「日曜小説」 マンホールの中で 2 第四章 4(終)
「日曜小説」 マンホールの中で 2
第四章 4(終)
「最近、小林の婆さんはどうしてる」
あの事件が終わったと思って一か月たった日である。事件が終われば善之助の家に深夜に次郎吉が現れることはなくなった。ある意味で善之助にとってはゆっくりと寝て休むことができるという利点があるものの、一方では最も自分が信頼して何でも話すことができ、そして自分の目や手の代わりにその内容を実現してくれる最も信頼できる話し相手、場合によっては自分の分身とも思える相手を失ってしまったような大きな喪失感が生まれていた。
今までは眠る時間がなく、昼に眠い目をこすっていた。なんとなく早く相談事が終わらないかなと思うようなこともあった。しかし、「大事なものは失ってからわかる」ではないが、次郎吉が来なくなってから、なんとなく毎日のように来ていた時が懐かしくそして自分にとっては大事であったということがわかったのである。
「次郎吉か」
「爺さん、久しぶり」
そんな折に次郎吉がまた忍んで入ってきた。いやいや、なんと懐かしいことか。家に入る時に、本物の泥棒ならば音を立てずに入ってくる。しかし、次郎吉は、生活音のような、外部の人が聞いても不自然ではないような音を立てて入ってくる。喪失感で何か心寂しく眠ることが出来なかった。眠るか眠らないか、夢うつつの状態の時にその音が耳に入ったのである。目が見えない善之助にとって神の音に近い待ちわびた音である。
善之助は、すぐに飛び起きると、浴衣の裾を少し直し、そのまま居間に入っていった。
「次郎吉、何をしていた」
「ああ、こっちも生活があるから少し家業を」
「盗みか」
「それが俺の仕事だ。忘れたのか。」
「いや覚えている。しかし、一応昔々警察にいて、そういうものを取り締まっていた私にとって、目の前で泥棒をしたといわれると、なんとなく違和感があるのも理解してくれないか」
次郎吉は何も言わず笑った。
「で、どこの何を盗んだ」
「宝石」
「まさか」
「ああ、小林の嫁さんのものをなんとなくいただいておいた。今回の報酬かな。」
結局小林さんの嫁と息子は離婚したのである。まあ、夫婦そろってキャバ嬢とホストに入れあげているのであるから、ある意味で、離婚は当然であったし、今回の事件がなくても早晩そのようになっていたのであろう。小林さん自身はかなり心を痛めていたようであるが、一応了承した感じだ。
「何しろ離婚の時に、あの宝石をすべて渡してしまうんだから驚いたよ」
もちろん、小林嫁が盗もうとした宝石である。離婚の慰謝料というか、手切れ金ということであろうか。まあ、それでホストクラブなどをすべて見切りをつけて、そのままどこへなりとも行ってしまいなさいというのが今回の離婚の条件となった。
小林さんにしてみれば、そのままにしていれば盗まれていたのだし、それ以上取られていた可能性も少なくなかった。何しろ幽霊を信じていたのだから、自分にも非があるということなのであろうか。
「そうだな。まあ、宝石はあの時に一度持ち出されているし」
「いやいや、爺さん、持ち出したのは俺」
「そうだった。まあ嫁さんよりも先に持ち出したんだが、それでも嫁さんに取られそうになっていたんだから、そりゃ小林さんの性格から言えば、もうなくなったものというような思い切りをつけたのだろうな」
「まあ、爺さんがそういう思い切りのよい性格の人を好むのは良いことだよ。まあ、そういった性格じゃなきゃ俺ともこうやって組めないけどな」
「確かにそうだ」
小林嫁の引っ越しに、数日間かかった。しかし、驚いたことに、小林嫁は、昔なじみのホストの家に上がり込んだのである。そこでまたひと悶着あり、そして、そのホストの家の近所に部屋を借りて住むようになった。
「その引っ越しが二回続いたそのどさくさに紛れて、ちょっと頂戴しておいた」
「まあ、そんなもんか」
「俺もタダ働きは嫌だからな」
「こっちは老人会での無料相談会だから、何もないぞ」
「その分年金でも何でももらってるじゃないか。俺たち自営業者は年金なんてない。ひょっとすると戸籍だってないかもしれないんだから、そりゃ大変なんだよ」
「確かにそうかもしれんな」
いつものように、善之助は後ろの茶棚から缶コーヒーを指し出した。
「こっちも電波発信機とか……。」
「電波発信機とカメラはどうしたんだ」
「俺の奴は今でも小林さんの家においてあるよ。あの庭の祠の中に、カメラも入ってるし。まあ、祠の中なんて、基本的には誰も見ないからね。何日もあの家に入っていたから、どこは掃除して何処は掃除しないとか、どこならば目立たないとか、そういうことがわかるんだよ。まあ、使わないけどね」
「じゃあなんでおいてあるんだ」
「あそこにおいておけば、使うときにまた取ってこれるだろ。」
泥棒というものは「入る」だけではなく「物を隠す」のもその対象の家を使う。次郎吉に限ったことではなく、何かがなくなった代わりに何かが置いてあるというようなことは少なくない。そしてそれが妙にうまく収まっていたりすると、なんとなく違和感がなくなってしまうのである。
「物がなくなった」というのと「物が変わった」というのは、全く印象が違う。その「物が変わった」という場合は、たいがいの場合「勘違い」で誰かに聞いたり、確認したりしないものである。その辺の心理をうまく使い、何か価値のあるものを盗み、そしてその価値のある盗んだものの代わりに、何か価値のないものを置いて帰る。そして、それがまた必要になった時には、あたかもそこが貸金庫であったかのように使ってしまうのである。
もちろん次郎吉もそのような芸当を行う。いや、そのようにしているから、様々なものがなくなっていたり、あるいは嫁の仕掛けた電波発信機の代わりに、電波発信機を入れたりということができるのである。ある意味で、泥棒はそのような被害者が気が付かないようにするための心理に関してはかなり詳しい。
「まあ、それよりも驚いたのはあの息子だね」
「どうした」
「小林さんから聞いていないのか」
「ああ」
「息子はなぜかキャバクラ通いを変えたらしい。まあ、小林婆さんから何か言われたのもあるらしいが……」
「どうした」
「なにか両家のお嬢様と付き合うようになって、それで小林さんのところに来てるらしい」
「ほう、そりゃめでたい」
「さすがに、離婚して一カ月で再婚とか同棲というわけにはいかないらしい。でもそのうち、結婚するんじゃないのか。あの息子まだ36歳とか言っていたし」
「そうなんだ、まだ若いんだよね」
「まあ、そのうち爺さんも結婚式に呼ばれるよ。俺は呼ばれないけどね」
「それなら、結婚を勧めるように何かしないといけないな」
「また幽霊の出番か」
二人は近所迷惑を考えて声を潜めて笑った。
「また何かあったら来てくれるか」
「ああ、まあ、こっちも家業があるから頻繁には来れないが、たまには顔を出すよ」
「宝石はないぞ」
「わかってるよ。缶コーヒーがあるからそれで我慢しておくさ。」
なにか、清々しい空気が流れていった。
(了)