皆が取り戻したいのは一体なんなのか?
本日更新された作家の五味太郎さんのインタビュー記事がとても示唆に富んでいたので、少し自分の考えていることを書いてみようと思います。
五味さんはインタビューの中で、新型コロナの感染拡大で大人も子供も不安定な気持ちのまま右往左往している現状に対してこう問いかけます。
「一緒に考えましょう。それで、まず聞くけど、逆にその前は安定してた?コロナ禍じゃないときは、居心地が良かった?」
「仕事も学校も、ある意味でいま枠組みが崩壊しているから、ふだんの何がつまんなかったのか、本当は何がしたいのか、ニュートラルに問いやすいときじゃない。」
「こういう時っていつも「早く元に戻ればいい」って言われがちだけど、じゃあ戻ったその当時って本当に充実してたの? 本当にコロナ前に戻りたい?と問うてみたい。戻すってことは、子どもに失礼な形の学校や社会に戻すってことだから。」
五味さんのおっしゃる通り、ほんの数ヶ月前コロナ以前の日本は住みやすく安心して未来を夢見られるような日本だったでしょうか?残念なことにそんなことはありませんでした。では、一体いつから日本はこんな不安が蔓延するような国になってしまったのでしょう。少し調べてみました。
現在、子供を持つ多くの家庭が直面している問題として、外出制限による在宅勤務と学校の休校が重なり、これまでのように共働きをする事が出来なくなり、精神面と収入面の両方から追い込まれてしまう事態があります。コロナで家にいる時間が増えた結果、DVや離婚が急増する可能性を専門家は危惧しています。
これは、以前は社会問題とされていたけれど現代では珍しくもなくなり誰も口にすることもなくなった「鍵っ子」問題や、親世代との別居世帯=核家族の問題がいよいよ顕在化してきたという事だと言えます。
共働き世帯が一般化した現代では、様々なサポートやサービスがありますので、鍵っ子問題も核家族問題も解決しているように見えていましたが、それはあくまで有料のサービスや行政の仕組みであって、今回のような混乱時には利用する事が出来ません。
いつでも気兼ねなく頼れる家族や隣人がいる世帯と、外部のサービスに依存する形で共働きをする世帯では、今回のような有事の際の安定感には雲泥の差が開いてしまいます。その不安感はダイレクトに子供に伝わりますし、家庭崩壊にも繋がりかねない非常に重要な問題です。個人の選択を批判する意図はありませんが、収入=お金でサービスを購入するという生き方は、シンプルで分かりやすくて魅力的であると同時に大きなリスクのある選択です。みんなもそうしてるから大丈夫。という理屈が通っていたのは過去の話です。地方と都心部を比べると実は地方の方が共働き世帯は圧倒的に多いです。しかし、地方特に地元での共働きとなれば親との同居、あるいは困ったら助けを求められる距離感での生活が大半をしめています。
都市部で無縁的に生活をする事が良くない結果を生み出す可能性は数十年前から繰り返し言われてきた事の一つです。
親子のコミュニケーションの不足、親が子どもの行動を把握しづらいことから子どもが犯罪に巻き込まれることなどが可能性が高いとして、社会問題となった「鍵っ子」問題。当時は共働き夫婦をサポートする体制やサービスがまだ不足していたこともあり、経済的に豊かになっていく世界とは反するように闇を濃くしていました。最近では、貧困に苦しむシングルマザーが急増していることも問題視されてきています。
ウィキペディアによると、家庭の事情で学校からの帰宅時に他の家族が自宅におらず、自ら家の鍵を持参している子供の事を指す通称「鍵っ子」が、問題視され始めたのは、昭和30年代後半期の高度成長期頃からとあります。
昭和43年には総理府調査において「鍵っ子の実態と対策に関する研究」が発表され、その調査によると鍵っ子家庭の母親の就労理由は、「生活には困らないがさらに収入がほしい」が49.2%「他に働く人がおらず生活に困っている」の28.4%を上回ったとあります。
鍵っ子が増えた背景には、このように女性の就労意識が高まり社会進出が増えたことが要因としてあげられます。当時の調査の結果から読み取れるのは、それは生活が苦しいからではなく、今よりも豊かになりたい。そのために働きに出る。そのような家庭が多かったことを示しています。当時の日本を支えたのは働き盛りであった団塊の世代であり、同時に消費者の中心でもありました。1950年代後半には豊かさやあこがれの象徴として「白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫」が「三種の神器」と呼ばれましたが、60年代半ばには「3C」(カラーテレビ・クーラー・カー〈自家用車〉)がこれに代わっています。現代に続く消費型社会の雛形はこの頃完成しました。1901年に創業した株式会社電通が、広告専業となった時期はちょうどこの頃です。電通は発足当時、14〜15人で広告統計をとる会社でしたが、なんと約10年で200人強の増強を図り、毎月300人のアルバイトを雇っていたそうです。これが日本の「マーケティング業務」のはじまりと言われています。広告というものは古く江戸時代から存在していますが、今日のようにマーケティングが力を持っていったのはTVが各家庭に普及したこの時期からです。
