京都神社仏閣編 勝持寺(2019年06月)
場 所:京都市西京区大原野南春日町1194
拝 観:2月を除いて無休(2月に拝観するには要予約)
拝観料:400円
拝観時間:9:30~16:30(16:00受付終了)
天台宗の寺院で、山号は小塩山、院号は大原院(だいげんいん)、本尊は薬師如来です。古くから桜の名所として知られ、「花の寺」として親しまれています。
創建につてはあまりよく分かっていませんが、寺伝によると白鳳8年(679年)に天武天皇の勅によって、修験道の開祖・役小角(えんのおずの/おずぬ)により創建されたと伝えられています。
その後延歴10年(791年)に桓武天皇の勅を奉じて、伝教大師が堂塔伽藍を再建、一刀三礼をもって薬師瑠璃光如来を刻まれ本尊とされたそうです。当初は大原寺(だいげんじ)と呼ばれていました。その後、承和5年(838年)に仁明天皇の勅により塔頭49院が建てられ、続いて仁寿年間(851年~854年)には、文徳天皇の帰依を得て仏陀上人が伽藍を整備し、寺号を大原院勝持寺と改めたと云われています。
その後、応仁の乱の兵火にあい、仁王門を除いて悉く焼失してしまいました。現在の建物は天正年間(1573年~1592年)以降に再建されたものです。
JR向日町若しくは阪急東向日町駅から、阪急バスで南春日町で下車、徒歩1.1km。
大原野神社の鳥居の前を更に西に進むと、小塩山勝持寺と刻まれた石標が建っています。
石標の方に曲がると、参道の先に仁王門が見えます。仁王門は応仁の乱の兵火を免れた当寺唯一の建築物で、仁寿年間(851年~854年)のものと考えられています。三間一戸の八脚門で、寄棟造・桟瓦葺です。
仁王門には(隣の願徳寺の?)金剛力士像が安置されています。本来この仁王門に安置されていた金剛力士像は、現在瑠璃光殿に収納されています。
仁王門を潜ってさらに参道を進みます。振り返って仁王門の裏側の方を見た景色。
右手に大原野神社に通じる小径があります。相撲場の辺りに出ます。
参道の坂道を登ると左手に、「勝持寺子院跡の石塁と石垣」の説明版と石垣があります。
更に進むと石畳の小径があり、奥で右に折れると石段があり、その先に南門があります。
境内図。
南門に入らずに前をそのまま進むと、駐車場があり、京都で一番小さな拝観寺院と云われている願徳寺に行けます。
南門を入ると正面の書院に受付があります。
受付に向かって右側には駐車場に至る東門があります。
書院の前の土塀が崩れた部分から、草に覆われた下の池(非常口近く)が見えます。
書院の横を通って小門から奥の阿弥陀堂へ。
阿弥陀堂(本堂)から上れます。
本堂正面左には手押しポンプが、左側に回ると駕籠が2台置いてあります。
本堂正面右側の回廊を通って瑠璃光殿に行けます。
瑠璃光殿(宝物殿)には、薬師如来像(本尊)(重要文化財)、薬師如来像(胎内仏)(重要文化財)、金剛力士像(重要文化財)などが安置されています。(内部は撮影禁止)
金剛力士像は、鎌倉時代の作で弘安8年(1285年)法眼慶秀と法橋湛康の銘が残っています。
阿弥陀堂の前の石段を下りると、右側に不動堂が見えます。弘法大師が平安時代の初めに、眼病に悩む人々のため、不動明王に病魔退散を礼願されました。霊験あらたかであったので、石不動明王を刻んで岩窟内に安置されたと伝えられています。
不動堂の前から阿弥陀堂を見た景色。
不動堂に上る石段の左麓に、鏡石と瀬和井の泉があります。
西行法師は、保延6年(1140年)にこの勝持寺で出家されたと言われており、その際この石を鏡代わりにして剃髪したと伝えられています。
鏡石の向かって左となりにあるのが、歌枕でもある「瀬和井(せがい)の泉」です。姿見の池とも云われています。
阿弥陀堂の正面の石段を下りて、正面右に鐘楼堂があります。
鐘楼堂の隣には、西行法師御手植えと伝わる西行桜があります。出家した西行はここに草庵を結び、一株の桜を植えて吟愛していたそうです。世人はこれを西行桜と呼び、この寺を花の寺と呼ぶようになりました。桜は八重櫻で現在三代目になるそうです。境内にはソメイヨシノなど約100本の桜が植えられています。
西行と桜の老精とのやり取りを描いた、室町時代の世阿弥作・謡曲「西行桜」の舞台となったところだと云われています。
「花見んと むれつつ人の くるのみぞ あたらさくらの とがにはありける」西行法師
鐘楼堂の脇の石段を下りると、小川(三春川)があり石橋が架かっています。
小川は歌枕として知られている「冴野(さえの)の沼」に注いでいます。平安時代中期の女性歌人・中務(なかつかさ)が詠んだ和歌が知られています。
「小塩山 松風寒し 大原や 冴野の沼の さえまさるらん」
阿弥陀堂前から小門を潜って南門を出て戻ります。
2019年06年12日撮影。