ジョゼフィーヌという生き方4 破局
アレクサンドルは、以前家庭教師だったパトリコル氏に当時の心情をこうつづっている。
「私は自分の立てた計画にのっとって自分で妻を教育することは諦め、わたしに代わって教育してくれる人に妻の教育を託そうと決心しました。話などできない物のような女と向かい合って一日の大半を家で過ごしているよりは、出かけたほうがましだと思うようになったのです。」
アレクサンドルの夢は、当時流行のサロンを自宅で開き、妻ジョゼフィーヌをその主催者とすることだった。当時、社交界の名士たちは、妻にサロンを開かせ、そこに通ってくる一流の芸術家や学者たちと激論を戦わせるのを楽しみとしていた。しかし、ジョゼフィーヌは、学問を積み、自分の知識を増やしていろいろなものを理解していくことを楽しいと思わない女性だった。彼女の心は、着飾って踊りに出かけたり、人々にちやほやされたいという気持ちでいっぱいで、夫の意向に従って長く机の前に落ち着いていることができなかった。二人の求めるものはまるで違っていたのだ。アレクサンドルは、もっとウィットに富んだ会話のできる相手を求めて社交界に入り浸り、家に帰らなくなる。結婚前の愛人ロンプレ夫人ともよりを戻す。
それでも結婚して2年になろうとする1781年9月、長男ウジェーヌが生まれる。ジョゼフィーヌは幸せだった。家族の期待通り跡継ぎを産んだだけでなく、夫が初めてやさしさを見せてくれたから。しかし、それも長くは続かない。アレクサンドルは11月にはイタリア旅行に出かけてしまい、なんと翌年の7月末まで9か月間も家に帰ってこなかったのだ。そして戻ってきたかと思うと今度はマルチニック島へ行きたいと言い出す。この島をめぐってイギリスと戦争になりそうだったので、戦功を立てて出世したいからという。ジョゼフィーヌは必至に引き留めるも、アレクサンドルは置手紙を残して夜の間に出発してしまう。彼は旅先から妻にせっせと手紙をよこす。そこには、自分が妻をいかに愛しているか、栄光のためとはいえ、愛しの妻のかたわらを離れるのがどんなにつらいか、美文調の大げさな文章がつづられていた。しかしジョゼフィーヌはあまり返事を書かない。さすがにジョゼフィーヌもこの頃になると、夫と幸せな生活を送ることをあきらめてしまったようだ。アレクサンドルは、そんな妻に今度は「打ち捨てられた夫」の役を演じて見せる。
「ここで船に乗るのを待っているのは皆、僕より幸せな男ばかりだ。彼らの妻はもっとやさしさにあふれ、夫の不在に涙を流し、そのことを夫に言ってよこすのだ。僕はと言えば、たぶん妻の愛情に彼ら以上に値しているはずの僕はといえば、打ち捨てられたままなのだ」
どこまでも自分の事しか考えない幼児的自己中心性の塊のような男。だいたい、アレクサンドルがさみしいわけがなかった。彼は一人でマルチニック島に向かったのではない。愛人ロンプレ夫人も一緒だった。そしてこのロンプレ夫人がジョゼフィーヌの人生を大きく変えることになる。彼女の夫はアレクサンドルがジョゼフィーヌと結婚する直前に亡くなった。だから、ジョゼフィーヌさえいなければ彼女はボアルネ子爵夫人になれたのだ。彼女はアレクサンドルとジョゼフィーヌの関係を引き裂き、彼を自分一人のものにしようともくろむ。彼女たちがマルチニック島にいる間に、ジョゼフィーヌが長女オルタンスを産んだという知らせが届く。ロンプレ夫人はアレクサンドルに言う。標準の懐胎期間から計算すると、ジョゼフィーヌが懐胎したのはアレクサンドルがイタリア旅行期間中になる、本当にあなたの子なの?追い討ちをかけるように、ジョゼフィーヌが結婚前、派手に男遊びをしていたと島の人間から聞いたと。アレクサンドルはみずから妻の「前歴調査」に乗り出す。そしてかつてジョゼフィーヌに「嫉妬など下賤の人間のすることだ」と説教したことも忘れ、嫉妬で度を失ってしまう。そして自分より一足早くパリに戻るロンプレ夫人にこんなジョゼフィーヌ宛の手紙をたくす。
「貴方は私にとって最下等の女だ。この地に滞在してみて、あなたのおぞましい行状を知った。・・・改悛などということをあなたに求めはしない。あなたはそんなことができる人ではない。・・・あなたにも身の振り方を決めてもらいたい。・・・もし我々が同じ屋根の下に住み続ければ、あなたは周囲の人間に自分の考えを押し付けることのできる人なので、この手紙を受け取り次第、どうか修道院に行ってもらいたい。」
ジョゼフィーヌはともかくアレクサンドルの帰国を待つ。しかし、帰国後もアレクサンドルは態度を変えない。義父の侯爵や叔母のルノーダン夫人が誤解を解こうと努力してくれたが無駄だった。マルチニック島の父母は、島に滞在したアレクサンドルが自分の娘の不品行を暴き立てるようなまねをしたと知り、そんな男のもとを去り、島に戻ってきて平穏な暮らしをしたらどうかと勧める手紙をよこした。ジョゼフィーヌはどうしたか?なんと夫の命令に従って修道院に入ったのだ。一体なぜそのような決断をしたのだろうか?
アニセ・シャルル・ガブリエル・ルモニエ「マダム・ジョフランのサロン」マルメゾン城
ジロデ=トリオゾン「オルタンス・ド・ボアルネ」アムステルダム国立美術館
後に、ナポレオンの弟ルイ・ボナパルトと結婚。ナポレオン3世の母となる。