日本宣教10-右近重傷!神に祈る
2020.04.03 11:56
しかしバテレン宣教師達にも時代の転機が迫っていた。比叡山焼討と同じ頃の1571年8月、頼りにしていた和田惟政が、白井河原の戦いで荒木村重に討ち取られてしまったのだ。惟政はキリスト教に好意的だったが信徒にはなっていなかった。フロイスは狼狽し「狼に取り囲まれた羊のようだ」と手紙に書いている。
バテレン達は惟政の配下で、信徒となっていた高山図書親子を頼った。しかしこの頃から将軍義昭と信長の対立が激しくなり、諸将や家の内部でもどちらに就くかで対立があった。荒木村重は、信長より摂津を任された。
1573年、武田信玄が徳川領に侵入、これを機に義昭は信長に敵対したが、信玄が死亡したことで、武田軍が撤退。それを知らぬ義昭は、槇島城に立て篭もったが、脅威が無くなり上洛した信長に敗れ、追放。足利幕府が滅亡した。
惟政の子、惟長は、家臣の対立や離反で疑心暗鬼になったようだ。同年4月、高山親子を呼び出し暗殺しようとしたが、すでに露呈して還り討ちとなった。しかし右近も瀕死の重傷、命の瀬戸際で彼は神に祈り、自分の身を委ねた。「右近は神のことを思い、驚くべき成長を遂げた」とフロイスは手紙に書いている。荒木は高山親子を高槻城主にした。
下はOSKの高山右近伝。重傷の右近と神との出会いの場はなかなか見物だった