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外 あ そ び 探 検 隊

自由の刑を宣告されたら

2020.04.16 01:44

約一年前、結婚を考えていた彼女と別れた。僕は結婚を選んだが、彼女は自由を選んだ。

しかし今となっては、なぜあんなに結婚に拘っていたのだろうかと、自分自身を不思議に思う🤔


なぜなら今自分は、人生の意味を大いに感じることができているからだ。


人間は自由の刑を宣告されている。なぜなら、いったんこの世に放り込まれたら、人間は自分のやることなすことのいっさいに責任を負わされるからだ。

「人生に」意味を与えるかどうかは自分次第。


人生に意味を与えるとは、言い換えれば自己実現となる。


僕はこのブログのコンセプトとして、過去の自分に伝えたかったことを書くようにしている。


過去の苦しみや迷いそして嬉しさなどは今の誰かのそれになっていると思うからであり、


「へーこんな人いるんだな」

「自分はまだマシな方だな」

「なんとかなりそうだな」

と思ってくれたなら、発信を続ける意味がある。


今の自分にとっての人生の意味は、今の誰かのヒントになるよう

過去の経験をブログに書き起こすこと。そしてリベラルを尊重すること。


また自己実現と自己責任は、リベラルな社会の側面において表裏一体であると言える。


福沢諭吉は学問のすすめでこう記している。

「人は生まれながらにして貴賤・貧富の差なし。ただ学問を勤めて物事を良く知る物は貴人となり富人となり、無学なる物は貧人となり下人となるなり。」


スポーツ界、サラリーマン、旅人、ユーチューバーなど、どんな世界においても、こうなりたい、あんな風に生きたい、と言った自己実現のために学問に勤めたなら成功できる、と解釈できる。


しかし逆に言えば、

「貧人」「下人」なのは学ばなかった者の自己責任と意味付けられる。

学びの本質は、上級国民/下級国民に社会を分断する格差拡大装置であることを福沢諭吉は理解していた。


自己実現を多く経験する人生とするのか、自己責任の多き人生とするのか、今このタイミングでこの本と出会い、学びのチャンスを貰った気がする。