Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

源法律研修所

名刺1

2020.04.09 11:05

 4月7日、南さつま市は、屋外で新人職員研修を実施したそうだ。 

 

 非常事態宣言が出た都道府県内の自治体の場合、使われていない市民体育館や小中学校の体育館を借りて、窓を全開にし、距離を空けて着席し、マスクを着用するようにすれば、新採研修を実施することが可能ではないかと思う。武漢ウイルスのせいで、3月に続き4月も自治体職員研修が全てキャンセルされたので、ぜひ検討してほしいところだ。


 新採研修と言えば、マナー研修が定番メニューだ。マナー講師の指導の下、お辞儀や名刺交換の練習をするそうだ。こんなことは、家庭のしつけの問題であって、採用面接でできるかどうかを判断可能だし、税金を使わずに採用前に自分で勉強しろと思うが、それはともかく、名刺は、なぜ名「紙」ではなく、名「刺」と書くのだろうか?


 現代の支那(シナchina:中国の地理的呼称)では、名刺のことを「名片」と呼ぶため、「名刺」は日本人が考えた言葉だと思っている支那人もいるらしいが、「名刺」は古代支那人が考えた言葉だ。


 例えば、後漢末の劉熙(りゅうき)が書いた『釈名(しゃくみょう)』という字典の巻六によると、「書を刺と称するは、書は筆をもって紙簡の上に刺すなり。」とある。つまり、紙や簡(木片である「木簡」や竹片である「竹簡」)に筆で書いたものを「刺」と言ったわけだ。そして、「姓字を奏上に書くを書刺という。」とある。つまり、自分の名前を書いて奏上することを「書刺」と言ったわけだ。

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ho04/ho04_01799/ho04_01799_0002/ho04_01799_0002.pdf

 また、南朝・梁の劉勰(りゅうきょう)が書いた『文心雕龍(ぶんしんちょうりゅう)』という文学理論書の「書記第二十五」には、「刺者達也。詩人諷刺、周禮三刺、事敘相達、若針之通結矣。」とある。つまり、刺は達であり、事を述べて目的を達することで、針が結び目に達(とお)るようなものであって、意思を通じ合うという意味だというわけだ。今とは随分違った意味で用いられていたことが分かる。

https://archive.org/details/jipingwenxindiao038800/page/n44/mode/2up

 さらに、「名刺」という熟語は、例えば、『梁書』巻十四江淹伝に見える。

https://archive.org/details/06078961.cn/page/n10/mode/2up

 要するに、古代支那では、他人と面会する際には、まず自分の名前を紙や簡に書いて使者に差し出して、取次ぎを頼んで、面会を許されて(意思が通じ合って)初めて会うことができたことから、「名刺」という熟語が生まれ、我が国でも「名刺」と書くようになったのだ。


 なお、マニアックな話で恐縮だが、長年、支那においても我が国においても、「謁(えつ)」と「刺」は同義であり、もともと前漢では「謁」が用いられていたが、後漢になると「刺」が用いられるようになったと考えられていた。名刺の呼び方が時代によって変化したものにすぎないと考えられていたわけだ。

 ところが、昭和59年(1984年)、安徽省(あんきしょう)馬鞍山市(まあんさんし)にある三国時代の墓から埋葬者である朱然の「謁」と「刺」の実物が同時に発見され、定説が覆った。

 いずれも自分の名前を書いて相手に知らせるものである点では共通するが、「謁」は下位の者が上位の者に拝謁する際に、「刺」は相互に挨拶を交わす際に、それぞれ用いたらしい


 名刺で思い出すのは、亡父が若い頃の話だ。関係者にご迷惑がかかるので、名前を伏せておく。

まだ20代の頃、突然、社長室へ呼ばれ、何事かと大急ぎで社長室へ行くと、財団法人を設立したら国から補助金が貰えるそうだから、財団法人を設立せよと社長から直々に命令を受けたそうだ。

