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MY LOVELY DAYS !

交流戦終了!と音楽の話

2015.06.18 11:22

月曜日で、セパの交流戦が終わった。

あと一つ勝てば12球団のトップに立てるところだったけれど、そこを落としてしまうのが何ともファイターズらしい^^;

先発もルーキー、野手も賢介と翔を除けばほとんどが若い選手。

そしてなぜか苦手な甲子園とくりゃ、勝てる見込みは低かったかな。

勝っていたら勢いがついて、明日から始まるソフトバンクとの首位攻防戦に臨めるな~と思っていたけれど、まあ、負けても後を引きずらないのが若さの良いところと思って、これからの後半戦、期待して応援しようと思う!


交流戦の最後のカード(DeNA戦)で、ビックリなトレードがあった。

ファイターズからは矢貫投手と北外野手、ジャイアンツからは矢野選手ともう一人(名前忘れた 笑)

矢貫はもちろん、北篤は大好きで応援していた選手だったからショックだったなぁ。

でも、矢野謙次選手がトレード翌日から大活躍するわ、お立ち台で「ファイターズ最高!!!」と叫ぶわ、あっという間にショックも薄れて、これからが楽しみになった。

ファイターズはおとなしい選手が多いから、こんな風に活躍してパフォーマンス上手な選手がいてくれるといい刺激になりそう。


昨日今日と、野球がなくて、とても退屈・・・するだろうな、と思っていた。

わたしは、今は野球以外の趣味がないし、遊びもほとんどしない。

お酒も飲まないから飲みにも行かない。(若いころさんざんススキノった)

ファッションにも興味がないから、ショッピングにも行かない。

一度にたくさん食べられないから、グルメとか食べ歩きもしない。

外国に興味がないから旅行もしない。(行きたいところはもう行った)

そろそろ暑くなってきたから温泉にも行きたくない。

水泳が好きだったが、耳鼻科を悪くしてから泳いではいけない体になってしまった。

まったくの引きこもりちゃんだ 笑

引きこもっているからと言って、読書もしない。もう随分本は読んだ。

映画も韓流ドラマも観ない。

ビデオはERで燃え尽きた。あれは面白すぎた。

本当に、趣味らしい趣味はないし、遊びがない生活だ。


子供が生まれてから(17年前)、そして離婚してから、ずっと仕事と子育てがメインになっていた。

仕事にまつわる勉強で東京に行ったり、たくさん本を読んだりしていた時は、それがわたしの遊びや趣味に代わるものだったと思う。

でも、今、仕事も子育てもひと段落して、何でもできる余裕ができたら、何もすることがないことに気づいてしまった 笑


それで、昨日、生徒さんとのヒプノの練習の時に、わたしがクライエント役になり、「わたしの遊びって、なに?何をしていると楽しいの?」と、潜在意識にたずねてみた。


初めは、3歳から10歳まで住んでいた白石の記憶が出てきた。

その頃は、とにかく外で遊んでいた。

毎日日が暮れるまで、近所の子たちと路地で鬼ごっこやかくれんぼ、ケンパーやら十字架鬼やら、自転車であちこち行ったり、アタックナンバーワンごっこをしたり・・・

楽しかったな~~~~と思った。

そして、10歳で澄川に引っ越してきてからは、あまり外では遊ばなくなり、もっぱら友達の家で遊ぶことが多くなり、家ではラジオや音楽に夢中になり始めた。

(その頃から中一まで、夢はラジオのDJになることだった)

音楽は、一人っ子で、家で一人で過ごすことの多かった私の大親友だった。

喜びも、ワクワクも、楽しさも、せつなさも、悲しみも、憤りも、すべての感情を音楽が全部引き受けてくれた。

フォーク、ロック、ニューミュージック、クラッシックを除いたあらゆる音楽を聴いていた。

音楽がわたしを大人にしてくれたのだ。


中学3年の時に、近所にライブ喫茶があることを知り、こそこそと通うようになり、アマチュアのミュージシャンたちと知り合いになり、音楽はますます切っては切れない存在になった。

一時期は、友人のほとんどがミュージシャンだったし、前の旦那さんも音楽仲間だった。

(披露宴はさながらライブ会場のようだったな 笑)


大学に入り、サークルでようやく自分でも楽器を演奏するようになり、遊びで友達とバンドを組んでライブをやるようになった。

人前で歌うことも増えていって、歌うことも好きなんだな~~と気づき始めた。

そこまでは、ヒプノで感じていった。


でも、同時に、だんだんと音楽を楽しめなくなっていったような気がする・・・

と気づいた。

どこかで、「わたしなんて・・・」と、自分を卑下している自分がいたのだ。

バンドで歌おうとも、カラオケで歌おうとも、いつもわたしより上手な友人がいて、彼女の歌の方が好きだった。

たとえ周りの人に「歌うまいね」といわれても、全然嬉しくもないし、「全然だめ、下手くそだよ」と心の中で完全否定し続けていた。

歌っても心底楽しいと思ったことがない。

コンテストやオーディションに出ようと思ったことも、一度もない。

プロになろうなんて、夢にも思ったことはない。


そして、今は、カラオケにすらほとんど行くことがなくなってしまった。

車に乗っていても、もっぱらAMのラジオ(野球中継)を聴いている。

CDもかけなくなった。


あんなに好きだった音楽。

切っても切れない関係だった音楽。

わたしを育ててくれた音楽。


どうしてこうなっちゃったんだ????

