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美的なるものを求めて Pursuit For Eternal Beauty

「新しい日本画と時代の最先端を追求」 (「山湖」山口蓬春 1947年作)

2020.04.12 09:20

(「新・美の巨人たち」テレビ東京<2020.2.22>放映番組 主な解説より引用) 

 山口蓬春(やまぐち ほうしゅん 1893〜1971)は、北海道・松前に生まれる。

大正4(1915)年 蓬春22歳にして東京美術学校の西洋画科に入るも、途中で師の勧めにより日本画科へ再受験し転向する。

 好奇心旺盛な蓬春は、新しい日本画を積極的にめざし、時代の新しい感覚をも取り入れていった。その色感と独特の造形感覚は、ますます冴え、蓬春を新鮮な画面の創作へと駆り立てていった。

 そのことは、作品発表のたびに話題となり、やがて明るく近代的な「蓬春モダニズム」と呼ばれる、独自の世界を創出していった。

 葉山にある、かつてのアトリエでもあった「山口蓬春記念館」には、古今東西の文化・芸術の資料、約3500点が収蔵されている。

 彼の几帳面・真面目・勉強熱心な性格を反映してか、日記帳とともに、そのときどきに描いた作品を手元でスケッチした「縮図帖」も遺されている。
 描いた主な絵画の紹介としては、冒頭、宮内庁からの依頼により3年余りかけて完成させた《楓》(かえで)が、正殿・松の間に飾られているほか、記念館には、34歳のときの作品《緑庭》がある。

 そして、本日の一枚として紹介されたのは、《山湖》(さんこ) 1947年作。

蓬春の文化に対する考え方の幅が広い点や、新しい日本画を描きたいという執念が、彼の内に秘めた原動力として、本作品にも漲っていると言って良いだろう。

 森の樹々に描かれたグラデーションの見事さともに、「独特の雲の形」には、スイスの画家ホドラーから、モダン造形感覚としてインスパイアされた跡が見られるのも、興味深い。


( 同番組を視聴しての 私からの主な感想コメント)

 芸術家(アーティスト)として、新しい日本画への絶えざる挑戦の姿勢と、古今東西の文化・芸術から学ぼうとする、山口蓬春氏の探究心に感動した。
 そして、「縮図帖」に見られるように、描いてきた作品の数々を克明に理路整然と、手元の記録として遺されてきた軌跡は、なかなか中途半端な気持ちや姿勢では、真似のできない生き方かと感心させられた。

 もっともこうした面での芸術活動や生活習慣は、人間の個性や性格に由来する面も大きいかとは思うが。

 私にとって、今回紹介された蓬春作品の中で、特に印象に残ったのは実は《山湖》ではなく、《緑庭》の方であった。

 そこには、自然観照から発想しながら、さらに自然の中にある広がりをもたらす光と陰影の存在が特徴である点である。西欧的な静物画への傾斜とも読みとることができる。

 蓬春の画において、特に注目するのは、和と洋との真の融和・調和である。そして、そのための意図的な構図というか、当然に登場するべき人物や鳥などの動物といったものを、画面から消し去っている点である。

 蓬春の絵からは、伝統的な日本画の画題にあえて挑戦する境地を、しばし垣間見ることができる。
 このことは、洗練された構図、画面全体から醸し出される近代的な明るさ、西洋画と日本画をいい意味で超越しようとする、大胆ともいうべきチャレンジ精神に満ち溢れているとも言えると感じた。

 翻って、現代では「デジタル時代の表現力」が、ますます多様なツールとともに開発されてきている。人工的なツールの中にも、自然をいかに表現していくかは、変わらぬテーマかと。

   またこの春は、思いもよらない「新型コロナウイルス」感染が、世界中で蔓延しており、パンデミックの様相を呈してきている。
 ワクチンなどのできるだけ早期の開発と実用化が求められている。

必ずや、最新医学・薬学の力で克服し、終息に向かうことは確かかとは思うが、経済的な打撃と混乱は、雇用や生活面の補償と合わせて、しばらくは尾を引くことになろう。
 《山湖》を眺めていて、東山魁夷の作品にも想いを寄せたところだが、この春に、季節の訪れを知らせる「ブルーベル」が地面を覆い尽くす、幻想的で美しい景色が、ベルギーのブリュッセル郊外のハルにある「ハルの森」で観られるという。

 時代を超えて奏でる「自然美」の造形に馳せながらも、今は我慢のSTAY HOME中である。(執筆時点: 2020.4.12)


写真: 「新・美の巨人たち」テレビ東京放映番組<2020.2.22>より転載。
同視聴者センターより許諾済。

写真上: 《山湖》山口蓬春 1947年作 54歳

写真下: 《緑庭》山口蓬春 1927年作 34歳