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「宇田川源流 日本万歳!」 コロナウイルスにおける皇室の取り組みと「立皇嗣の礼」の延期

2020.04.12 22:00

「宇田川源流 日本万歳!」 コロナウイルスにおける皇室の取り組みと「立皇嗣の礼」の延期

 毎週月曜日には「日本万歳!」を連載している。もともとは毎週週末になってせっかくゆっくりと休みを取って英気を養ったのに、月曜日からまた仕事に戻らなければならないというような状況になってしまい、そのことから、気分を高揚し良い仕事をしていただくために、日本人のすばらしさ、日本人が毎日の習慣としておこなっていて、自分たちであまり気付いていない優れたところ、他の国民や民族にはないところを紹介し、日本人としての誇りを持って働いていただくということを考えて連載を始めたのである。

しかし、現在のように「テレワーク」が推奨され、「外出自粛」ということになってしまうと、本来は、嫌だった仕事に行くことが恋しくなってしまったりするのである。まあ、人間というのは何となく不満を言いながら、それでいて、毎日習慣になっているそれらの内容があることは心の安定につながっているのである。何か大事なものというのは、文句を言いながらもそこにあることが重要で、失ってみるとなんとなく重要であったというような感じになってしまうものなのである。

コロナウイルスの外出自粛が言われるようにになってから、そのように思っている人が少なくないのではないか。その意味で「日本万歳!」もそのような心のブルーと対抗するために、様々なことを考えてみたいと思う。

日本には天皇陛下に対してあまり良い感情を持たない人がいる。しかし、実際に何度も外国に行ってみると、天皇陛下の存在というものが、他の外国の人々から非常に良く思われており、そのことでよいことがある場合がある。実際に天皇陛下が直接我々に何かしてくれるということは、基本的にはない。しかし、天皇と皇室の存在が、日本に歴史の深さがあることになり、そして、伝統や文化を重んじることになる。天皇陛下に対する敬意というのは、各国国民がさまざまに思っているものであり、その思いは必ずしも同じものではないが、しかし、そのような存在がないものとは全く異なり、やはり日本における一つの象徴になりまた、日本人に対する一定の良い感情の元になっているのではないか。


天皇陛下、感染拡大「人類にとって大きな試練」…専門家が対策など説明

 天皇、皇后両陛下は10日、お住まいの赤坂御所で、政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長の尾身茂氏からウイルスの感染状況や対策について説明を聞かれた。

 宮内庁によると、天皇陛下は冒頭、尾身氏や現場の医療関係者らの努力をねぎらわれた。今回の感染拡大を「人類にとって大きな試練」とし、数多くの命が危険にさらされ、多くの人が困難に直面していることを憂慮。「私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症を抑え込み、現在の難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています」と述べられた。

 尾身氏によると、両陛下は約1時間半、メモを取りながらウイルスの特徴などを熱心に質問された。

2020年04月10日 21時29分 読売新聞

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-626703/


「立皇嗣の礼」延期発表…菅長官「収束状況を踏まえ、開催時期改めて検討」

 政府は10日、秋篠宮さまが皇位継承順位1位の皇嗣になられたことを広く示す「立皇嗣(りっこうし)の礼」を延期すると発表した。19日に開催予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大で東京を含む7都府県に緊急事態宣言が発令されていることを踏まえた。近く、持ち回り閣議で正式決定する。

 菅官房長官は10日の記者会見で、新しい開催時期について「感染症の収束状況を踏まえ、(政府の)式典委員会を開催し、改めて検討して決定したい」と述べるにとどめた。

2020年04月10日 21時13分 読売新聞

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-626673/


 さて、日本の皇室に関して言えば、現在という意味ではなく歴史的に「天皇」がいて、次の天皇になるべき人として「皇太子」または「皇嗣」という存在がいる。「皇太子」というのは、天皇陛下の子供であり、皇嗣というのは子供以外で次に天皇を継ぐ人ということになっている。そして天皇陛下を引退した場合には「上皇」となり、その中で出家した場合は「法王」というような言い方をする場合があった。引退したからといっても現在の日本的な儒教的価値観が存在するのは、江戸時代以降であることから、当然に天皇が最も頂点にあり、天皇陛下の親や前の天皇陛下としての存在であっても、上皇は現職の天皇陛下の権力を超えることはないとされている。

あえて上皇のところを付け加えると、上皇は当然に一般の人から見れば別格である。また通常の親子関係として、または天皇という地位の先輩後輩(もちろん親族名のであるが)という意味であっても個人的な部分においては、当然に上皇は天皇から敬意を受ける存在ということになっている。しかし、一方で、そこに天皇と上皇の地位が逆転してしまうような話になってしまうと、天皇を頂点とする内容が儀式における神との関係が崩れてしまうために、当然に、上皇はある意味で一歩引いた存在になる。

ちなみに公家、俗に貴族といわれる人々がいるが、彼らは全て日本の場合「天皇を補佐輔弼する役目」であり、源氏物語に出てくる優雅で雅な存在のようなイメージがあるが、天皇が攻撃される場合は当然に彼ら貴族が先頭になって戦うという姿になる。その意味では明治維新の戊辰戦争において、皇族や公家が軍人になった(薩長ばかりが戦ったのではない)というのはごく普通の姿のである。

さて、その天皇は、もちろん「自分たちの親族のために政治」を行っているのではなく、「国民のために政治を行う」というような状況になっているのである。そのために国民をおもんばかり国民の平安を常に祈っている存在である。これも戦後の象徴天皇になってからだけではなく、例えば、貞観地震の時にお見舞いをしてみたり、あるいは疫病の時に疫病の神を鎮める祈祷を行うなど、現在であれば非科学的と思うようなことをしているかもしれないが、当時で言えばできることはすべてやっているということになる。

その状況において、天皇は現在のコロナウイルスにおいても国民のことを思ってくれているのであり、また、そのために自分の次を継ぐ立皇嗣の礼を延期するとしたのである。当然に「立皇嗣の礼」は、神と皇族の儀式であり別に延期をする必要などはない。しかし、昨年台風の被害をおもんばかって天皇陛下の就任を記念するパレードを延期されたのと同じように国民の苦難の時に「立皇嗣の礼」も延期されるという、国民とともにあるという皇室全体の思い(今回は天皇だけではなく秋篠宮家に置けるものも含めての想い)が伝わってくる。

あえて言うが、ここまで天皇(象徴・君主・元首)におもあわれている国民がいるであろうか。

日本に生まれて本当に良かった。