野党には難しい話かもしれませんが、実は日本は「他人のため」「社会の目」というようなことを言ってやってきたことです。
いつの間にかわがままになってしまっています。
このように日本人の場合は緊急事態に対して非常に脆弱な状況になってしまっています。
このことはしっかりと考えないと日本は緊急事態が非常に大きな問題になります。
さて、もう一つの問題は、今後どうなるかです。
オリンピックの延期で見えたように、これらの「世界的な問題」の時は様々なことが起きます。
緊急事態なのは日本だけではありません。
そこで、今後のことを見てゆきましょう。
当然に、今回の内容で世界各国が大きな被害があったことになります。
中国は、今回の件をアメリカの郡がばらまいたといい始めます。
明らかに武漢で発生し、その武漢における感染を封じ込めることなく、春節休みで世界各国に保菌者が移動したことによって広まり枚sた。
本来、これらのことは「菌の発生」「菌の封じ込め(拡散防止)」ということを考えないといけません。
少なくとも中国政府は「拡散防止」という観点では、全く防止策を行っていなかったことは間違いがないということになります。
そこが故意であるか重過失であるかわかりませんが、いずれにせよ、その拡散防止を行わなかったことに関して責任を負う必要があります。
それにもかかわらず、その拡散防止の責任を棚に上げてアメリカを非難するということになっています。
一方、この拡散防止を行わなかったことで、様々な国で多くの人が犠牲になっています。
イギリスではチャールズ皇太子やジョンソン首相が、カナダでは首相夫人が、イランでは副大統領や革命防衛隊の将軍が、罹患しています。
このことによる政治的停滞や経済的損失をどのようにするかということになります。
もちろん、中国がすべて補償するということではないかもしれません。
しかし、そのことを他国非難に切り替えてよいというものでもありません。
アメリカでは中国政府に対して補償を求める訴訟が起こされています。
このような動きは今後大きく影響することになると思われます。
つまり、「責任の押し付け合いから国家間感情が悪化する」ということが予想されるのです。
一方で、経済はどうなるでしょうか。
今回のことで「人の往来がすべて禁止される」ということになりました。
もちろん、そのことによって金を封じ込めるということになります。
しかし、それだけではなく、ものが入らなくなるということも増えたのではないでしょうか。
単純に中国が休業しているので物がないとか、中国がマスクを止めてしまっているので日本でマスクがないなどのことが起きています。
これらのことは「中国を相手にした貿易が成立しない」ということになります
日本だけではなく、様々な国がそのように思っているでしょう。
そのうえで、中国が「支援」という形でマスクなどを出しています。
しかし、そのマスクはもともと日本の企業が投資し、そして日本で消費するものの在庫でしかなく、日本のものを中国政府が奪っているだけなのです。
そのような「経済の自由」を排除することが許されるでしょうか。
このようなことが重なると中国の孤立化が始まります。
当然に、日本は中国以外の国との間に、様々な経済協定を結ぶことになりますし、また世界が横断的にできていることがなるべく他の国に出ないようにするというような形になります。
その中でどのようになってゆくかと言えば、当然に、「ブロック経済化」してゆくことになるのです。もちろんその時になったら詳しく話します。
しかし、ブロック経済というのは、「資源国」「生産国」「消費国」ができていないと話になりません。
つまり、中国がどのように頑張っても一カ国では何もできないということになります。
しかし、その事態を引き起こしたのは「自由経済の枠を壊した中国」ということになります。
この解決は「戦争」しかなくなります。
ある意味で、第二次世界大戦と同じような枠組みになってくるということになるのです。
このコロナウイルスからそのような話になってくるのです。
もちろん、ここでは概略しか書きませんが、そのような流れが「最悪のケース」として考えられるということだけは見ておかなければならないでしょう。
逆に言えば、今のうちに緊急事態に対する対処を冠がてえ置かないと、日本は対応できなくなってしまうのではないでしょうか。
さて、そろそろお時間です。