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のらくらり。

想い出歌を口遊む

2020.04.03 08:56

モリミュルイス役の彼が" 想い "を口ずさんでいたという尊い事実から出来たお話。

歌を口ずさむルイスと過保護兄ズ。

ゲスト云々は捏造設定です。


アルバートに拾われる前、幼い兄弟が孤児だった頃。

子どもだった二人にはろくな遊び道具もなくて、潰れた貸本屋を寝床にするまでは手遊びや言葉遊びをして時間を過ごすことが多かった。

大人に混じって働くこともあったけれど、それで好奇心が満たされるわけでもない。

何か下手を打てば殴られることが分かっており、常に気を張り詰めていなければならなかったのだから当然だ。

ルイスは時間が空いたときは兄が教えてくれる手遊びに夢中になり、夜には彼が優しく歌う声を聴きながら眠りに就くことが習慣になっていた。

高いけれど芯があり、威圧するも誘惑するも自由自在なその声で表される歌声は、芸術に触れず疎いままだったルイスでさえ魅了するそれである。

その声と歌がルイスはとてもすきで、暇さえあれば兄の歌声をねだる日々を過ごしてきたものだ。


「兄さんはお歌が上手ですね」

「ありがとう、ルイス」


そうしてアルバートに拾われ、彼の家族を焼いて、三人だけのスタートを切ったとき。

声楽の授業でソロパートを任されたという彼が、休暇中に部屋で歌の練習をしている姿を見たことがある。

元々アルバートの声は声変わりを終えたばかりにしては安定感のある程よい低音で、耳馴染みの良いテノールボイスだ。

ウィリアムとは違った系統のその声はどちらに優劣を付けるでもなく綺麗な声で、アルバートに己の名前を呼ばれることをルイスは知らず知らずに気に入っていた。

大切な兄が己の名前を捨ててしまったのだからルイスにとっても名前など大した意味もないと思っていたのだが、そんな後ろ向きな気持ちに気付いているのか、二人の兄は大切にルイスの名前を呼んでくれるのだ。

