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短編「しずかな草原」

2020.03.30 15:04


 しとしとと芝生にしずむ水の音がやけにリアルだった


 牛飼いのこむすめが芝刈から帰るのを感じると、わたしはそっと色のはげたサーフボードの裏に隠れる。

牛飼いのこむすめは静けさをまとっていて、まるで命がけのゲームだった。

それに呑まれないようにこの家のものたちは息をひそめている。


 わたしは、極めて正確にサーフボードになりきった。呼吸をこの家の空気の深いところであわせ、溶けこみ、わたしを消した。そうすればもう完全に、わたしはサーフボードだった。

いつしか共に呼吸を忘れてしまった世界の音が、次第にはっきりとしてくる。


 脆弱なリスがきのみをかじる音でわたしを取り戻したとき、もうこむすめはいなかった。


 外に出ると絵の具をうすくのばしたような空が広がっていた。現実味のない、どこか異国のようなスモーキーさで。


近くや遠くでは、何者かのささやきが聴こえる。耳をすましてみるとかんたんな小川の音にかわり、離せばまたささやきに戻った。まるでいたずらな山自身と会話しているような気分になった。


 ほかに何もふくまず、含む必要のない清潔なくうきはもはや誰のものでもなかった。

わたしのものでもなく、また空気さえもその権利を手放して、それはつかみどころもなく心地よさそうに伸びをした。


 大地と共に呼吸し、この地と空とを循環する水の流れにまかされた、天のとおりみち。

ほんとうに誰のものでもない、処女をまとった天のそれは、わたしのからだをすりぬける。

なにもつっかかりのないわたしを通りぬけ、そうして、また世界ととけあってゆく。


わたしは目を細める。ここにしかない幸せな温度をひそかにただ、かんじていた。


「くびをしめろ」


あたたかい手が まぶたをなでた気がした。

指のすき間からのぞけば紛れもないおひさまで、けらけらと笑った。


 じきにこむすめは戻ってくる。わたしはまたサーフボードに戻ろうと、草原をあとにした。