私たちが『愛』であるという証②
【私たちが『愛』であるという証①】の続きです♪
あなたが愛されていると感じる時は、どんな時ですか?
また、愛されていないと感じる時はどんな時ですか?
私も書き出してみたので、参考までに晒しますね♡
<私の場合>
■愛されてると感じる時
・信頼してくれる
・応援してくれる
・迷子になった時必死に探してくれた
・秘密がなく打ち明けてくれる
・学校行事に来てくれる
・私の意思を尊重してくれる
・私を大事に思っていることを言葉で伝えてくれる
・やりたい事をやらせてくれる
・ご飯を作ってくれる
・抱きしめてくれる
・何かあった時に助けてくれる
・私が泣いた時、黙って抱きしめ、思う存分泣かせてくれる
■愛されてないと感じる時
・話を聞いてくれない
・心配や否定をする
・自分のことを優先して私を放置する
・昔のことを蒸し返して説教する
・共感してくれない
・遊びに連れてってくれない
・欲しいものを買ってくれない
・結婚を決めてくれない
・炊事以外の家事を全く手伝ってくれない
・急に冷たい態度をとる
・正直な気持ちを話してくれない
これは母と父、パートナーに対するものとごちゃ混ぜですが、皆さんは書き出してみてどうでしたか?(*^^*)
愛されている、必要とされている、役に立てていると感じると満たされて自信に溢れ、
愛されていない、必要とされていない、役に立てていない、迷惑をかけていると感じると、
悲しみ・罪悪感・不幸・孤独感・不信感を感じるのではないでしょうか。
恋人が欲しい。
結婚したい。
子供が欲しい。
幸せになりたい。
自分らしく生きたい。
楽しいこと、ワクワクすることをしたい。
夢を実現したい。
好きなことで収入を得たい。
お金を沢山稼ぎたい。
人の役に立ちたい。
世界を良くしたい。
自分の役割、使命を果たしたい。
これが実現したら幸せ。
そうしたら満たされる。
そうしたら自分の存在価値を感じられる。
そうしたら自分を愛せる。
そうしたら人を愛せる。
そうしたら生きる意味を感じられる。
方法が何であれ、全て共通して求めているのは、
「愛に充たされたい」
ということではないでしょうか?
そのために、家族、恋人、結婚、SEX、仕事、お金、美味しい食べ物と、刺激を外に求めて満たそうとする。
けれど、そこにどんなにエネルギーを注いでも、どんなに周りからもらっても、
満たされるのは一時的で、また時間が経つと欲しくなりませんか?
求めてもずっとは満たされない。
与えても思うように満たされない。
そしていつしか疲れ果て、「そういうもの」と諦め、その範囲の中で心地良い生き方を模索し始めたり。
諦めずに根気強く、
どうしたら幸せになれるの?
どうしたら自分らしく生きられるの?
と模索しては、一瞬満たされたり、また満たされなかったりを繰り返して迷子になったり。
人によっては「私はもう充分満たされてる」と、自己暗示かけて、不安や恐れ、不足感、孤独感に蓋をして見ないようにしたり。
あるいは、求めること自体を諦めて、無関心、無感動、ただ目の前のことを淡々とこなして生きるだけになってる人もいるのではないでしょうか?
でも、本当は、
自分の中の光も闇も、ポジティブもネガティブも、良いところも悪いところも、これまで生きてきた歴史も丸ごと、ありのままを受け入れて欲しい。
そして相手のことも、ありのまま受け入れて、
互いに認め合い、尊重し合い、愛し合いたい。
恋人がいてもいなくても、
夢や目標がなくても、
お金があってもなくても、
人から必要とされてもされなくても、
ただ、ありのまま、
無条件に愛し愛され愛し合えたら。
それだけで充たされると思いませんか?(*^^*)
また長くなりそうなので、つづきはまた次回♪