ウィリアムは勿論、アルバートの声で名前を呼ばれることがルイスはとてもすきだ。

そんな彼が部屋で一人歌う姿を見て、思わず聞き惚れてしまったものである。

完璧主義な彼に相応しいその歌声はきっと数多の人間を虜にするのだろう。


「アルバート兄様はとてもお歌が上手なんですね」

「そうかな。ありがとう、ルイス」


ウィリアムとアルバート、どちらの兄も天性の声と音感を持っている。

優れた頭脳と恵まれた容姿だけでなく、一定した評価が難しいであろう芸術面での才能さえ優れているなど、さすが自慢の兄さんであり兄様だ。

ルイスは二人のことを他の何よりも誇らしく思うし、二人の弟で良かったと心から思っている。

だからこそ完璧な二人に相応しくない姿など見せたくないと思ってしまうのだ。


「…うぅ…」

「ルイス、そんなに顰めた顔をしてどうしたんだい?」

「君が持つせっかくの整った顔が台無しだよ」

「兄さん…兄様…」


からかいじみたアルバートの言葉には深く答えず、ルイスは持った書類に皺が付くほど握りしてめていた手の力を抜いた。

そこには十数ページに渡る楽譜がプリントされており、併せて詩のようなフレーズが印字されていた。

端的に言えばとある曲の譜面である。

ルイスが現在通うイートン校の聖歌隊が得意とするプログラムの一種だ。

何故そんなものを聖歌隊に入ってもいないルイスが持っているのかというと、ひとえに彼が優秀であることの証明に他ならない。

ウィリアムはルイスが握りしめていたその書類に目をやり、次に眉と口元を下げて困ったように表情を曇らせている弟を見た。

なるほど、と大方の察しは付いたのだが、こればかりはウィリアムの力が及ぶことではない。


「おや、選ばれたんだね」

「…アルバート兄様」

「おめでとう、ルイス。さすがだね」

「…ありがとう、ございます」


何の悪気もなく純粋に、アルバートは穏やかな表情とさすがルイスだという誇らしささえ感じさせる表情を浮かべている。

そんな彼に己の戸惑いなど打ち明けるわけにもいかず、ルイスは絞り出すように礼を言った。


「そんな声を出して…どうかしたのかい?」

「いえ…」

「聖歌隊のゲストに選ばれたんだろう?日頃の成績と芸術面での秀でた才能がなければ依頼は来ないのだから、君が選ばれたというのは喜ばしいことじゃないか」

「…そう、なのですが…」

「…ふふ」


イートン校が誇る聖歌隊は各々優れた歌声とセンスを持ち合わせており、他国にも知られるほどにレベルの高い歌唱隊だ。

日々の授業に加えて厳しいレッスンに励むストイックな彼らは年に一度だけ、その年の優秀な学生を数名ゲストに迎えて学内でコンサートを開催していた。

ゲストに選ばれるのはとても名誉なことで、名だたる貴族家の子息は悉く選ばれることが常である。

当然、アルバートとウィリアムもゲストに選ばれては聖歌隊に引けを取らぬ美声を披露した過去を持つ。

目立たずともそこらの驕った貴族よりよほど優れているルイスならばゲストに選ばれるのは納得であり、これは弟贔屓でも何でもない純然たる事実だとアルバートは認識している。

至極当たり前のことではあるが、それでも可愛い末の弟の才能が他者に見初められるのは気分が良いし誇らしい。

そんなアルバートの気持ちが伝わるようで、ウィリアムは苦笑しながらルイスの両肩に手を置いた。


「ルイス、まずはゲストへの選出おめでとう」

「…ありがとうございます、兄さん」

「もしかして、何か不満でもあるのかい?」

「…その」

「アルバート兄さん、ルイスはあまり人前に出たくないんですよ」

「それは理解しているが…本当にそれだけが理由かい?」

「…実は」


ルイスが人前に出ることを嫌っていることなど当に知っている。

この子どもは目立つことを嫌うし、目立てばその分だけ虐げられてきた過去を持つのだからそんな性分を持つのも仕方がない。

まして今は養子の三男を演じる立場になったのだから、モリアーティ家次男であるウィリアムと似た顔を誇示するわけにもいかないのだ。

だからルイスは表に出たがらないし、キングス・スカラーに選ばれたとしても報道誌の一面に写真を残すことすらしていない。

だが今はイートン校にルイスしか通っていない状態だ。

目立ちたくない気持ちは分かるがウィリアムがいない今、そこまで徹底して顔を知らしめたくない理由もないだろう。

アルバートはそう結論付けて、困ったように俯くルイスと苦笑しているウィリアムを訝しげに見つめていた。


「…僕、あまり、歌には自信がなくて」

「そんなはずないだろう?歌が駄目でゲストに選ばれるはずもない」

「兄さん、ルイスの歌を聞いたことは?」

「…ないな、そういえば」


兄様の前で歌ったことはありません。

ルイスはそうポツリと呟き、貰った譜面に視線を落とした。

ウィリアムとアルバートはとても歌が上手く、歌うことに一切の抵抗がない。

堂々たる歌唱姿は二人の精神そのもので、ルイスはその躊躇いのなさと自信に満ち溢れた様子に大層憧れているのだ。

けれどそんな二人の弟でありながらルイスは彼らほど歌に自信があるわけでもなく、まして人前で歌うなど気が滅入るほどに心が拒否してしまう。

内向的で自信がない者ならば理解できるこの気持ち、きっとアルバートには理解できないのだろう。

彼は生まれながらにして爵位を受け継ぐに相応しい精神力を兼ね備えているのだから。

ウィリアムはルイスが心情を吐露したおかげで、そういう感情もあるのだということを知ってはいるはずだ。

本当なら彼らに恥じない歌声を披露したいと思う。

だが今年のゲストにルイスが選出された理由は成績だけではなく、ルイスがモリアーティ家の関係者であり、アルバートとウィリアムの威光が今も強く残っているからなのだろう。