 そこで、亡父は、のこのこと所管官庁たる通産省(現在の経済産業省)へ行って、受付の女の子に担当部署を訊いて、教えられた◆◆課へ行ったら、課長が出てきて応対してくれたそうだ。そして、名刺交換して、詳しい用件を伝えると、「それはウチじゃない!◯◯課だ!」と言って、自分の席へ戻ってしまった。

 受付の女の子が間違えたのだろうと思って、課長に言われた◯◯課へ行ったら、今度は「それは△△課だ!」と言われ、△△課へ行ったら、「それは××課だ!」と言われて、何度も階段を上ったり下りたりして、とうとう階段の踊り場で息が切れ、汗を拭き拭き、途方に暮れていたそうだ。そこをたまたま通りかかった職員さんが見かねて声をかけてくれたので、事情を説明したら、「お気の毒に。たらい回しされたのですね。それは◆◆課ですよ♪」と親切に教えてくれたそうだ。◆◆課へもう一度行ってみたら、自分の名刺がゴミ箱に捨てられているのを見て腹が立ったが、今日は仕方がないと諦めて、何も言わずに部屋を出たそうだ。

 せっかく東京に来たのだからと、知り合いの元男爵に電話して一緒に夕飯を食べ、今日の出来事を話したら、「そりゃ〜酷い目に遭ったね。久保くん、あんな所は、紹介状なしに行ってもダメさ!ボクが紹介状を書いてあげようか?」とおっしゃるので、「いえ、それには及びません。当てがありますから。」と断ったそうだ。

 翌日、自民党の派閥の領袖でもある大蔵大臣(のちの総理)の後援会役員をしている高校時代の友人に電話で事情を説明したら、その日のうちに大蔵大臣が面会してくれて、その場で秘書に通産省事務次官に電話させ、受話器を受け取った大臣が「財団法人設立の件で、これから久保くんがそっちへ行くからよろしく頼む。」と直々に取り次いでくれたそうだ。

 早速、通産省へ行くと、玄関で事務次官、局長、及び◆◆課長の3人がお出迎えしてくれて、びっくり。

 事務次官と名刺交換した際に、事務次官が「この件につきましては、全て◆◆課長が取り計らいますので、どうぞご安心下さい。」と言ってくれたので、やれやれと肩の荷が降りた心地がしたそうだ。次に、局長と名刺交換し、いよいよ◆◆課長の番だ。

 「初めまして。◆◆課長の〜と申します。お話は次官から伺っております。どうぞ私めにお任せ下さい。」とぬけぬけと言い放ったそうだ。笑

 亡父は、内心「何が初めましてだ!昨日、会ったばかりじゃないか!人の名刺を捨てやがって!この野郎、外務省に出向させて、地の果てまで飛ばして、定年まで帰国できないようにしてやろうか!!」とはらわたが煮えくりかえる思いがしたそうだが、社長命令が最優先事項だから、じっと堪えて、「どうぞよろしくお願いします。」と頭を下げたそうだ。腹が立ちつつも、「キャリア官僚の課長ともなると、これぐらい神経が図太くなければやってられないのだろうなぁ〜」と妙に感心したらしい。


 さて、このエピソードからどのような教訓を導き出すことが可能だろうか?

色々可能だろうが、新採向けには、次の3点を挙げておこう。

頂戴した名刺は、大切にする。折り曲げたり捨てたりするなど、粗末に扱うことは、もってのほかだ。通常、どこの役所でも、公務で受け取った名刺は、課内で共有することになっているはずだ。

丁寧な対応をする。紹介状がないからといって、ぞんざいに扱うと恨みを買う。

仕事に私情を持ち込まない。私情を持ち込むと、上手くいく仕事も上手くいかなくなる。


 名刺については、自腹で作らされている職員さんが多いと思う。名刺自腹問題については、後日検討することにしよう。