病気と私 5
1976年7月3日(小学3年生)
祖父が脳溢血で亡くなった。
入院中の病院で、看護師長から伝えられた。
いつも怒っているような口調で話をする人だったが、妙に神妙な顔で、とても静かに話し始めたことをよく覚えている。
「落ち着いてね、よく聞いてね。おじいさんが亡くなったの、死んじゃったのよ。それで、お兄さんが今日迎えに来てくれるから、お兄さんが来たらすぐに家に帰れるように準備してね。準備はあわてなくていいからね」
気を使って話をしてくれたのだと思うのだけれど、それをショックに思うほど私は大人ではなかった。頭が悪いせいもあったかもしれないが、この時はたぶんちゃんと理解できていなかったんだと思う。
当時、高校3年生だった兄が私を迎えに来てくれた。 病院からどうやって家まで帰ったのかまったく覚えていない。不謹慎極まりない話なのだが、大好きな兄が迎えに来てくれて、家に帰れるということがとても嬉しかった。
祖父は当時、かなり呆けていて、道路の真ん中を堂々と歩いて、その後を何台もの車がクラクションを鳴らしながらついて進んでいたり、酷いときには、電車が来るのに線路上を平気で歩き続け、汽笛を聞き慌てた父が泣きながら走って行って線路から突き飛ばして助けると、「何をするんだ!」と激怒するような状態であった。 (この話を父は何度も私に話している)
私が覚えている祖父
祖父は自分のことで何か言われると、怒って見境がなくなり、祖母を縁側から突き落としたりした。 相撲を見るのが好きだったが、テレビの前でいつも寝ていたので、私がチャンネルを変えると、見ているんだから変えるな・・・と怒られた。
いびきをかいて寝ているのに、何故チャンネルを変えると起きて怒るのか分からなかったが、悔しいので、寝る時に使っていた”籐で編まれていた枕”を奪い取って、二階のベランダに逃げた。
私には、計画があった。
二階のベランダの入り口は二箇所あったので、片方から素早くベランダにでて、祖父がおいかけてベランダに出たら、反対側の窓から部屋に戻り素早く窓の鍵を締め、走って祖父が入ってきた窓をしめて鍵をかけベランダから部屋に戻れなくする計画だ。
私はびっこをひかないと歩けないような状態ではあったが、当時の祖父は更に動きが遅かったのだ。
そしてこの計画は見事に成功した。
私は、大喜びでテレビの前に戻り、アニメを見始めると、なんとすぐに祖父が外から家の中に入ってきた。
これにはさすがにびっくりして慌てて逃げて隠れた。
祖父は、二階の屋根まで届いていた楓の木を伝って下まで降りてきたのだ。
祖父はまた何事もなかったかのようにテレビの前に来て、お気に入りの”籐で編まれていた枕”の上に頭をのせて横になった。
しかし、私がどれほどいろんないたずらをしても、祖父は決して私を怒鳴ったりはしなかった。
そんな祖父であったが、近所の人が、あんなに呆けていたのに「もうすぐ夏休みになると孫が病院から帰ってくるんだ」と嬉しそうに話していたんだよと言われて、どうにも切なくなった。
人の死というものを初めて知った時のことだ。
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