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のらくらり。

仮面を被った兄と弟

2020.04.04 13:19

もしかしてウィリアムは本物のウィリアムを擬えて今を生きているのかな、というお話。

ウィリアムとルイスはお互いの前では隠さず偽らず気を抜いて過ごせているんだろうなぁ。


たった一人、自分の全てと断言できるほどに愛おしい弟が顔を焼いた。

焼けてしまったのではなく、細く小さく頼りないその手で自らの顔を焼いたのだ。

モリアーティ家の当主と家族、使用人を屋敷ごと全て燃やす。

アルバートと共有した理想のため、あの瞬間に己が考えられる至高の完全犯罪を謳っていたというのに、そんな自信を簡単に退けたルイスはあっさりと僕の計画に色鮮やかな一筆を加えては痛みを抑えて笑っていた。

あの怪我がなくとも疑われなかったかもしれない。

けれど、あの怪我があったからこそ周囲の大人に僕ら三人を疑うという可能性すら放棄させたのだ。

町民の心を憐みでコントロールしてみせたルイスの行動は間違いなく美しい助力だった。

僕は同時に己の未熟さを思い知らされ、今まで守られるばかりだったはずのルイスの覚悟を心に刻む。

誰より大切で愛おしいこの子のために、自分が成すべきはこの子に相応しい世界の再構築である。

無垢なルイスに相応しい美しい世界を作り上げるためならば何を犠牲にしても構わない。

そう、純粋なまでに慕ってくれているルイスが求める兄としての自分ですら、目的のためならば犠牲にしても構わないのだ。


1866年4月1日、夕刻。

名門伯爵家に養子として迎え入れられた二人の兄弟。

その兄だった元孤児の少年は己の名を棄て「ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ」となった。


幼い兄弟が引き取られ身を寄せていたモリアーティ家の邸宅は焼け落ちたため、仮住まいとして三人の子息はしばしのホテル住まいを余儀なくされていた。

貴族だというのに「節制は大切だ」と宣言するアルバートにより、プライバシーには配慮されているがそこそこ安価なホテルを一室借り受けている。

それでも最大限の安全が保障されているこの場はルイスにとってとても居心地が良く、まだ慣れないアルバートとの距離を縮めようと考えつつもすぐ近くに最愛の兄がいる状況に安堵していた。

