絵に描いた餅という幻
こんにちは。
こころの健康支援室 そらいろのmirineです。
新型コロナウイルスの流行は、これまであたりまえだと思っていた多くのことについて、実はそうではないかもしれないということを鮮明にしてきています。
新型コロナウイルスによって身体的に生命を脅かされることも、新型コロナウイルスの流行による副次的な影響を受けて生活を脅かされることも、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされるという点では共通しています。
瀬戸際に立たされると、今まで確かな現実と感じていたことの中にも、実際には幻影にすぎなかったと気づくことがあります。
どんな言葉も行動も、実際にその瀬戸際から助け出してくれるものでなければ意味がない、「絵に描いた餅」としか感じられないからです。
新型コロナウイルスによって休まざるを得なかった人たちも、医療の現場で戦い続けている医療従事者の人たちも、医療と同じく休むことができずに働いてくださっている人たちも、それぞれの瀬戸際で示され続ける「絵に描いた餅」に、怒り、困惑し、失望しながら、踏ん張り続けています。
「絵に描いた餅」には、「生命を助ける」「生活を守る」「差別はしない」といったような、普段はあたりまえにみんなそうするだろうと考えていたことが多くあります。
もちろん、人によっては、差し出されたのはちゃんと食べられる餅だったという人もいるでしょう。
しかし、この状況で、守られる人とそうでない人がいるというのは、後者の人たちの失望をより深くします。
どうしてほしいのか、どんな助けが必要なのか、多くの人が声を上げています。
このブログでも、早急に一律の給付金が必要だという内容を書きました。
国は国民の声に応えてくれるだろう、助けてくれるだろう、普段はあたりまえにそうだろうと思っていたことが実際にはそうではなかったと感じれば感じるほど、今瀬戸際で踏ん張っている人たちの心は国から離れていくしかありません。
国民である一人ひとりの個人は当然実在していますが、「国」は国民をはじめ、世界中の非常にたくさんの個人が「ある」と合意することによって存在している、実体のないものです。
実体のないところから、それを成り立たせている多くの個人の気持ちが離れていく。
今揺らいでいる最も大きな幻影は、「国」なのかもしれません。
あらあらかしこ