だからといって彼らほど心惹きつけるような歌を歌うことはできないと、ルイスはまたも項垂れてしまった。


「断ろうと思ったのですが中々僕の意見が通りにくくて…無理矢理に譜面を押し付けられてしまったんです」

「なるほど、そういうことだったのか」

「それだけルイスを頼りにしてくれているんだろうね」

「…」


果たしてそうなのだろうかと疑心暗鬼にもなるが、壇上で高らかに歌い上げる自分の姿など想像すら難しい。

ルイスは晴れない表情で譜面と睨めっこを続けていた。

対するアルバートは弟の言い分を些細なことだと投げ出すでもなく、淡々とその気持ちを受け止めていた。

あまり理解はできないけれど、ルイスが歌いたくないというのであればそれは事実なのだろう。

だがレベルの高い聖歌隊のゲストに選ばれるのであれば、ルイスはまず間違いなく相応の歌唱力を持っているはずだ。

成績と家柄だけで選ばれるほど安い立場のものではないし、選択科目には兄を追って音楽の授業を取っている。

そこでの歌唱を認められたゆえの結果であれば誇るべきだろうが、どう声をかければ良いだろうかとアルバートが思案していると、ルイスの肩を抱いていたウィリアムの方から声が出てきた。


「アルバート兄さん、相談があるのですが」

「何だい?」

「ルイス、少しここで待っていてくれるかな」

「?はい、分かりました」


ウィリアムはルイスの手を引いてソファに座らせ、そのままアルバートの手を引いて部屋の外に出ていってしまった。

何の相談事だろうかと小さく首を傾げるが、今はそれどころではないとルイスは譜面に意識を移す。

自分一人で歌うのならともかく、モリアーティ家の名を背負って歌うとなるとルイスの背には荷が重い。

爵位を継ぐアルバートの顔に泥を塗ってしまっては困るし、卒業してなお歴代の学生の中でも群を抜いて優秀だと噂されているウィリアムに恥をかかせるわけにもいかないのだから。

美しい歌声を聞いて育ってきたのだから歌うことを嫌ってはいないけれど、ウィリアムにもアルバートにも遠く及ばない歌声はルイスから元々少ない自信を奪ってしまっていた。


「…かわいいぼうや  あいするぼうや  かぜにはっぱがまうように  ぼうやのべっどはひらりひらり」


目にした譜面の曲ではなく、何を見るでもなく自然と口ずさんでしまうほどに馴染んでいる子守唄を歌い始める。

ウィリアムがずっとずっと歌ってくれたこの子守唄は、歌詞もメロディーも意識するまでもなくルイスの心に染みついていた。

壇上で堂々歌い上げる姿もとても素敵だが、自分だけに聞かせてくれる優しい歌声こそがルイスにとって本物だ。

親を知らないルイスにとって、この子守唄はウィリアムが作ってくれたルイスの根幹である。

大切な歌だからこそ気持ちが落ち着かないときには無意識に口ずさみ、精神安定を図ろうとしてしまうのだ。

歌を口ずさむという行為はルイスなりの自己防衛反応なのかもしれない。


「てんにまします  かみさまよ  このこにひとつ  みんなにひとつ  いつかはめぐみを  くださいますように」


ウィリアムもアルバートもこの場にいないからこそ臆することなく歌うことができる。

歌ってみて思うのは、やはりウィリアムにもアルバートにも遠く及ばない歌声で、まだまだ未熟そのものだという事実だ。

とてもイートン校自慢の聖歌隊ゲストたる実力ではないと思う。


「…兄さんや兄様みたいな歌が歌えれば、モリアーティの名に恥じないゲストになれるのに」


唇を噛み締めて己の無力さを嘆く。

行儀悪く背もたれにもたれかかり、天井を仰ぎ見るように顔を上げて書類の束で目元を覆う。

たかが歌、されど歌だ。

ウィリアムと血を分けた弟で、アルバートに認められた弟なのに、自分はなんて無力なんだろうか。

名誉たるゲストの役割を満足にこなすだけの自信すら持てないなど未熟にも程がある。

ルイスはもう一度口を開いては無心で子守唄を歌っていった。


「…兄さん、どう思いますか?」

「相当上手いと思う。元々の声が年齢の割に色香を感じさせるせいか、どこか哀愁を誘う歌声だ。曲調にもよるが、バラードやレクイエムを歌わせたら相当な完成度になるだろうな」

