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梨の日

佐々部清監督

2020.04.13 11:23

先日、突然過ぎる訃報が飛び込んできた。


佐々部清監督の、逝去。


次の作品への意欲的に励まれていた佐々部監督。

2日前まで、普通にTwitterで呟いていたのに。



佐々部清監督とは、ほんの少しだけ、関わりがありました。

出演等ではなく、原宿のBARにて。


当時ニコ生を使って毎週金曜日に、【theaterBAR  PADDOCK】のカウンターの一席を使わせて頂き、放送をさせて頂いてた頃。

パドックのオーナーは映画が

好きで、たくさんのフィルムが壁一面にあった。

そこに、オーナーが関わった作品たちの台本もぶら下がっていた。

今思えばスゲーお宝だらけやんね。。


まだ若くて、お店を「いいよいいよ」と言って頂けるがままに使わせてもらい、放送のお客さんも来てくれたりして。

ちょっとしたオフ会のような集いが毎週の楽しみでした。


でも集まった私たちはやっぱりまだ若く。若すぎて。


BARに、お金を落とすことに欠けていた。

当時学生さんもいたしネ。


パドックの常連さんであった佐々部監督と2人でお話しした機会もあり、後にメッセージのやり取りができてから、ひとくぎ、刺されたのを覚えています。

今読み返したら、監督にとってとても大事なお店だからという愛情あっての注意、というより、お願い、だった。


もの凄く恥ずかしかった。

また恥ずかしくなった。


BARでお酒を飲むには、ちゃんとお金がないと本来は出来ないのだ。

その先に、愉しみがあるのだと。

優しい方でした。



『ツレがうつになりまして。』で存じ上げていたものの、これまたすっとぼけな私は「すごい監督さんなんだ〜」といた鈍感者。反省)

だから色んな色目抜きでお話し出来たんでしょうけど。。

めでたい性格め。



そこから佐々部清監督作品を観て、

『六月橙の三姉妹』にとても惹かれた。




今でも好きな映画ベスト10を挙げろと言われれば必ず入る作品。

「吉田羊が売れる前に使ってたんだぞ〜」的な言葉を聞いたような。

観た時は既にブレイクした女優さんになられてたので「さすが、色んな作品に出てるんだな〜」と売れっぷりに惚れ惚れしてましたが。笑)


”かるきゃん“は今でも憧れの映画食だし。

“んにゃんにゃんにゃんにゃ”の方言は今でもお気に入りだし。


純粋に、胸に残る作品だった。



『ゾウを撫でる』が渋谷のシネクイントで上映された時は観に行き、確かトークショーも聞けた。

佐々部監督に直接お話ししたかったけど、そんなタイミングもなくて…。

ポスター前で自撮りをして、SNSにアップしたんだ。


『八重子のハミング』PR活動中は、直々にメッセージを頂き、こんな監督も自ら宣伝し、足を運び回るのかと、映画への誠実さに驚いた。


またその前には、これまたずーずーしい私は『恋とさよならとハワイ』の公開のお知らせを送っていた。

それにも、ちゃんと返信を頂いてて…。

「“自主的映画”、わかりますよ。」

なんて。


いつも、どこまでも、初心と謙虚を忘れない方。



また飲もうね!

ってあったメッセージ。


しばらく連絡は直接取っていなかったものの、ツイートを追ったり、監督の存在は感じていた。


のに。


監督自らが足を運ぶPRのトークも、

これからの新作も、

お話しすることも、

もう、叶わなくなってしまった。


哀しくて驚きが隠せなくて動揺して。


思わず、当時BARでお世話になっていた方へ、連絡を突発的に送っていた。


その方自身と久々にやり取りをして、泣いてたのが最後には笑ってた。

すぐに会える状態ではないけれど、色々、全部落ち着いたら会いに行く、と決まった。


佐々部監督、こんなこと思うのは失礼なのかもしれませんが、お陰様で、再び会いたかった人を思い出し、会う気力と明るい気持ちに繋がりました。




思い出すと寂しくて哀しくなってしまいますが。


朗らかな佐々部清監督作品が、大好きなんです。


気持ちが沈んだ時こそ、また映画を観て思い出します。



どうぞ、あちらでもお元気で。

またお会いしたかったです。

ご冥福を心から御祈り致します。




かるきゃん、についてはこちらからどうぞ。

あー食べたーいっ。