僕のサッカー人生 福山悠樹
2年MFの福山悠樹です。
今回は僕が九大サッカー部に入った理由を僕のサッカー人生を振り返りながら解説したいと思います。
僕が大学でサッカー部に入った理由は、もう一度サッカーに本気で向き合いたいと思ったからです。もう一度、と言ってもこれまでのサッカー人生を振り返るとそこまで打ち込んだ覚えはあまりないのですが、今思うと僕のサッカー熱の起源は小学校時代にあるのではないかと思います。小学校5年生の時、友達が入っていた地域の少年団に入団しました。その時の監督が強面のとても厳しい人で「今のご時世体罰で訴えられたら負けるわ」と自分で認めるようなこともしばしば。そんな激怖監督も平日は幼稚園の園長先生をしているのと言うのですから人生は面白いものです。とにかくその監督は週末になると鬼の仮面を被り基礎練の徹底と走り込みを僕らに強要しました。まーどちらが仮面を被った姿かは知りませんが。1日かけて行う試合で初戦で負けた時なんかは、夕方全ての試合が終わるまで河川敷を永遠走らされたこともありました。1年の蹴り納めの日には前日に「明日はランシューと水と体だけ持ってこい。スパイクなんか要らん」と言われ、当日行くと「グランド100週走った奴から今日の練習終わり」とだけ言われたり。普段の練習でも「リフティング80回できた奴から練習開始」と言われ、時間までに出来ないと「トイレ休憩飲みもんは自由、出来たら入っていいよ」と言われ、他の人が練習してる中グランドの周りでずっとリフティングをさせられました。他にも約30メートルの永遠マーカードリブルや、無限腹筋腕立て背筋マラソン、1位になると1回休憩できる鬼の坂道ダッシュなど、色々なきついメニューがありました。その当時は、上手くなりたい、怖いの一心でなんも言わずにこれらメニューに取り組んでいたんですが、今これらをやれと言われると音を上げるかもしれないですね笑。でも今思うと、あの時期に基礎技術基礎体力を叩き込まれたおかげである程度サッカーを楽しめる程度には上手くなれたのかなと思います。こんな小学校時代を送った訳ですが、あんな練習のおかげか、チームは割と強く、他のメンバーはクラブチームに入り、そのうち何人かは高校で強豪校に進学し、選手権で全国に出た人もいます。しかし僕はと言うと、クラブチームのセレクションを受けてみたものの受かりはせず、中学高校は地元の学校のいわゆる弱小部活でやってきました。しかしその中でも、自分なりに真面目に部活に取り組み、仲間と勝利を目指すという課程は踏んできました。特に高校では、ある程度進学校だったこともあってか、監督のスタイルが「自分で考えろ」であり、その中で副キャプテンをやらせてもらい、サッカーに自主的に取り組む時間もありました。そして3年の夏の大会後、春の選手権まで残るかどうかの選択をしなければいけなくなり、悩んだ末に僕は夏でサッカー部を引退することにしました。しかし後々、残ったメンバーがとても楽しそうにサッカーしているのを見て、自分の選択を後悔をすることは無かったものの、サッカーを楽しんでいて羨ましいという感情が出てきました。彼らを見てると、僕自身、高校サッカーで満足な結果を残すことも出来ず、サッカーに向き合いきることも出来なかった、ということを痛感しました。一方で、あくまで僕自身の主観的な感覚でですが、残った彼らは、サッカーに向き合いきり高校サッカーを楽しみきっていると感じました。そんな彼らを見て、僕ももう一度サッカーに本気で向き合いたいと思い、大学でサッカー部に入ることを決断しました。そして彼らと試合することを楽しみに毎日の練習を頑張っています。
新2年 福山悠樹