目を閉じて何が見えてきたのかをやってみた
オークランドの朝は涼しいです。
今日も洗濯日和。
風は今のところないに等しいです。
今の庭からの空の写真。
ランギヌイ神様からみなさんへのメッセージで何度かでてきた、目を閉じて自分を見つめる、目を閉じ何が見えてくるのかをやってみました。
見えてきたこと、見えてきたものを書いていきます。
・歩き初めの小さい頃の私自身、床に座って遊んでいる
・中学生か高校生くらいの私自身
・大学生の私
歩き初めの小さい頃の私から感じたこと
・周りにあるもので満足している。
・周りにあるものとは、自分の手の届く範囲にあるものすべて、おもちゃやその他の遊べるものも含むすべて。
中高生の私から感じたこと
・あれもほしい、これもほしいと思っている。
・一見澄ましている風に見え、欲望などないようだが欲しいものはきちんと自分で把握している。そして、また私には手に入らないものだと思っている。
・諦めている感じ。
大学生の私から感じたこと
・何をしてよいのかさっぱりわからない。
・周りはみんなとても大人に見えるが、私自身だけが取り残されて焦っている。
・何をしたらいいのかわからないと何度も言っている。
以上にあげたことについてランギヌイ神様にお聞きしました。
会話形式で私の部分は私、ランギヌイ神様の部分はラで書いてあります。
私「見えたものは、私の現世での過去ですか。
そして、そうだとしたらなぜそのようなことが見えたのでしょうか。」
ラ「何かとても後悔しているように思ったから。」
私「後悔でしょうか。
今まで自分の人生の中で後悔したと感じたのは一度だけ。
ここ、ニュージーランドに来たことだけだと以前にも言いましたが、そうではなかったということでしょうか。」
ラ「自分の人生を振り返ったときに、ダメだったと思ってほしくないのです。
みなさん、自分が思う以上に自分を責めていますが、それをやめてください。
そんなことをして何の意味がありますか。
自分を追い込むだけになってしまします。
自分で自分の首を絞めてどうしますか。」
私「私の場合は、それなりに自分の過去を受け入れてきたと思っていました。
もちろん、もっとああすればよかったとか、こうすればよかったとか思うことはありましたよ。
でも、そのときはそれしかできなかった、とか思っていたと思っています。
実はそれは自分自身に嘘をついていたことになるのですか。」
ラ「嘘は違うのかな。
ただ、そう思い込むことで何かに蓋をしていたかもしれないね。
見なくてはならない何かから目を背けていた。
もう一度目を閉じて、見えたことを見続けてください。
もっと何か見えてくるはずです。
そのときのあなたの感情とかね。」
私「大学生の頃の自分が見えました。
もっとみんなと話をしたり、明るく振り舞いたいと思っているようですね。
でも、実際の私は、うじうじとしていてそれができず、常に下を向いているように見えます。
そして、そうなってしまった経緯に母親からの叱責があるようです。
母親に何か怒鳴られて目を見開いて驚いている自分の姿が見えます。
完全に委縮してしまっています。
親との関係ってこんなに根深いんですか。
正直、いい加減にしてくれと思ってしまいます。」
ラ「気にしなければいいだけなのですが、見えてくるということはどこかで気にしているということなので仕方ないですよね。」
私「では、前にもお聞きしたかもしれませんが、気にしなくてすむには何かできることはありますか。」
ラ「自分のことを好きだと言い続けてください。」
私「えっと、ちょっと無理があると感じますが。」
ラ「そうですか、まだ自分を受け入れられないということでしょうか。」
私「自分で自分を受け入れられたら、悩みなんてなくなると思いますよ。
苦しくないし辛くない、素晴らしい人生だと思えるはずですよね。
あ~、やはり、私は私の人生で後悔だらけですね。
やっとここまで来ました。
自分を好きだということ以外に何かありますか。
好きだということは何かわざとらしいと感じてしまって。」
ラ「自分の好きなところとこれは嫌だなと思うところをあげていくのもいいでしょう。
自分を見つめるということをしっかりできると思いますよ。
だからと言って、それで自分を責めないこと。
まずやってみてください。
これはゆったりとした気持ちのときにしてくださいね。
そして焦らず、ゆっくりと取り組んでください。
ゆっくりというのは、10分しか時間がないというようなことではなく、もっと時間に余裕を持ってという意味です。
これをやることで、ますます自分のことが好きになりますよ。
自分を愛してください。」
私「わかりました。
やってみます。
いつもありがとうございます。」
ラ「みなさんのためですからね、いつでもどうぞ。」