「僕もそう思います」

「では、何故?」

「ルイスが求めているのは僕やアルバート兄さんのような歌声だから、ルイス自身が納得していないんです」

「はぁ?」

「だから、ルイスは自分のことを音楽的センスのないズブの素人だと勘違いしているんです。あれだけ歌が上手いのに本人は音痴だと思っている」

「…どれだけ自己評価が低いというんだい、あの子は」

「昔から僕と同じものを持ちたいと望む子だったので、その弊害でしょう」


ルイスにはルイスの良さがあるというのに、ウィリアムと違うというだけでルイスにとっての価値は地に落ちるのだ。

おかげであの歌声が披露される場は極々限られた場面に制限されてしまい、現にアルバートは部屋の外で盗み聞きするなどというマナー違反をしなければ聞くことはなかっただろう。

ウィリアムでさえルイスの歌を聞いたのは随分と久しぶりになる。

実に勿体ないことだと嘆きたくもなるが、その自己評価の低さもルイスを成す一つの魅力なのだと思えば途端に愛おしくなるから不思議なことだ。

扉の先で聴こえていた歌声は記憶よりも随分と甘い声に変化していて、それなのに歌のチョイスは昔と変わらずウィリアムが歌い継いできた子守唄のままなのだ。

成長しているようで変わらないルイスを実感するようで気分が良い。


「聖歌隊のゲストにも選ばれるわけだ。何の不正もない、ルイス自身の実力が勝ち取った権利じゃないか」

「えぇ、ルイスの努力が結果として現れたに過ぎません」


感嘆するようにアルバートがルイスを讃えればウィリアムもそれに賛同しては頷いている。

努力を苦とも思わず懸命な弟はこの英国社会において貴重な人材であり、それを抜きにしても無垢に慕ってくれるルイスは二人にとって自慢の存在である。

その自慢である弟の歌声をアルバートでさえ今初めて聞いたというのに、聖歌隊主催で開催されるコンサートに来た学生には無条件で披露されてしまう。

アルバートはその事実に思い当たり、はっとした顔でウィリアムの顔を見下ろした。


「兄さん、僕でさえろくに聞くことのないルイスの歌をそこらの学生に聞かせてあげる必要がどこにあるでしょうか」

「どこにもないな」

「さすがアルバート兄さん。そう言ってくださると信じていました」


歌唱力の高さは貴族として優れた芸術に触れてきたアルバートでさえ認めるものであり、ゲストとして申し分ない実力を兼ね備えている。

だが目立つことを嫌うルイスは自ら辞退を考えているというのならば、それに力を添えてあげるのも兄としての役目だろう。

決してルイスの歌声を聞かせるのが惜しくなったわけではなく、ルイスの気持ちを尊重した上での考えである。

ウィリアムとアルバートは互いの顔を見合わせ頷き合い、一呼吸置いてから部屋の中で項垂れたままのルイスの元へ駆け寄った。




(え…本当ですか兄様)

(あぁ。自主性を重んじるのであれば、気が乗らないのに無理に参加することもない。私の方から話を付けておこう)

(ありがとうございます、兄様!)

(良かったね、ルイス。せっかく選ばれたのに勿体ないけど、君が望まないのなら何の価値もないから)

(いえ、僕はお二人に比べたらまだまだです。もっと兄さんと兄様のように歌えたら良いのですが…)

(ルイスにはルイスの良さがあるだろう?僕はルイスの歌がすきだな。また聞かせてくれると嬉しいんだけど)

(え?)

(それは良い案だな。私も聞きたいものだね、ルイス)

(…う、上手くなった、ら検討してみます)