数珠
身内の不幸が重なっても平然と祝辞を述べるがこの仕事、と教わった。昨年に祖母が他界しとるから厳密に申し上げれば喪中のはずも百歳手前の大往生に「夏」の出来事にて。いつまでも陰鬱な表情を浮かべていては故人報われぬばかりか相手に余計な気を遣わせる訳で。喪中はがきに知る訃報に粗相を恥じつつ、届いた賀状に目を通していたのだけれども百聞は一見に如かず、いや、百文は一枚に及ばず、目を惹くは写真。
活字に出来ぬ幸福感は十分に伝わるも届く先が全て御当家のように順風満帆とは限らぬわけで、時に複雑な心境を抱かせはしまいか、旧年中の御礼に近況報告、新年の抱負位に留めおくほうが...。今やスマホ一つで「繋がる」時代に薄れゆく賀状の意義。枚数の減少に僻地離島とて配達拒めぬ宿命背負う郵便局。カタカナは不得手なれど巷ではユニバーサルサービスとかいうのだそうで。
それが事務員の機転か偶然の結果か、多分、いや、十中八九、後者なのだけれども机上の紙面に「公正さに欠けたバス路線評価」と題した記事を見かけた。寄稿の主は同じ区内のベテラン市議にてさすが鋭い視点と頷いてみたのだけれども副題に「横浜市営地下鉄3号線の延伸を考える」とあって、区内に予定されし新駅の位置巡る考察と気付く。
私の言わんとするは市バス路線の偏在。南北に細長く、私鉄ごとに形成された生活圏が本市の特徴。市の変遷見るに南から北へ開発が進んできた経緯が窺い知れる。ゆえに道路にバス路線などは圧倒的に南が優位。数珠が如き連なる車両見れば一台位は北に回しても、と思わんでもなく。高まるバス需要に路線を求めてみても民間バスの「シマ」にて参入不可能などと言われても意味分からず。株式会社とあらば利益見込めぬ路線など目もくれぬ、僻地離島を救う、というか不採算路線といえども意義ある路線を見出すことこそ公の役割ではないか。
何も大型の路線バスに限らず、コミバスで、と迫るも牙城揺るがず、にべもなく。ならばいっそ市バスの赤字路線とて廃止すべきではないかと詰め寄れば利用者の反発必至の情勢に及び腰、他路線の収益に「全体として見れば...」と。一部路線の黒字と申しても未だ一般会計から少なからぬ繰入がなされ、それでいて赤字改善の為に黒字路線の譲渡を図るは蛸が自らの足を喰うが如く。
迫り来る車両の更新に大量に採用された運転手の一斉退職。何も路線バスの運転手を中途や非常勤に求めずとそこはキチンと新卒を採用した上で市バスの運転手としての責任感を備えた人材を育成しつつ、退職を迎える運転手には同じ市バスでも中型小型の車両にてより身近な市民の足として活躍いただいてはどうか。何よりも他人様の命預かる仕事な上に市の看板背負うとあらば勝手知りたる彼らこそ適任者ではないか。支給額は現役時に見劣りするもそこは長年俸禄を受けた恩返しにと勧奨してもバチはあたらぬ。
いわゆる天下り先の確保というか省益の維持拡大こそが役人の御家芸ではないのかと市バスの将来を憂いてみるも。過去の教訓から新たな路線に躊躇する意図は分からんでもないが、それでは衰退の一途あるのみ。座して滅ぶを待つより出でて活路を見出さん位の気概があっても...余計な御世話か。
(令和2年1月10日/2546回)