病気と私 20 合格
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1982年 高校生
高校へは、家のすぐ前にあるバス停を利用することができた。
福島交通の路線バスだ。
バス停は、高校の校門にもあったので、家の前から高校入り口まで、バスを使えばほとんど歩くことなく通学することができた。
受験当日の朝は、たしか兄が高校まで連れて行ってくれたと記憶している。
もしかすると、受験関係の書類を受け取りに行った時だったかもしれないが、「落ちたらどうしよう」と言った私の言葉に対し「絶対大丈夫」と自信たっぷりに返事をかえしてよこした。
私の成績は兄も知っていたので、何が絶対大丈夫なんだろうと思ったが、いい加減に言っているわけでも、気休めに言っているわけでもなく、本当に確信しているような言い方だった。
試験当日に学校で何をしたのかは全く覚えてない。
帰りもどうやって帰ってきたのか覚えていない。
そして、合格発表の日は、自分一人でバスに乗って見に行ったのを覚えている。
掲示は午前中から行われていたが、私は午後から見に行った。
掲示板の前には誰も居なくて、一人で受験番号を探した。
私の受験番号はちゃんと書いてあった。
誰もいないというのがなんとも腑に落ちなかったが、ともかく中学と家には電話をしなくてはいけなかったので、公衆電話をみつけて電話をかけた。
おそらくは「おめでとう」とは言われたのだろうが、誰が電話口に出たなど、全然覚えていない。
たぶん、嬉しかっただろうし、喜んで電話を掛けたはずなのだが、どうにもこのあたりの記憶がないのだ。
ただ、兄に「絶対に大丈夫」と念を押すように言われたことで、なんだか合格したのが当たり前のような気がして、何かを成し得たという感動みたいなものはあまり起こらなかった。
合格発表のあと入学案内の日があって、その日は父に連れて行ってもらった。
父はバイクの免許しか持っていなかったので、バイクの後ろに乗っていった。
高校入学時はたしか「SUZUKI GP125」に乗っていて、途中から「HONDA CBX125 CUSTOM」に乗り換えたのだったと思う。父の免許は小型限定二輪だったため、125㏄以上のバイクには乗れなかった。
高校では、必要書類の受け取りの他、教科書、ジャージや靴など、かなり大荷物を受け取って帰ることになった。学生カバンも、後で買いに行くのは面倒なので買っていくといって、学校で売っていたものをそのまま買ってきた。
この学生カバンは、高校で売られていたものなのに、一般に売られていたものより小さかった。
一日分の授業に使う教科書を入れるのは、とても大変だったのだ。
入学後に友達のカバンと比べてみると、あからさまに小さいのが分かるほど小さかった。
しかし、この小さいカバンは、2年生になると、持ち歩くのにとても都合のいいカバンになった。
ブカブカで大きな学生服、靴はアシックスのスポーツシューズだった。
私は、合格発表があってから入学式までの間に、いくつか自分自身に約束事を決めた。
自分のことは「じぶん」と呼ぶことにする。
優柔不断をやめる。失敗してもいいからすぐに決断する。
だらしのない人間、だと思われないようにする。
ようするに、入院していた時にスタッフに持たれていたようなイメージを一新すると決めたのだ。
しかし、登校が始まって間もなく、この気負いは、ほとんど意味のないものになってしまった。
#血友病#血液製剤#1982年