形相
地元のY兄からメールが届いた。「公用車で馬車道あたりに出没していないか」と。そういえば最近相手してなかったナ。全体を見下ろす雛壇に立派な椅子とあらばさぞ気分も...。否、背もたれが幾分か高いだけで機能性なんぞはバルセロナのグエル公園のベンチのほうが...。瞼重く、昭和の名横綱の心境、「ワレイマダモッケイタリエズ」、何をバカな。
のみならず、真横には目付奉行が鎮座されとる上に、眼下には虎視眈々とその座を狙う連中...いや、本来、その鋭い視線は発言者に向けられるものなんだけど、いかんせんそのたびに首を回さねばならず。備え付けの椅子の向きが向きだけに自然と視線を浴びやすく、新人のU君から表情が硬い、というか「怖い」と聞いた。キモいと言われぬだけましか。そんな眉間に皺寄せた状態で居続ければ日頃の顔も崩れる訳で。四十歳過ぎしもの自らの顔に責任を持たねばならぬとはリンカーンの言葉。日々苦悶の表情に人相が変わらぬことを願っている。
そこに副詞が付されるは珍しく、当該事例に「大変」興味を持っている、答弁には確かにそうあった。過去の知見を活用することにより迅速な意思決定云々とあって、虐待防止に向けてAIの活用を図るといえば「聞こえ」はいいが、過去の知見にはじかれる結果はあくまでも確率的な数値に過ぎず、やはり肝心なのはその結果を踏まえての対応。微妙な心理に兆候を見抜くに人間力「も」磨かれなければならず、そこを疎かにしては。
こと、この分野では児童相談所の人手不足に目が向きがちで求められる人員増。が、各々の事案が複雑化する今日においては関係機関との連携に重きを置いたほうが改善に繋がるのではないかと思えんでもなく。一昔前にシステム化なる言葉が流行した時もそれ自体が目的化して本来なされるべき業務改善が見落とされたりもして。あおれはあくまでもツールに過ぎず、物事の根本を見誤っては...。
そうそう、巷の書店の閉店が「著しく」目立つ。在庫を抱える割に伸びぬ売上に店舗など無用の長物との合理性は分からんでもないのだけれども寡占進まば次なる一手は明らかで。やはり店頭の新刊本のコーナーに時流を見つつ、手にした一冊の数頁をめくってこそ知る購入の目安。文章の平易度は言わずもがな、肝心なのは文字の大きさ。ドエトエフスキーの文庫本が如き...いや、一応、著名な数冊は読んどります。チェスに勝ってもベートーヴェンに勝る作曲はムリと信じて疑わぬ一人なれど、それでもここまで騒がれると自然と耳も立つ訳で、モノ見る機会なくば本に限る。
当時の成績は私のほうが「上」だったのだけれども同級生がN総研の最前線で活躍中だとかでその分野の推奨本を聞いて示されし数冊、題名を見ただけでめまいが...。ムーアの法則然り、直線的ならぬ指数関数的なのが特徴とあった。確かに当時は百年以上とされしガウディの教会も完成は目前だそうで押し寄せる時代の波に迫りくる脅威。そうは申してみてもアナログの代表的職業には無縁と思う既成概念こそが間違いの元だったりもして。
(令和元年7月5日/2509回)