「日曜小説」 マンホールの中で 3 第一章
「日曜小説」 マンホールの中で 3
第一章
河原から、河口堰まではちょうど歩いて10分くらいの道のりだった。
芝生を歩く二人は、まるで目の見えない父親を散歩に出している孝行息子のような感じであった。
「爺さんとこんな日の当たる場所で会うのは、珍しいな」
「そりゃそうだろう初めてだからな」
「日の当たる場所で会うのは初めてか」
改めてそんなことを言いながら二人は歩いていた。
「さっきの婦人たち……」
治郎吉は驚いた。まさか目の見えない善之助から、自分が狙っていた夫人のことが出るとは思わなかった。まるで目が見えているようなものいいだ・
「見ていたのか」
「見えてはいないよ。私は目が見えていないんだから。見るはずがないだろう」
「確かにそうだ」
「でもな、治郎吉さんがあそこにいて、その前をご婦人が二人話をながら歩いていれば、当然に大泥棒治郎吉さんは何かたくらむでしょう」
まったく、暫く一緒にいるだけでここまで人の心を読むようになるとは全く思っていなかった。
まあ、そんなことを言わなくても簡単に読めたのかもしれない。泥棒などはそのようなイメージを持たれている可能性は少なくないのだ。
「まあ、狙っていたよ」
「あの二人はやめておいた方がよい。二人とも身なりはいいし言葉遣いはそれなりに良いが、まったく金は持っていないぞ」
「ほう」
「昔いい家であったが、バブル崩壊とともに金がなくなてな。もともと土地成金であったというプライドだけが残ってあとはすべてを失っている」
「なるほどな」
善之助と組んでいれば、怪しまれずにさまざまな家の情報が手に入る。なんといっても目が見えない元警察官の老人が泥棒の仲間であるなんて誰も考えないに違いない。
もちろん、そのようなことを頼めるはずがない。しかし、このようにして教えてもらうのはなかなか良い話である。
泥棒は狙いが重要である。狙うものがどこにあるか、何を倣うか、それを調べることが最も重要である。大泥棒石川五右衛門でもないものを盗むことはできない。そのように考えれば、何狙いを定め、そのある場所を知るということが泥棒にとっての仕事の半分なのである。
それ以前に、「あの人は重要なものを持っている」とか「あの人は金持ちだ」などは、非常に重要な情報であり、その中で様々なものを探すということになる。そのような事前の情報を得ることは重要なのである。
「ところで、今回は何の話だ」
治郎吉はまだ歩いている最中にそのようなことを聞いた。
「そう慌てるな」
「また幽霊話ではやっていられないからな」
前回は老人会のメンバーで小林というばあさんのところで、幽霊が出るという話を片付けてきた。まあ、幽霊などがいるはずがなく、結局は、幽霊ではなく良からぬたくらみに巻き込まれていただけなのである。
まあ、それも治郎吉の活躍とネズミの国といわれる地下の世界のつながりによって無事に解決した。もちろん善之助は全く何もしていなかったのであるが、それでも、自分が解決したかような感じになっていたのだ。
「そんなにいやでもなかったろう」
「まあ、宝石は頂いたけどな」
「結構な報酬だったはずだが」
河口堰の横にあるマンホールの出口、その横にある河口堰の何かの準備室が、二人の「仕事部屋」であった。ここと、善之助の家の居間それも夜中の居間に忍び込むかどちらかしかなかった。
「さあ、爺さん着いたぞ」
「ああ」
「で、今回は何の仕事だ」
「ああ、実は猫が盗まれたんだ」
「猫?爺さん、それならば盗まれたんじゃなくて、逃げたのではないか。それならば、迷子の猫とか書いて電信柱に張り紙か何かをした方が役に立つと思うぞ」
幽霊の次は猫か。治郎吉はため息をついた。それも「逃げた」のではなくて「盗まれた」というのである。
「いやそういうのではないのだ」
「そんなに高級な猫なのか」
「いや猫の置物だ」
「猫の置物」
置物ならば逃げることはない。まあ、爺さんが大事にしている猫の置物をわざわざ盗むような輩はなかなかいないであろう。
「どこにあったんだ」
「老人会の事務所というか、まあたまり場というようなところがあったんだが」
善之助の言うことははっきりしない。
「老人会は確か公民館の部屋を借りて週一回集まっていたはずだが」
打ちっぱなしのコンクリートの部屋に声は響く。なぜか簡易のストーブが追加されている。事務所であったからか電気が通っているようである。
「そうだ。老人会は公民階の部屋を借りて多くの人が集まる。しかし、それでも荷物があったり共用のものがあったりするから、それらを補完するためにその公民館の中に倉庫というか、一部屋借りて、その中に様々なものを片付けていたんだ」
「なるほど。そんな部屋があったのか」
「要するに物置の一角を借りていたということなんだが」
善之助は見栄を張っていたのかもしれない。次郎吉にしてみれば、以前の相談事の時に、老人会そのものを見に行っているので、そのような部屋がないことはよくわかっている。それどころか「物置の一角」すらも借りれず、何か店を借りているはずであった。その棚の中に猫の置物などあっただろうか。
「目が見えないのに猫の置物なんてよくわかるなあ」
「いや、実際に私は目が見えないからそこに行ったことがないんだよ。だから無くなったという話を聞いただけなんだ」
善之助の話を聞いてみると、一緒に役員をやっている鈴木という爺さんが、最近になって猫の置物がないことをお茶飲み話的に話しただけらしい。
そのためにいつから無くなったのかそれすらわからない。もしかしたら、公民館を管理している市の職員に片付けられてしまったのかもしれないし、鈴木さんがどこかに片付けて、無くしてしまったのかもしれない。いや、同じ倉庫を使っているほかの団体がどこかにもっていっただけかもしれないのである。
「無くなったものではなく何か新しく買ったらいいのではないか」
「それがダメなんだ。あの猫の置物は、以前この街が大洪水になった時に老人会が活躍して感謝の記しでもらったものだから、ないとダメなんだよ」
「そんな大事なものが物置に」
「物置ではない、ちゃんと借りている棚にあったのだ」
善之助は語気を強めた。その辺のところは譲れないらしい。
「いや、悪かった。大声を出してしまったな。あの時老人会で4人死んでいるのだが、その記念という意味もあるのだ。それだけに、あの猫の置物は無くすわけにはいかないのだよ。次郎吉さん、わかってくれないか」
「まあ、死んだ人の思い出ということならばわからないでもない。そのような置物ならば、過去の新聞記事か何かで出ているだろうから置物の見た目もわかるし。まあ、ちょっと調べてみるのは面白そうだね」
「面白い」
「ああ、なんでそんなものを狙ったのか、そこが気になる」
どんな理由であれ、次郎吉に引き受けてもらえた。善之助は安心して深いため息をついた。
「まあ、ちょっとだけやってみるよ」