続・いま「言わねばならないこと」を言う(2020.4.4)
2020年4月2日付で、新型コロナウイルスの感染拡大にまつわる一連の出来事と、それらへの対応等に関し、最低限「言わねばならないこと」を言ったつもりだったが、「日本は先進国ではなかったのか!」といった物言いを一度ならず目にし、また耳にしたので、以下、加えて私見を述べることにする。
まず、日本(ニッポン)という国は、いかなる意味においても、「先進国」などではありえない。1931年の満州事変から日中戦争へ、そしてアジア・太平洋戦争の開始と1945年の敗戦にいたった経緯をみずから反省することなく責任者の追及をおこたり、米国の「核の傘」のもと地上戦で県民の4人に1人が犠牲になったと言われる沖縄に基地を押しつけて恥じない。
朝鮮に対する植民地支配の歴史を忘却し、困難のなかで懸命に生きる「在日コリアン」に白昼堂々と憎悪の言葉を向け、筆舌に尽くしがたい痛みの記憶を背負いながら尊厳回復のために名乗り出たかつての日本軍「慰安婦」をおとしめ、「朝鮮民主主義人民共和国」とは今日まで国交をもつことなく敵視している。
女性差別が歴然とおこなわれ、少数者の権利は認められず、社会的弱者は「棄民」のごとき扱いを受けて耐えるのみ。アイヌ民族の存在は無視・排除され、アジアや南米からの労働者は「使い捨て」。政治家は権力をほしいままにし、公文書は改竄、不都合な事実は隠蔽、データも捏造。マスコミはこれらを垂れ流す。
2011年には世界最悪レベルの原発事故を起こし、9年を経た現在も「原子力緊急事態宣言」が解除されないまま、1日あたり170〜180トンの放射性物質を含んだ「汚染水」が発生し続けている。しかもなお多くの住民たちが避難生活を余儀なくされる一方で、政府は住宅の無償提供をつぎつぎと打ち切っている。
令和2年度の「皇室費」は113億3457万円、そのほか「宮内庁費」が122億4877万円(予算額)。貧者・病者・被災者らのもとに皇族が「お見舞い」に来る。人びとは日の丸をふり、「ありがたい」と涙を流し、拝みさえする。だが、此方と彼方の落差にめまいがしないか。また、天皇に「基本的人権」は保障されているか。
日本における年間自殺者数、約2万人。孤独死はおよそ3万人。生活保護受給者数200万人超。精神疾患を有する患者数は近年になって大幅に増加し400万人をくだらない。にもかかわらず、現内閣はこうした現状を一顧だにすることなく、大企業と富裕層を優遇し、「防衛費」を拡大させ、首相は醜悪なツラを日夜テレビにさらしている(NHKよ、頼むから4K・8Kであの顔をアップにするのはやめてくれ)。
JAPANとおなじ島国UKすなわち英国は2016年に国民投票でEU離脱(ブレグジット)を選択したが、欧州連合の加盟条件として「死刑廃止」が明示されていることを諸賢はご存じか(基本権憲章)。仮に日本がヨーロッパに位置したとして、世論の8割が「極刑」を容認し、囚人と日々をともにする刑務官に「絞首」を迫るこの国に、連合への参加資格はない。
教えてほしい。これまで何をもって日本を「先進国」とみなしていたのかを。実に先進的なのは、憲法第9条「戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認」くらいのものではないか。しかし恐るべきことに宰相Aは過去に〈核兵器の使用は違憲ではない〉と公言してはばからなかったのである。
2012年暮れより、日数にしてすでに2000日以上も無理やり聞かされてきた、あの、あの口調を思い浮かべてもらいたい。〈憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は、小型であればですね〉(早稲田大学での講演、『サンデー毎日』2002年6月2日号)。情景がまざまざと目に浮かぶようではないか。
それにしても、「先進国」という単語は、なんと傲慢で、高みに立った、身震いがするほど不愉快な言葉だろう。G7、G8、G20……「主要国首脳会議」。2001年9月11日、なぜニューヨークの世界貿易センタービルが「アルカイダ」に狙われたのか。なぜテロはやまないのか。従順な日本国民(臣民)よ、想像せよ。
いま各国のリーダーと言われる者たちが「戦争状態」「戦時下」などという発言をしていることには、十分な注意が必要である。ドス・パソス(1896-1970)の小説「ランドルフ・ ボーン」のなかに、次のような一文が見える。〈戦争ハ国家ノ救済法デアル〉(並河亮訳、『新・ちくま文学の森9 たたかいの記憶』〈筑摩書房、1995年〉所収)。
「国家」なるものを信頼してはいけない。なぜなら、〈もっともよい場合でも、国家はひとつのわざわい〉(エンゲルス)だからだ。今年に入って米科学誌『原子力科学者会報(BAS)』が、人類滅亡までの時間を示す「世界終末時計」の針が残り100秒になったと発表した。1947年の開始以降で、最短の記録である。
哲学者はいま、どこで、何をしているのだろうか。「役立たず」の哲学者たち。おい、出番だぞ! このような「危機」のときにこそ力を発揮する言葉を、学問をと、思わずにはいられない。個別的・断片的な評論や分析ではなく、総合的に「人間の状況」をあらわす表現が必要である。
(編集室水平線・西浩孝/2020.4.4記)