それらは今や「生活必需品」と呼ばれますが、当時から便利さやステータスシンボルとしての側面が強く、必要過多な消費行動でした。しかし、歴史背景を鑑みればそれも仕方がない事だと思います。団塊の世代が産まれたのは戦後間もなく、原爆が投下され大都市が焼け野原と化している時代です。
日本は貧しい敗戦国であり、戦争を生き抜いた親世代は子供達のためにガムシャラに働き豊かな日本を夢見ました。その時の豊かさの具体的なイメージは、進駐軍=アメリカの姿でした。当時、多くの日本人は近代的な豊かさの為にそれまでの日本らしさとは異なる新しい日本らしさ、豊かさのシンボルを求めました。その裏には、国の為に戦い多くの犠牲者を出した末に敗戦した国への不信感があった事でしょう。事実戦後連合軍総司令として着任したマッカーサーに対して多くの国民は、敵国の手先!ではなく、それとは正反対の「神武天皇の再来」という最大の賛辞を与えています。日本におけるアメリカの戦後処理は歴史上最も成功した植民地と揶揄されるほど見事に成功しました。もちろん、それは日本人の力・・・などではなく連合軍マッカーサーの優れた手腕によるものでした。この辺りの話は長くなのでいつか別の機会に。。
話を戻して、鍵っ子について考える時、切っても切り離せない問題があります。それは核家族化です。家族のコミュニティーについて考える時よく話題に上がるのが核家族問題ですが、家族が別世帯に分かれて暮らす核家族は、一体いつから存在したのでしょう?みなさんのイメージでは如何でしょう?茅葺き屋根の古民家で囲炉裏を囲んで暮らしていた江戸時代の頃はまだ核家族は一般的でないでしょうか?なんとなく家族が身を寄せ合って暮らしているイメージは昭和的でしょうか?
そのようなイメージに一役買っているのが漫画やドラマといった様々なメディアです。
国民的漫画である「サザエさん」が連載開始したのは1946年(昭和21)アニメ版は1969年(昭和44)の放送開始で、その時代の平均的な家庭を意識して内容が作られています。(漫画版には戦後の動乱の匂いが色濃くありますがTV版では昭和44年に時代考証を合わせてある為、雰囲気が異なります。)サザエは専業主婦で、都心でサラリーマンとして働くマスオと波平が電車に揺られて帰る家は郊外の平屋の家で、波平の持ち家でサザエの実家です。家族はマスオがお婿さんではありますが、典型的な3世帯家族です。
昭和的なサザエさんと対照的に平成的な家族構成の漫画といえば「クレヨンしんちゃん」です。連載を開始は1990年(平成2)こちらもみさえは専業主婦、ひろしはサラリーマンで郊外の一軒家に暮らします。この世代の裕福さの象徴は、通勤が大変であっても庭付き一戸建てを構える事だったので、しがないサラリーマンとして描かれますが、実はかなりの勝ち組です。家族構成は現代では典型的な親と子の核家族構造で、ひろしは秋田出身、みさえは熊本出身ですので典型的な上京して家庭を築いたパターンです。
あと、時代的にサザエさんとクレヨンしんちゃんの間の時代を描いた作品と言えば。スタジオジブリの「耳をすませば」があります。サザエさんは親の持ち家で、しんちゃんは夢のマイホームですが、その少し前は持ち家は夢のまた夢の時代で、耳をすませばで描かれたように公団住宅で生活し子供達が大学進学の際に家を出る。そして、新しい家を構えるというパターンが支流です。また同作では母親は子育てをしながら研究職を続けており大学に通っています。女性の社会進出が目覚ましかった時代背景を表しているように思えます。
さて、それでは核家族はいつ頃から存在したのでしょう?総務省の行った国勢調査調査によると核家族世帯は1920年(大正9)時点で、なんと!全世帯の半数を超えています。とても意外な気がすると思いますが当時の家庭状況を考えてみると理解する事が出来ます。
当時は子供が1世帯につきなんと5人以上生まれていたという時代でした。これも少子高齢化の現在では考えられない数字です。しかし、そのような状況であっても、核家族は全体の半数以上存在していました。それはなぜか。
実は、親世帯と同居していたのが今と変わらず長男夫婦と子供たちだけであり、ほかの兄弟たちは結婚すると別世帯を構えていたからです。平均5人産まれる子供のうち半数が結婚して家を出たとすると自然と核家族の世帯が半数となっていくのです。
