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うさねこまったり

病気と私 4

2020.03.28 16:13

本文のおかしなところは、随時修正していくつもりです。

お気づきの点などありましたら、どうかコメント欄で教えてください。

よろしくお願いします。


----- 養護学校と国立療養所 -----

私が転入した養護学校の歴史が記載されたホームページを見つけましたのでリンクしておきます。

宮城県立西多賀養護学校

https://nishitaga.myswan.ed.jp/history/tama

このページに記載されている「菅原進」さんは、私が小さかった頃、病院内でよくみかけた。

用務員さんみたいな恰好をしていていつも箒と塵取りを持っていたたので、そのまま用務員さんだとずっと思ってたのだが、ある時「進先生と言って、ベッドスクールを作ったすごい人なんだよ」と教えてもらったことがある。

1975年3月

国立西多賀病院入院・県立西多賀養護学校転校

私は、自分のことすらまもとにできず、学校の勉強も全然できないダメ人間でした。そして田舎で家族とだけ過ごしてきたので、食事の作法を含む集団生活での振る舞いはとても酷い物でした。

学校の勉強は、どうせ分からないので諦めていました。

一般の授業では、その時間が終わるのをただ待ち、話が脱線して勉強ではない話を聞くのがとても好きでした。

理科の実験も好きでした。動物の飼育はもっと好きでした。


最初の壁は、方言でした。

「だっぱい」私はすぐにあだ名でこう呼ばれるようになりました。

(余談ですが、数か月後に実家に帰ると今度は父から「だっちゃ」と馬鹿にされるようになりました)

このあだ名は、私が宮城県の言葉を使うようになってもずっと続いていました。馬鹿にされているということだけはとてもよく理解できるあだ名です。

勉強はできないし、集団生活の振る舞いもまるでダメ、出血のため歯磨きもできなかったので虫歯だらけ、どこをどう見ても・・・・という感じで、いい所なんて探しようもなかったので、悔しいとさえ思いませんでした。

私の母がひどく気にして、同室の友達に名前があるんだから名前で呼んでくれと頼んだ直後に、自分が「~だっぱいね~」と方言を口にしてしまいその場にいたスタッフと一緒に自分も笑ってしまったというエピソードがありました。

ともかく、自他ともに認める、ダメな人だったんです。


部屋は6人部屋でした。

同室に同じ病気の子が一人いて、その子は体も大きく私と違って関節障害もなかったために、普通の子どもと何もかわらないように見えていました。偶然とはいえ、名字が同じで、名前も長男次男の組み合わせになっていて、知らない人がくると兄弟とよく間違われました。

彼は威張っていましたし、頭も良かったので、こんなダメな奴と兄弟と思われるのは嫌だったと思います。

そして、同じ病気の子どもがいる以上、自分が具合悪くなった時に、自分だけがつらい思いをしているという主張はできなくなりましたし、頻繁に体調を崩せば、私の行動いかんによることが原因だと言われることになります。

初めのころは、尿瓶をベッドの真下の手の届かないところに置かれてしまったり、無視されたり笑われたりと、色んなことがありました。

同じ病棟には、血友病患者の他、側弯症(そくわんしょう)、大腿四頭筋短縮症(現在では拘縮症と呼んでいるのかな)、ペルテス病などの子どもが多く入院していました。

ベッドスクールという名前の通り、病室の入り口ドアが黒板になっており、授業開始時間近くになると、それぞれの部屋から同じ学年の子供たちがベッドで移動してきて一か所に集まり、先生がそこに来て授業をするというスタイルでした。

私は馬鹿にされてはいましたが、ある程度は動けたので、ベッド上から動けない人たちにとっては、落としたものを拾ってもらわなくてはいけないなど、何かしらの世話になる相手でもあったので、それほどひどい扱いを受けていたということはありません。


今でも記憶に残っている自分がものすごくだめだったことを書いておきます。

食事の時、食堂のテーブルでみんなが使う醤油瓶なんですが、使うと少し垂れて瓶に付きますよね?

我が家では、その垂れた醤油を注ぎ口まで舐めていたので、病院でも同じことをやったら、「何てことをするんだと」ものすごく怒られたました。

私はと言えば、普段と変わらないことをしているのになんで怒られているのかさっぱりわからずきょとんとしていたら、あまりの非常識さに呆れられてしまったということがありました。

一端がこれですので、どれほど常識はずれなことをしていたのか少しはわかってもらえるかと思います。


集団生活というものを、この時から嫌というほど教え込まれます。

どこにも逃げる場所はありません。

言うことを聞く以外にどうしようもない。

そんな環境の中に入ったということです。

そして、私が社会の中で生きていくために必要なことでもありました。