江戸っ子イズムか⁉「買い物」と称してお出かけしちゃう人々
こんにちは。栗原貴子です。
在宅ワーカー歴も気づけば22年のわたくし。外出の自粛要請など「屁の河童」である。むしろ、「外出の自粛を要請されている」ということにより、SNS等にあふれるリア充のみなさんの投稿を眺めて「ああ、みんなは楽しそうにしているなあ」と感じることがないので、屁の河童レベルもうなぎのぼり、である。
そんな中、週末に郊外に出かけたり。スーパー、モールなどに家族総出でお出ましになっている方々がけっこういた、という話を知人から聞いた。
「じっとしていられないタチ」の人たちなんだろうな、と思う。
気持ちはわかる。インドア派の私でも「気分転換に出かけたい」という欲求は覚えるし、今も、お出かけしたいし、お友達と食事もしたい。しかし、感染するのは嫌だ。軽症でも苦しいらしいし。辛うじてU50という年齢は微妙なんじゃないかと思う。「自分はケロッとしていて、人にうつす」というパターンも大いにあり得るので、それも避けたい。
しかし。
「買い物と称して家族みんなでモールに出かける」という行為に、江戸っ子イズムを感じている。
ぜいたく禁止令(奢侈禁止令)により、ぜいたくとみなされる華美な装いが禁止された。絹の着物もダメ、金糸銀糸なんてもってのほか! 絞り染め? そんな高級品もダメにきまってるなじゃないか、というとで「鼠色」的な木綿の着物を着ろ、というお触れが出たのである。
着るのもダメだし、売るのもダメ、以上!
つまり「売れなくなったことへの補償はなし」ということである。
つくづく、今回の緊急事態宣言による休業要請、外出自粛に似ている。現政権も江戸のお上イズムだ。
しかし、江戸時代のぜいたく禁止令に対して江戸っ子たちは「抜け道」をたくさん作っていた。羽織の裏地や長襦袢など、見えないところを豪華にしたり。ぜいたくだ、と指摘されるかんざしは先端を耳かきの形状にすることによって「これは耳かきです。髪にさしているのは、耳がかゆくなったら、いつでも使えるようにするためです」といった。
まさに「これはレジャーではなく、必要なお買い物なんです」と家族総出でスーパーやモールなどに行く人たちのようである。百合子ちゃんが百貨店やホームセンターを休業対象にしたかったのは、この江戸っ子イズムを封じたかったからではないか? と勝手に想像している。
とはいえ、百合子ちゃんも江戸のお上イズムである。「客と売り手側を規制する」という方法で庶民の行動をコントロールしようと試みるのは「無理でした」と江戸時代にすでに証明されているというのに。
そこまで、私たちに江戸っ子イズムがしみ込んでいるのなら。
外出を自粛したら「褒美をつかわす」
営業を自粛したら「褒美をつかわす」
ということにしてはどうだろうか?
そう考えたら、アベノマスクさんも「それなら、お金を出す」とドヤ顔して急に気前がよくなるんじゃないか? とアベノマスク氏のこれまでの言動を見るに思う。「補償」などという言葉を使うと「払う側が加害者=オレが悪かった」みたいな気分になるから、払おうとしないのではないだろうか?
庶民は「褒美」という名目でも、まったく構わない。もらった方としても「補償」より「褒美」のほうが嬉しいかもしれない。
江戸時代はお上のおふれの「裏」をつく行動により、文化や芸術が発展した。「てやんでぇ」と行動に出る「どちらかというと、じっとしていられないタイプ」の人の中には、クリエイティビティに溢れている人も少なくない(そう全員ではない。ただの、おっちょちょい、という人も混じっている)。
こういうタイプの人の行動を制するには、やはり「褒美」が最適だ。
そして、外出自粛が屁の河童、というインドア派としていいたい。
自分の頭の中だけ完結できる、イマジネーションとクリエイティビティで楽しんでいるだけです。我慢や苦痛は感じていません。でも、スティしていられるホームの家賃を払うためにも、ぜひとも「褒美」はいただきたいです!!
さすがのインドア派でも飛行機に乗って、旅に行かれる日を待ち望んでます。
今日も読んでくださって、ありがとうございました!