そこから導き出されるのは、核家族化は豊かさを追い求めた末に発生していった鍵っ子問題やその後の様々な問題の直接的な原因ではない。という事です。核家族という家族構成が存在した痕跡は、なんと三内丸山遺跡に残された遺物からも発見されています。遺跡からは一つの家に平均4、5人の家族(夫婦とその子ども)が生活をしていたとされる痕跡が出土しているので、親と子供の二世帯で暮らす核家族という構造は、なんと縄文時代から存在していたという事になります。これは核家族的な家族構成が人類にとって極めて普遍的なものであることを意味しています。
ここで、おそらく若い僕らには理解できない点が一点あるかと思いますので、少し補足させてください。それは、なぜ先人達はこんなに多くの子供を産み大家族になったのだろう?という点です。一人の女性が一生のうちに出産する子供の平均数を表した「合計特殊出生率」は、2018年の「1.42人」に対し100年前の1920年では「5.11人」です。稼ぎが少ないから子供を産めない・・そんな悩みを抱える現代人からしたら驚きの数字です。
しかし、これは世界中どんな文化でも等しく原始的な文化を留める非接触部族にも見られる人類の普遍的な特徴です。そして産業が発展し経済的に豊かになるほど出生率は減少していきます。これには様々な要因が挙げられますが、機械化以前の社会において子供は立派な「労働力」である為、生きていく為に必要であるため沢山の子供を作る。ということが挙げられます。
先進途上国で子供達が労働者として働き学校に通えない・・というような映像をTVで見た事があると思いますが、わずか100年前の日本においてはそれと同じような問題が残っていました。兄弟全員が大学進学できる家庭など一握りしかいなかったのです。日本においても事実上子供を売り買いするような事が思ったより近代まで普通にあったのです。誰もそんなことを好んで口にしませんが・・
高度経済成長に入ると地方では、これまで産業の主流であった農業や炭鉱産業や繊維工業それに関わる運蔵業といったあらゆる産業が急速に近代化されていきます。そして色々な事が効率化される事で、それまでのように多くの人間による力仕事的な労働を必要としなくなった地方では、働き盛りの青年が溢れるようになります。
それとは対照的に都市部においては大規模な工場や様々なインフラ等の大規模事業が活発化していきます。さらにそれらの仕事に従事する為に全国から集まった人々にサービスを提供するお店や文化に多くの人材が求められました。後に「団塊の世代」「金の卵」と呼ばれる第一次ベビーブームで産まれた若者達は田舎を離れ都市部へ出向き、サラリーマン的「核家族」の最初の世代となっていきました。その生活の場は郊外に鉄道と共に新しく建てられた新興住宅地や公団住宅が支流で、鍵っ子もまたこのタイミングで爆発的に増える事になるのです。
しかし、今日の家族の問題の原因が何かを考えるに、三内丸山遺跡の縄文人も住まいは核家族世帯であったことかもらも、必ずしも核家族であること=不安定な生活。とは言い切れないというとになります。
それでは、昭和の核家族と令和の核家族は何が違うのでしょう?実は答えはとてもとても単純なことです。それは縄文から近代まで、どのような家族であってもすぐ声の届く周囲に一族が共に生活をしていたことです。
江戸は当時日本一の大都会で全国から人々が集まっていましたが、時代劇に見るように長屋に暮らし、隣近所の他人とまるで家族のような暮らし方をしていました。
現代の核家族と過去の核家族の違いはそこにあります。そして、その違いこそが子供たちのより良い未来を考えた時に、これからの家族の形のヒントになることだと思います。かつても核家族は離れていても決して孤独ではありませんでした。しかし、現代の核家族は孤立し孤独を抱えています。
大勢の人が暮らす都会で生きる孤独を描いたアニメ「おおかみ子供の雨と雪」の中で、狼男の子供を妊娠した主人公の花は誰にも秘密を打ち上げられず、次第に追い込まれていきます。その姿は決して特殊な例ではありません。映画では身寄りのない花は子供達と田舎の古民家へ移住します。自然と周囲の人とのふれあいの中で家族は絆を取り戻し一つになっていきます。このたびのパニックは時間と共に次第に収束していくことでしょう。しかし、一度膨らんでしまった不安の蕾はタネに戻ることは決してありません。
人が安心して生きる為にはコミュニティが必要です。
それはそれぞれがそれぞれの場所で模索し、時間をかけて育んでいくものです。杓子定規なルールやサービスで解決できるような単純なものではありません。今求められるのは給付金のような急場を凌ぐ明確な解決策と、それ以上に悩みを話せる関係性や寄り合いのような場所の存在をそれぞれがいかに作っていけるか。ということではないでしょうか。
最後に冒頭の五味太郎さんのインタビューの締めの言葉を引用して終わりたいと思います。
「この取材と矛盾しちゃうけど、人の話なんて一方的にずっと聞いていちゃだめだよ(笑)」