湘南邸園文化祭に参加して
株式会社 鎌倉設計工房
藤本 幸充
神奈川県相模湾沿岸の市町村には明治期から別荘、保養地が形成されており政財界人や文化人が滞在交流した地域である。東は横須賀三浦から西は箱根湯河原町まで広域にわたる。そこに残る邸宅庭園や歴史的建造物を活用して地域の活性化につなげるという神奈川県の「邸園文化圏再生構想」の事業として位置づけられている文化祭である。
歴史的建物や邸園の保全活用、まちづくりに取り組む多くの団体が昨年の9月13日から12月15日まで70のイベントを企画し市民の交流を図った。横浜でなくて残念だが、私が企画したのは住まいのある鎌倉市腰越を中心としたエリアについてだ。11月24日に開催され、企画のタイトルは「旧鎌倉郡・片瀬と腰越の歴史文化を訪ねる」
ここで二つの建物を取り上げた。
建築家になるきっかけとなった片瀬のカトリック片瀬教会、それに腰越の江ノ電電車通りに面する星野写真館だ。
カトリック片瀬教会は木造入母屋のお寺みたいな和風の教会で書院造の聖堂(1939年)に現代モダンな数寄屋風の祭壇が増築(1967年)されている。
小田急線の終着駅「片瀬江ノ島」は現在オリンピックに向け「竜宮城の駅舎」改築中だがこの付近一帯は明治期、砂山だったところに松を植えその後、昭和初年、一帯は山本信次郎により別荘住宅地開発が行われ小規模(と言っても150坪単位)に区画割されたが、当初から教会誘致の計画が盛り込まれ、時を待っていたこと、山本家の洋館(個人のサナトリュウムとしても機能した)が教会の司祭館として利用されている事などを参加した20名に解説。
だがこの和風の教会を設計したのはだれか?調べてみると聖堂は、今年の三月で閉館、石川県に移る東京近代美術館工芸館の設計者、田村鎮とスタッフの川崎耕二。
増築については最近まで私はA氏だと思っていた。なぜかというと増築工事が行われたころ中学生だった私はA氏が聖堂増築の青図を持っており、そこに描かれた英語のサインが実にカッコよく、図面とともに印象に残っている。だがA氏は計画から離れざるを得ず、近在の建築家松田軍平のご令嬢和枝氏がその後引き継いだとされる。
湘南邸園文化祭への参加プロセスで様々調べ、気づいたところも多い。
それは腰越の星野写真館にもある。
関東大震災後の1927年頃の建築。星野写真館は初代が日光で写真館を営み2代目が当地で開業。このころのアールデコ様式の流行、フランク・ロイド・ライト風、直線の連続模様、スクラッチタイルの使用や室内のラッカー塗装合板などが見られる。電車通り側だけこの形で奥は和風入母屋の建築、いわゆる看板建築だ。が、設計者は誰だか不明であった。
企画の開催直前にわかったのだが、なんと2代目の星野長一さんであった。(現在は3代目)長一さんは子供のころ日光で美術工芸にも触れ心豊かに育ち、その後、当時の東京美術学校にも通い絵画の研究を行っていたとの事。スケッチを描いて大工と打ち合わせた、意外であった。
また現当主の星野氏が昔、屋根使っていた瓦(緑の釉薬の洋瓦)を参加者の前に披露してくれたり写真館だけに過去の記録写真も残っており、昔の鎌倉、腰越を鑑賞する特別な機会ともなった。
今回は小田急線の片瀬江ノ島駅に集まり片瀬、腰越を約20名の方々を案内し移動の道すがらも解説に対する質問を受けるなど参加者の関心の高さに驚く。遠方からいらした方も多く、観光ルートからは外れる普段の生活文化への興味も深いものがあった。
自分の住んでいる街を見つめ続け、また新たな発見をするかもしれない。