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ʻOluʻOlu

日々の営み ハワイ島編

2020.04.15 11:13

母の手術が終わって、

先生のお話を聞くため、

15時に病院に来てください

と言われて

 

実際に先生がいらしたのは

17時だった

 

その間、母にヒーリングできた訳だけど

 

約2時間

 

私はこれくらいだったら予定がなければ

待たされることにそんなに抵抗ない。

 

本当にのんびり屋で

 

友達と遊ぶ約束をしていても

その時任せとか

時間に遅れてしまうとか

待つこととか

あまり気にならなかった

 

若い時はすっぽかされても

あまり腹を立てずにそのまま帰ってきたこともあった。

 

社会人になって

色々な常識、ルールがあって

ちゃんとしなければいけない

という意識を持たなければ

私は生活できなかった。

 

地のままではなかなか

厳しかった

 

もっと小さい頃、

 

友達と遊ぶのが楽しすぎて

門限がすぎてもそのままずっと外で遊んでいて

後で母にはっ倒されるほど平手打ちを食らったことがある

(母は気性が激しく・この部分は母に似ていいる私・カッとなると本当に気がつけばひっくり返って天井が見える、というくらいひっぱたく)

 

ハワイ島に留学した時

 

周りにいるみんなんのデフォルトがもう昔の私みたいで

(もしくはそれ以上で)

 

私は安心して

呼吸を深くして過ごしていた。

 

日本では

 

ありえない

 

と言われていた私のパーソナリティが

全く問題ではなく

むしろ感じの良いきちんとした子ね、

みたいな感じで受け入れられていた。

 

学校に行って

英語や数学、地理を勉強することも楽しかったし

もちろんハワイ語やハワイアン神話、植物を学ぶことも心が震えるほど楽しかった。

 

遊びに出かければ

12時間くらい出ずっぱりか、

もしくは帰ってこず、

ずっと遊んでいられた。

 

こんなに遊ぶ人だったんだって

驚かれたりした。

 

ああ

日本って本当にちゃんとしているなあ!

すごい!

 

ハワイ島にいて

 

理想の男性は?

 

と聞かれれば

 

1)働いているか

2)仕事を持っているか

3)やっぱり働いている?

 

しか出てこないほど

ゆるい。

 

明日、この辺でこの時間くらいに待ち合わせで!

 

と言われても

行ってみればいなくても

あるあるだし

 

周りには

魔女のようなすごいミラクルを起こしていく

人たちもいて

 

実際、シャーマンのような方達もおられた。

 

私はいたって普通に真面目に学校に通う日本人だった。

 

楽しかったな

 

 

その日々の営みは

私をゆっくりと癒していってくれた

最初の一歩

 

10年くらい前から

年に一度、10日くらいのロミロミのワークショップを受けていた時とは違い

 

その土地に住む

 

ということは

転地療法という言葉もあるくらい

影響力がある、という事を知った。

Photo by Mieko

朝日を見に行ったり 

ペレの旅路から帰る玄関と言われるKumukahi

ハワイ島の最東端、朝日が一番最初に昇る所

(今もここって残ってる?溶岩で流されてる?)

Waipiʻoのkalo畑のお手伝い❤️


オアフ島まで遊びに行ったり


これは69ビーチだったと思う


Waipiʻoの川で遊ぶ


Honoliiでサーフィンもしたね

住んでいたhiloのサーフスポット


番外編 夏休み、語学学校で知り合ったメキシコの友人のお家に遊びに行って


カポエラまでしてたね

5年前はまだ筋肉も引き締まってたわ〜


夢のような日々でした。

本当に

夢だったのかもね。

涙流さずに

やっとここまで振り返る事が出来た。

今もまだ、ここに住んでいる友達がいる。

クムもいる。

ハワイ島の私は

また別人だったと思う。

それでもこれも

日々の営みの一つ


読んでくれて

ありがとうございます😊