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Lákura

ピーマン克服

2020.04.12 20:21

子供の頃、母が作ってくれた朝ごはんを再現してみた。この食べ方でピーマンを克服したのを覚えている。

今こそ大好きだけれど、あの頃の小さなはっちゃん(笑)には、大人の味だったんだと思う。

ケチャップは、基本うちにないのだけれど、ウィンナーを買ったらついてきた的なストックが一袋あったのでかなりリアルな再現となった。


誰ひとりとして信じないと思うけれど、好き嫌いの多い子だった。ピーマンはじめ、人参、和菓子、南瓜、麻婆豆腐、給食に限っては全滅。

そもそも、のんびり屋だったので急いで食べることがまずできない。想像力が酷すぎて(笑)知っている人が作ったものじゃないと食べたくなかったという、神経質な部分もあった。(今ならお構いなし)

ご飯はゆっくり会話を楽しみながら食べたいという本能が備わっていた自分の現実は、栄養を摂る時間に過ぎず、余計なお喋りは禁物。そんな時代。給食は、残してはいけない時代だったので毎日居残り。

埃だらけの教室掃除の間も食べなくてはならない。給食嫌いないつものメンバーは、おなかが痛いと言って順番に帰っていく。

その時ばかりは、良いなぁーおなか痛くて。と純粋に腹痛に憧れすら抱いていた。

私はどうしたかというと、先生との我慢比べ。夕焼け空をみながら優雅にお椀の中身をひたすら混ぜている。クラスの賢い男の子が、混ぜていると蒸発してなくなるよ!と言い残して帰っていったのだ。こりゃ朗報だ!!←作戦失敗。

結局は、なんか油浮いて余計に食べたくなくなってしまい、丸呑みも不可能なので、先生残しても良い?と、職員室まで会いにいき、はゆきまだいたのか?!と驚かれ、うっすら勝利(笑)して、カラスが鳴くから帰るのだった。

学校のミートボールも真空パックのハンバーグも私には、粘土のような味がした。粘土食べたことあるんかい!と突っ込みたくなるが少量舐めてみたことはあるので、この表現で合っている。

結局、牛乳と少しのパンで9年間過ごし、いつもおなかが空いている子だった。…と言っても、中学ぐらいになると少し食べられるものも増えてきて、家に帰れば母の作るご飯にありつけるので幸せだった。

18年間親と暮らしたが、一度も惣菜やお弁当が食卓にでたことがない。コンビニ弁当が憧れだった(笑)田舎にいたからコンビニがそもそも憧れの存在だったかもしれない。一人暮らしをして初めての晩ご飯はコンビニででわくわくして、お弁当を買った。その後自炊生活が始まる。


さて、私が親になって、娘はピーマンが苦手だと言った。サンタさんに畑をください!とお願いするような子だったので、ピーマンを一緒に育てることにした。名案だと思ったのだ。

ピーマンを一生懸命お世話する娘。

二人ともなんとなくこれが成功したらピーマンを克服するのではないかという確信を持っていた気がする。

そしてある日、ピーマンが黄金に光っているではないか!!

どどどどういうことだ!!

ピーマンに近寄ると、アブラムシの大群に覆われている。二人で悲鳴をあげて大騒ぎ。

あとでおばに聞けば、牛乳薄めたものをかけたらとれたのに!とのことだったが後の祭り。恐ろしくて耐えられずに、さよならしてしまった。

二人のプロジェクトは、あっけなくアブラ虫によって終わってしまった。

点々が集まると怖いんだよぉ。

2人でそんな話をしながら、でも、育ててきたのは楽しく充実したものだったようで、彼女はその後から、ピーマンを口にするようになった。失敗にたとえ終わったとしても、あぁー無駄なことってないんだなぁと思う瞬間でもあった。

居残り給食の時にみた美しい夕焼けの空だって忘れない。好きになる為の努力も明るさも、ユーモアも大切。立ち向かう強さも大切。その心意気が、素敵な結果を生む。


今晩は、ピーマンのグリル焼きでもつくろうかなぁ。