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- SORAIRO -

透徹する目

2020.04.09 03:00

こんにちは。

こころの健康支援室 そらいろのmirineです。

先月から、すっかり新型コロナウイルスに関する記事ばかりになってしまいました。


新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、世界中で人々の行動や生活の「あたりまえ」だったことが変わってきています。

日本は特に、感染拡大防止策として、できる会社は在宅勤務やテレワークの環境を整えたことで、図らずも多くの人の「働き方」が流行収束後も変わるかもしれません。

同じく学校でも、オンライン授業やオンライン学習の環境を整えたところもあるため、もしかしたら大人たちの働き方以上に、「教え方」「学び方」が大きく様変わりするかもしれません。


個人でも、集団でも、安全で平穏な時には表面化しなかった考え方の違いも、あちらこちらで見えてきているように思います。

人の生命がかかった時にどの方向を向いているのか、何に焦点を当てるのか、国民一人ひとりはもちろん、それぞれの会社、学校、自治体、国等、危険性の評価も守りたいものもこれほど違うのかと感じた人も少なくないと思います。

置かれた状況も価値観も個々に異なるので、どんなことに対してもすべての人が同じ視点で足並みをそろえるということは不可能ではあるのですが、「生命」という取り返しのつかないものに対する考え方や価値観は最低限「守る」という共通認識があってほしいと期待してしまいます。


別の記事で書こうと思っていましたが、人の本心というのは言葉よりも行動により著明に表れてきます。

新型コロナウイルスについて、政治家からも専門家からも、個人の間でも、いろいろな言説が聞こえてきます。

耳触りのいい言葉から屁理屈や詭弁のようなもの、的外れにも思えるものまで、さまざまな言葉が聞こえてきますが、言葉は取り繕えるものです。


その一方で行動は、理由はなんであれ「したい」「してもいい」と思えるものしか行動に移すことができません。

たとえ渋々嫌々行動したことであっても、何かと何かを天秤にかけて、自分にとってよりましだと思えた方を仕方なく選び、行動するものです。

行動の根元には、必ずその行動の動機となったその人の本心があります。

そういう視点で、誰が、どんな行動をとっているのかに焦点を当ててみると、本当のところが見えてくるのではないでしょうか。


「愛してる」と口にはするけど、デートの約束をしてもドタキャンはあたりまえ、借りたものも返さないというような人であれば、その言葉は信じるに値しないと感じられるでしょう。

同じように、今回の新型コロナウイルス対策についても、その対策が実施されることによって恩恵を受ける人は誰なのか、その対策からあぶれてしまう人はどんな人たちなのか、一つひとつの施策(行動)がもたらすものに焦点を当ててみると、見えてくるものがあると思います。

「国民の生命を守るため」という名目で行われる(行われようとしている)数々の施策が、本当に国民の生命を守る結果につながり得るものなのか、注意深く見る必要があるでしょう。

その人が、その人の言った言葉通りの方向を向いているかどうか。

人はいざという時ほど真と実(じつ)を問われるものです。

それは、人の集まりによって形成される会社や国等の集団でも同じことです。


言葉はツールなので、使う人によってどんな使い方もできるものです。

その言葉が、行動が、どんな動機や本心を元にしてあらわれているのか、透徹する目を養いたいですね。


あらあらかしこ