桜梅桃李
とはいかないが、庭に見える桃と桜
今頃、高田公園の桜も満開できれいだろうなと思うが、庭に咲く桃も、奥に見える桜も、なかなか立派に咲いているではないか。
何でも比較してしまうのが人間の本質だとしても、それを理解し、あるもので満足できるのも人の知恵とういものだ。
人の不幸が理想と現実の差であるなら、理想のない人間は不幸にはならない。そして理想にたどり着くこともなければその幸福もないということだ。
仏教用語に生老病死という言葉がある。人間の苦悩の源となるものとされる。
一番が「生きること」
「生きる」というのは、ただそれだけで容易ではないということだ。
老いること、病になること、死ぬこと、
人はその知恵によって、生きやすい環境を作り、長生きをする術を考えだし、病にならないための予防を沢山知っている。
あらゆる困難を克服しながら進化を続け、この先人間はどうなっていくのだろうか。
そんな中で、私がいつも考えているのは、普通であるということ。
自分は、何を望んでいいのか、何を望んではいけないのか。
自分が何を望めば、自分にかかわる人が幸せになっていくのか
自分が何を望めば、自分にかかわる人が不幸になっていくのか
そして、それらを考えたうえで、自分がどうしても妥協できない望みはなんなのか。
世界中の人間を敵に回してでもどうしてもやりたいことがあれば、それは命がけでやり抜くしかない。
世界の偉人たちの中には、そうした生き方を貫き、世界中の人間の「普通」を変えてしまった人たちが何人もいる。
世界中で大変なことが起こっている。
日本も大変なことになっている。
うちの庭では、去年も咲いた桃の花が、今年も満開に咲いている。
春の風が力強く吹き抜けて、真っ青な空に花びらが舞う。
世の中がどうなっても、私の心が変わらなければ、
綺麗な景色は綺麗なままにそこにある。