頬の火傷は痛むけれど、彼らがその手に他人の命を乗せた罪の重さに比べればこんなものは無いに等しい。

当てていたガーゼを新しいものに取り替えてくれる優しい兄の手に思わず頬が緩み、痛みが増してしまったのも良い経験だ。

ベッドメイキングは最低限にするようアルバートがホテル側に指示しており、この空間には彼と兄とルイスの三人しかいない。

誰も来ないこの空間に、ルイスは知らずに入れていた肩の力を抜いた。


「それじゃあ二人とも、頼んだよ」

「はい、アルバート兄さん」

「…行ってきます、アルバート様」


住まいを無くしたモリアーティ家の代表となるアルバートは、今後のために諸々の手続きでゆっくりしている暇もなく多忙な一日を送っている。

その助けとなれるよう兄弟も出来る限りのことはしており、今日はひとまずの衣服を調達するよう頼まれた。

オーダーメイドではなくとりあえずの既製品を三人分、それぞれ数着見繕ってくるようにとの指示だ。

病弱な弟に代わり外での使いを頼まれていた兄とは違い、ルイスが敷地外に出るのは久々である。

このホテルに来るまでの間ですら全てが真新しく見えたのだ。

危険のない穏やかな日常を最愛の兄とともに過ごすことができるなんて、ルイスにとっては思いもよらない幸運だった。

アルバートに見送られ、兄弟は小さな足取りでモリアーティ家が贔屓にしているという店まで歩いていく。

人もまばらな平坦な道。

大きな瞳をあちこちに向けては好奇心に満ちた表情を浮かべるルイスを見て、兄は優しく微笑んだかと思えば、ホテルを出たときから繋いでいた手を離してしまった。


「兄さん…?」

「さぁ急ごう、ルイス。兄さんが待ってる」

「…はい」


どこかに出歩くとき、いつも彼はルイスの手を引いて歩いてくれた。

慣れた道ならともかく今のルイスは出歩くことすら随分と久しぶりで、そうであるならば臆病なルイスを励ますために繋いだ手を離すことはないはずだ。

けれど実際に繋がれていた手は離されて、言葉には出来ずとも違和感がある。

少しだけ冷えた心を無視して離された手を握りしめ、ルイスは今の立場を頭の中で反芻する。

今の彼はモリアーティ家の次男で、自分は今も昔も元孤児の養子だ。

親しそうに馴れ合う姿を周囲に見られるのは後々で思わぬ弊害を生む可能性がある。

ときおり町に降りては次男のふりをしていたという彼は、既に町民が抱くウィリアム・ジェームズ・モリアーティの人格を印象操作していたということをルイスは知っている。

だが、それでも貴族と養子が過度に馴れ合うのは不自然だということなのだろう。

二人が保っていた今までの距離はあまりにも近過ぎる。

それならば今の彼の振る舞いは" ウィリアム "としては正解で、今の彼はルイスの兄ではなく" ウィリアム "に他ならないということだ。

いや、もうルイスの兄というだけの彼はどこにもいないのかもしれない。

彼は今までの人生を棄てて伯爵家次男になったのだから。

隣を歩く兄の意図に気付いた瞬間、ルイスの口から出る彼の呼名は自然と変わっていた。


「ウィリアム兄さん、次の道は左で良かったでしょうか?」

「…そうだね、地図によると左で間違いなさそうだよ」

「行きましょう」


幼いながらも賢い自慢の弟。

今の呼び名一つで自分の意図を察してくれたことがよく分かる。

本当ならば繋いだ手を離したくはなかったけれど、ウィリアムとしての立場を考えるのならばこれが正しい。

兄と弟、それぞれ寂しい気持ちを押し殺しながら歩みを進めていった。




そうして過ごすウィリアムとしての日々。

観察した限りの本物らしさを常に念頭に置き、足の組み方から立ち振る舞いは全て本物をなぞるように生きてきた。

外見と内面を変えることはしない。

綺麗な金色の髪と鋭いけれど穏やかな瞳、優しく聡明な精神は昔と何も変わらない。

けれども仕草と癖は本物を意識しており、ルイスはいつまで経ってもそれに慣れることが出来なかった。

記憶の中の兄と今の兄、どちらも同一人物だというのに心が混乱してしまうのだ。


本物は赤を好んでいたようで赤いタイを身につけることが多かった。

けれどもウィリアムは派手な色よりも落ち着いた色を好んで身につけていた。

本物は貴族ゆえの背伸びをして足を組んで威圧感を放とうとしていた。

けれどもウィリアムは孤児ゆえに足を組むなど尊大な態度を取ることはしなかった。


赤いタイを身につけて優雅に足を組んで座る兄の姿は、まるで背後に本物を宿しているようだとルイスは思う。

それがルイスにとってはどこか嫌で、けれども殺めてしまった本物の命を背負う者としては正しい行動なのかもしれない。

本物は貴族ゆえの傲慢さと身勝手さはあれど、それだけだった。

ルイスは兄を虐げた本物を嫌っていたけれど、殺されてしまうほどの悪だったのかと問われれば違うと答えるだろう。

きっとウィリアムもそう思っていて、けれど理想のためにはどうしても本物達が邪魔だった。

邪魔だから殺した。

身勝手な考えが招いた傲慢な結果だから、せめて本物の魂は背負いながら生きていこうと決めたのだろう。

自分の犯した罪を側に置いて生きていくなど正気の沙汰ではないと思う。

だが、ルイスはウィリアムのそんな優しさと罪悪感を忘れずに生きる姿勢がすきだった。

今のウィリアムはただ彼個人ではなく、本物のウィリアムとしての人生をも歩んでいる。

元々物欲もなければこだわりも少ないウィリアムのこと、自分を押し殺すのは雑作もないことなのだろう。

外での振る舞いは完璧なまでの「ウィリアム・ジェームズ・モリアーティ」だった。


「ルイス、おいで」


けれども屋敷に入り、安心できる身内しかいない場になれば、彼はルイスが昔からよく知るウィリアムだった。

違和感なく存分に彼らしさを堪能できる。

抱きしめてくれるその腕は昔と変わらず、名前を呼んでくれるその声は染み渡るように耳へと響く。

他所行き用のウィリアムではなく、今二人きりのこの空間にいる彼こそがルイスにとって本物の彼だ。

ルイスが愛した人は抱きしめてくれるときに髪に頭を埋めてきて、背中を抱き返せば顔を上げて額に小さなキスを落としてくれる。

昔から変わらない彼の一連になった動作はルイスの心を平穏へと導いてくれて、その背後には誰の影も見えていない。

ルイスの目の前には大切な彼だけが存在している。


「兄さん、今日もお疲れ様でした」


ルイスもウィリアムとの関係を疑われないよう常日頃から自分を隠して生きている。

自分を偽って生きている兄とその根本は何も変わらない。

きっと彼もルイスの様子に違和感を感じて過ごしているのだろう。

けれどルイスの考えを尊重して何も言わないし、ルイスも兄に対して何も言うことはない。

ただ少し、寂しいだけなのだ。

隠さず偽らず過ごせるようになるのはきっと、この英国が正しく生まれ変わったその後なのだろう。

その日が来ればいいと願ってやまないけれど、他所に見せる顔と自分に見せてくれる顔の両方を知ることが出来るというのは悪くない。

愛する人のたくさんの表情を見られるのはとても幸せなことだから。


「ルイス、ルイス」

「はい兄さん」


綺麗な緋色と綺麗な紅色が互いを見つめ、互いの気持ちを交わしていく。

自分を棄てた兄と自分を偽る弟が持つ真の姿は、きっと今この瞬間だけなのだろう。

こんな穏やかな時間をあとどのくらい過ごせるのかは分からないけれど、長く続けばいいのにな、とルイスは静かに願っていた。




(アルバート兄様、本物を擬えて生きている兄さんが本当にすきなものは何かあるでしょうか?)

(ルイスじゃないかな)

(…もっと真面目に考えていただけると助かるのですが)

(おや、私はいつだって真面目だよ。冗談など言ったこともないというのに)

(…それがもう冗談です、兄様)


(兄様はあんなことを言っていましたがモランさん、兄さんがすきなものに心当たりはありますか?)

(そりゃおまえ、あれだろ)

(あれ?)

(スターゲイジーパイ。あれは本物どうこう抜いてガチでウィリアムの好物だろ)

(た、確かに!そうですね、フィッシュパイはきっと兄さん個人の好物です!失念していました!)

(おい…まさか今日からまたフィッシュパイ責めじゃねぇだろうな、ルイス)

(責め苦のように言うのはやめていただけますか)

(責め苦だろ)

(失礼な。僕は兄さんのために行動を起こしているだけですよ)