なんだか、泣きそうな気持になった。


そう思ったとき、ふーっと、また幼少の頃の記憶がよみがえってきた。

確か、6、7歳の頃だった思う。

まだ白石に住んでいた頃、幼馴染と区民センターで行われるちびっこのど自慢にでることになった。

わたしも彼女も、歌が大好きで、いつも歌を歌って遊んでいたのだ。

わたしはアグネス・チャン、彼女は桜田淳子。

6歳のわたしは、絶対に優勝すると勝手に思い込んでいた。

幼いゆえの、わけのわからない、根拠のない自信 笑

周りの大人たちに、歌うまいね~なんて、褒められたもんだから、本当にうまいんだと思い込んでいたんだろう。

(こうして子供の頃の暗示は簡単に作られるのだ 笑)

当日、ちょっぴり緊張したけれど、いつも通りに歌い終わったわたしは、やっぱりわたしが優勝する、と信じて疑わなかった。


でも、、、、


賞をもらったのは、桜田淳子だった・・・


わたしは思い出した。

その時の、ものすごーーーーーーーーーーーーーいショックを・・・・!!!!!


もしかしたら、大泣きしたかもしれない。覚えてないけど。

なんで?なんでわたしじゃないの?

そう言ったかもしれない。覚えてないけど。たぶん、言ったと思う。

それくらい、ショックだったことは思い出した。


この記憶は、忘れていたことじゃない。

のど自慢に出て落ちたことは覚えていた。

でも、自分がものすごいショックを受けたんだ、ということは、すっかりふたをして生きてきたのだ。


それを思い出した時、あんなに音楽が好きだったのに、なぜ人前で歌い始めてからだんだと楽しくなくなっていったのかの謎が解けた・・・


人前で歌うとき、わたしの中には、「審査員」がいるのだ!

しかも、「君はダメ、落選」と言っている審査員が・・・・


そんな審査員を、ずっとずっと心の中に住まわせてきたんだな。

だから、どんなに褒められようとも、どんなに練習して上手くなろうとしても、いつまでたっても自分を認めることもできないし、楽しむこともできなかったんだろう。


思えば、心の中の審査員は、何も音楽をやっている時だけジャッジをしているわけではないようだ。

音楽の時ほどではないけれど、わたしが何かをしようとするときは、必ずダメ出しをしてくる。

もしかしたら、恋愛の時もそうかな~。

誰かを好きになっても、心の審査員が「君はダメ、落選」と言っているような・・・


ギャー――――――!!!!


なんて人生を送ってきたんだ!!!わたし!!!


セラピーや講座で、みんなに「いいか悪いか、正しいか間違っているか、自分で自分をジャッジしないで。ありのままでいいのよ」なんて、よく言えたもんだ・・・・

それは、もっともっと自分に言ってあげるべきセリフだったんだ・・・


ヒプノではそれがわかって、「もう審査員なんかいらない!!消えてもらう!!!」と宣言した。


「みんな優勝でいいじゃん!みんな素晴らしいんだよ!!!」

そう学んで、審査員には去ってもらいました 笑


そして、子供のわたしには、「歌うのって楽しかったよね。上手いとか下手とかじゃなくて、ただ楽しかったんだよね。私が歌うと、みんな楽しそうだったよね」

そう励ましてあげた。


なんだか泣けてきたなー。


このヒプノの体験が、この先のわたしの生活にどう変化を与えていくのか、遊びや趣味に影響を与えていくのか、まだわからない。

今日なんて、カラオケ行ってみるかーと思ったけれど、キャッツアイの会員証が見当たらないのでやめた 笑


でも、きっといつか、近いうちに仲の良い友人と行くと思う。

そして、好きな歌を好きなだけ、好きなように歌ってやる!!!と思っている。

(なぜ一人で行かないのか 笑 友人には迷惑かもしれないが・・・)


ヒプノって、潜在意識って、


やっぱりすごーーーーーーーーーーーーーーい!!


みんなうければいいのにーーーーーーーーー!!



ん?


なんでそれをここで書いているんだ? 笑


ま、いっか。