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コロナと人に関する幾つかの考察

2020.03.29 12:43

数週間前から比べると、新型コロナはだいぶ大変な状況になってきた。


もう、正確に感染者数を数えられないくらい増えてしまっただろうな。




コロナに対してどのように動くかは、基本的には以下の3つのパターンに大別できる。


1:全ての用事をキャンセル、もしくは家でやれる形にして、ひたすら自宅待機する人


2:仕事では外出しなければならないが、それ以外の時間は自宅待機する人


3:仕事も遊びも、普段通り過ごす人



今は、3の人たちが大いに叩かれている風潮だなあと思う。


個人的には、みんなが自粛ムードになって家に閉じこもって、人と人とのつながりが希薄になって、みたいなのは、かなりしんどいことだ。


会いたい人に会えないこと、やりたいことができないことは、僕にとって相当なストレスである。


しかし、幸か不幸か、僕の周りの人はほぼ「今は会わないでおこう」という意見であるため、僕も自宅待機みたいな状態にある。


結果オーライなのだろうか。


でもさみしいなあ。




ただ自宅待機しているのは悔しすぎるので、言いたいことを言おうと思う。






日本は法治国家で、議会政治なので、国全体のリーダーは我々が選挙で決めた政府ということになる。


そのリーダーは、国を守ることが仕事なので、国民に不要不急の外出を控えるように言うのは当たり前である。


それがその人たちのすべきことだから。



だから、感染拡大が一概に、一部の人々の行動に責任がないゆえのこと、と決めつけるのは早計な気がする。


外出して仕事に行くことが「すべきこと」の人もいる。


その中にはさらに、自分たちの提供するサービスにお客さんが来てくれないといけない、という人もいる(飲食業、アミューズメント施設、ホテル業、風俗業などは、今てんやわんやだ)。


そういう人たちにとっては、遊びに来てくれる人はかけがえのない存在である。



そして、遊ぶことが「すべきこと」の人もいるだろう。


普段通り過ごすことが「すべきこと」の人もいるだろう。


「不要不急」は人によって定義が異なる。


今しか会えない人と今この時にやりたいことをすることを何よりも大切にしている人に、「それは不要不急だろう。外に出るな」とは僕は言えない。


例えば僕が「今は友達が大変な時期なんだからお笑いなんかやるな」と言われても、それは難しいのと同じように。


人にはそれぞれ事情があるわけで。


社会は需要と供給、生産と消費で成り立っているわけで。




沈没船に乗っている日本人を海に飛び込ませるためには、船長は「他の人はみんな飛び込んでますよ」と言えば良い、というエスニックジョークがある。


他の人と足並みを揃え、そこからはみ出る杭は打つのが日本人の国民性みたいだ。


だから、あえてはみ出し気味のことを書いて、それぞれの人に考えてもらえたらいいなと思いながら書いている。




自分の思考と向き合うのが面倒くさい、怖い、という人が多い気がする。


どうせ自宅待機しているこんな時だからこそ、自分の思考と向き合ってみたらいい。


特に、あまり考えずに外出している3の人、そしてあまり考えずに3の人を叩いている1や2の人に。




例えばこんなケースを考えてみよう。


ケース1

あなたは、プラスチックゴミをムダに出してはいないか。それにより、埋め立て地が足りなくなり、ゴミが海に流出し、自然を破壊しているというのに。


ケース2

あなたは、電子機器を使いすぎてはいないか。それにより、大量の電気をまかなわなくてはいけなくなり、原子力発電所ができて、福島であのような悲劇をもたらすことになったとも考えられないか。



しかし、(僕も含めて)今の人はプラスチックも電気も、ナシでは暮らしていけない。


自分の行動がどこまで影響を及ぼしているかは、考えると正直キリがない。


だからこそ、それぞれに自分の哲学を持っていてほしいのだ。


考えることを放棄して、なんとなく周りに合わせた行動をして、自分の可能性を狭めてほしくないのだ。


外出を促しているわけでは決してない。


それぞれが、自分の判断基準をどこに持っているのかを自覚すべきだということだ。


人にこう言われたから自分もこうする、ではなく、自分の哲学とちゃんと照らし合わせて、咀嚼して、判断することが大切なのだ。


それを、「なんとなく」自分もこうしている、という人たちに強く言いたいなと思う。





そしてもう1つ。





自分とは違う判断基準の人をただただ否定して受容しようとしない、というのは良くないと思う。


理解ができなかったとしても、同じ世界に暮らさなくてはいけない仲間を、受け入れることはすべきだ。


その上で説得を試みるのは、大いに結構なことである。


あなたが「そんな考えをする奴がいるなんて理解できないわ」と言ったその言葉が、その人を深く傷つけ、もしかしたら死に追い込むことにだってなるかもしれないのだ。


自分の外出によるウイルスの媒介がお年寄りを死なせてしまうかもしれない、というのと同じくらい、責任を持つべきことなのだ。


そして、自分の判断や言葉に責任を持つには、やはり考えることしかない。


他人の受け売りではなく、自分で情報を集めて、良いなと思ったものを自分流に組み合わせて、アレンジして、自分の哲学とするのである。


その上で多少の矛盾が生まれてしまうのは、しょうがないと思う。


それが人間だから。






今は、人類が試されているのだと思う。


人もモノも全世界を行き来するようになり、それぞれの集落の人が外界と接しない暮らしをする、ということはできない世の中を作り上げてしまったのは我々なのだから。



そして、人間力も試されている。


これで人々が疑心暗鬼になったり、意見が合わずにバラバラになって、人間関係の部分でも崩壊しないかどうか。




だから、みんな考えなくて良い作業ゲームをして時間を潰すだけでなく、考えずに見られるYouTubeの動画を見て時間を潰すだけでなく、自分の思考と向き合う時間を過ごしたらいいなと思う。


なので、明日は、家でできる「考える」「生み出す」遊びについて書こうと思う。


この辺で擱筆。

写真は「天気を司る神様は、外出は控えよとヒントを出してくれているのだろうか。」