「分かりにくい真実」と「ドラマチックな嘘」
味が濃いものを食べていると段々と味覚が刺激に慣れてしまい、より強い刺激を求めるようになってしまう。そういうことはよくある事だ。
そして、厄介なことに人間は、「分かりにくい真実」より「ドラマチックな嘘」という刺激物を好んで選択してしまう。例えるなら奥深い出汁の旨みより、わかりやすい旨味調味料の濃い味の方が、多くの人々は好んで受け入れてしまう。
昨今の報道にも同じことが言える。今、我々に必要なのはTVやニュースサイトに張り付いて有益な情報を誰よりも早くシェアすることではない。まして誰かを罵ったり不正を見張るようなことでは決してないはずだ。
・人生という激動の歴史から考える。
現代の難局について考えるにあたり時代を遡り、僕が今住んでいるこの古民家が生まれたのと同じ明治4年(1871)に生まれたものとして再考してみる。前例なき事態に対しての解決策は意外と過去にあるものだ。
明治4年は岩倉使節団が横浜港を出発した年です。18歳の時には大日本帝国憲法が発布され、23歳の時には日清戦争が始まりました。33歳の時に日露戦争が勃発し40歳の時に元号が大正となり、46歳の頃には電力がエネルギーの支流となりました。それ前は蒸気機関が支流でした。50歳の頃に日本は大戦景気に沸き一部の人々が豊かな時代が訪れます。この大正バブルの経済成長率は後のバブルを遥かに凌ぐ数字で、この時期にいかに日本が豊かになったかが伺い知れます。しかし、大戦景気は輸出産業のバブルであり、海運と造船を始めとるする重工業が爆発的に潤った時期でしたので、賃金の上昇よりインフレが早く庶民の生活は苦しいものでした。そして52歳の時には関東大震災が発生しました。その2年後に元号が昭和となり、70歳の時には真珠湾を攻撃し太平洋戦争が勃発しました。
これを見てどう思われますか?150年前に生まれた人は人生70年の内にこれだけの激動の中を生きたわけです。
それでは、次は時代を近づけて1950年に産まれたとしましょう。
この頃の日本はアメリカの占領下に置かれておりマッカーサーが元帥として赴任していました。私の産まれた年に朝鮮戦争が勃発します。14歳の時には東京オリンピックが開催され、18歳の時に3億円事件が発生、翌年にアポロ11号が月面着陸を成功させます。20歳の頃は学生運動と連合赤軍で国内が混乱していましたが、大阪万博が開催され、未来への期待が高まった時代でした。30歳の時にジョンレノンが射殺され、36歳の時ハレー彗星が地球に接近してもうダメかと思いましたが、世間の大騒ぎとは異なりなんともなく日々は過ぎて、38歳の頃にはバブル景気が絶頂期を迎えま下。元号は平成へ変わり、バブルは崩壊し45歳の時には阪神淡路大震災が発生し6000人以上の尊い命が犠牲となりました。50歳の時にはノストラダムスの大予言の示した1999年です。この時、世界は滅亡しませんでしたが2年後に起こった9.11はこれまでの世界の情勢を一変させました。61歳の時には東日本大震災が発生・・死者行方不明者は1万人を超えました。また原発の是非が問われる時代となりました。そして70歳となった今年、新型コロナの世界的流行で何度目かの窮地に立たされています。
いかがでしょう。70年間という時間は、これだけのたくさんの試練となる出来事が起こるものです。どの時代にどこの国に生まれたとしても10年20年の間には必ず大きな厄災がふりかかるものです。我々だけが悲惨な訳でもなければ、我々だけがこれからの未来を良くする役割を押し付けられている訳ではないのです。
そして気をつけなければいけないのは、どんな局面でも荒波を乗り越えることが出来たのは、神に選ばれた選民だから・・・などということは決してないということです。残酷かもしれませんが様々な要因が重なっただけ。ただそれだけのことが人の生死を分けるのです。それは、まさに複雑で後味の悪い真実と言えます。世界は多くの部分はドラマチックではなく、あまりに残酷な平凡さで日々動いているのです。そのことを忘れ、自分たちが特別だと思い込むことは決して良い結果を産みません。
・ドラマチックではない日常を生きていく。
ドラマチックな嘘は「もしかしたらそうかもしれない」という心の傷を過剰に刺激します。「どこかに悪の親玉がいてこの世界を貶めている」そう考えるのは実に簡単です。なぜなら、それが間違っていることを証明することが出来ないのと、それが正しいと明確に証明できないことが等しいからです。
多くの人が口にする「共感」という言葉も、いつも間にか「完全な理解」を求めるものへと変わってきている事を感じます。「自粛をして当然」「何かあったらどうするんだ」そういう言葉を発する時、それを支えているのは「最悪の事態」というドラマチックな展開です。
東日本大震災の時、原発事故を受けて海外のメディアは、「首都東京は汚染され多くの地域で人間が暮らせないレベルにまで汚染された」というニュースを報道しました。その瞬間多くの人が想像した未来の東京の姿はチェルノブイリ原発事故の後に残った荒廃とした死の都のイメージだったでしょう。しかし、現実はそうならなかったことを我々は知っています。もちろん汚染は深刻であり虚偽であった訳ではありませんが、今のニューヨークと明日の日本が同じになる。そう確信させるだけの根拠がない以上、そうならないかもしれない未来を楽観論ではなく希望を繋ぐために残しておく必要性があるのではないでしょうか?
今この事態の中で向き合わなければいけないのは刺激的な情報や数字の羅列だけではなく、それと同じくらい「このような理想の未来を生きたい」そういうことについて考えることではないでしょうか。
最悪の事態に備えることはもちろん必要です。しかし、それは悪戯に不安感や猜疑心を煽ることとは違います。最悪の事態を想定した上で、これまでの思い込んでいきた「当たり前」というものが、自分自身にとって守りたい大切な人にとって本当に正しい選択や行動や規模感や思想であるか。そのようなことを考え悩み話し合い、それぞれがそれぞれの関係性の中で適正な行動をとる方法を考えることが必要です。
これは、身体に例えると理解しやすいことです。昨日までの日本は放射能に汚染され不安を抱えながらも、通院して薬を飲むことでなんとか日常生活をおくれている、とりあえず不安定ではあるけど生活は安定している。そんな状態でした。しかし、さらなる大病を患うことになったのです。仮に症状が軽くてももうこれまでと同じように酒やタバコや不摂生や過度な労働には耐えられないことは明白な状態です。家族もそれを心配しています。生活を改めたところでかつての健康に戻ることはありません、しかし、不自由な身体であっても幸せに生きる道があるのです。それは過度な幸福を求めず、小さな幸福を大切にする生き方です。僕らは様々なものに毒されて、しかもそれが身体には良くないとわかっているのに辞めることが出来ずここまで来てしまいました。すべてのものは多すぎたら毒になるのです。偏れば身体を壊すんです。
厄介なことに人間は、「分かりにくい真実」より「ドラマチックな嘘」という刺激物を好んで選択してしまいます。今、我々に必要なのはTVやニュースサイトに張り付いて有益な情報を誰よりも早くシェアすることではないですし、まして誰かを罵ったり不正を見張るようなことでは決してないはずです。子供達のために明るい未来を、子供達と共に明るい未来を描かなければいけないのです。