恨み節
抜群の集客力を誇る進次郎氏がおらが候補の応援にやって来て、憚りながらも前座を務めることになった。「これだけ多くのみなさんを前に話せる機会など今後ありえんから私の宣伝もしたいのだが、早く降りろって、みなさんの視線が訴えているから本当にこれで終わるけど次回は私の演説も聞いてくれ」と、都合1分。登壇時に「山崎さ~ん」との声援は何ともありがたい。
こちとらそれだけの接戦を演じれば比例は確実とばかりに布団に入ってしまったんだけれども当人はそれが確定するまで寝ずに翌朝を迎えたとか。そう、声援の主のMさんの話。そんな興奮冷めやらぬ翌朝に印刷物らしき小包が届いて、はて...。手配していた私の活動報告だったのだけれども宅急便の配達員が当選の祝辞を添えて下さった。肚内は知らずともそれが大人の態度ではないかと。
捨ててこそ得るもの。そこに私心なくば道は不思議と拓けるもので。倍以上の収入を捨てて、地盤、看板、かばんの三ナシの無所属で挑もうと。というか元々そちらとはほど遠い世界にいたものだからツテなどあるはずもなく。悲しいかな慰留こそされなかったものの、退職後には随分と御心配をいただいて。学生時代からずっと御世話になったチームの監督が縁を結んで下さったんだけど、とんとん拍子に事が進み、何の苦労無く当選してしまったのだから選挙の当落など運以外の何物でもなく。
そんな棚からぼた餅的な経緯なのだから恩を返すのは当然。困りごとあらば多少の理不尽にも目をつむり相手の意に添うように善処しつつも中には叶わぬこともある訳で。自らの力不足を詫びれば実は結ばずとも丁重な御礼をいただくこと大半ながらも時に吐かれる捨て台詞。こちとら慣れたもので然して気にせんのだけれどもそんな不用意な一言が当人自らの株を下げてやいまいかと。百度参り叶わず命途絶えた故人を前に神仏の御加護などあるものかとこぼれる恨み節。されど、そこまでの延命こそが御利益の賜物と都合よく解釈出来ねばいつまでも大人にはなれず。
そう、経済成長が社会の不満を覆い隠すが如く、勝てば官軍、負ければ...。方や元代表への批判やまず、もう一方や排除発言への責任論が浮上。酔えば勤王、醒めれば佐幕とどっちつかずの手合いは今に始まった話ではないけれども「こんなはずではなかった、あの時の代表の決断は許せん」なんてのは寝言に近い。一任した以上は文句は言うべきではないし、後者とてどこぞの看板をもらえば(当選に)ぐっと近づく、当時はその人気にあやかろうとしたした訳で自らの節操の無さを棚に上げて人のことを言えた義理か。
いかなる不運であろうともその位の年齢にもなれば出処進退の責任は自ら負わねば人は付いて来ぬ。オイシイと見るや飛び付くくせに劣勢とならば難癖付けて他に譲る。取り沙汰される共同代表の名に華々しく報道された立党時の中央の面々が見えてこぬことに不安を抱いてしまうのだが...。大きな御世話だナ。
(平成29年10月29日/2389回)