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うさねこまったり

病気と私 21

2020.04.16 15:20

誤字脱字等、その他本文のおかしなところは、随時修正していくつもりです。

お気づきの点などありましたら、どうかコメント欄で教えてください。

よろしくお願いします。


1982年 高校生


1980年前後は校内暴力がとても盛んな時期だった。

荒れていたのは主に中学生であったが、まさにそんな時期を中学で過ごした人たちが高校生になっていた時代なので、荒れた中学校の延長線に高等学校が来たような感じだった。

(中学と違い高校は義務教育ではなかったので、あまりひどい生徒は退学なっていたので中学ほどめちゃくちゃなことにはなっていなかった)


高校入学が決まって、最初にやらなくてはならなかったのは、血液製剤を管理し、緊急時に対応してくれる病院を決めることだった。

製剤が全国どこの病院でも手配されるようになったとはいえ、怪我をしたときに傷の治療も同時に行うとなると、選択肢は総合病院しかなく、小さい時から世話になっていた病院も同じ町にあったのだが、内科だけだったので別な病院をということになったのだ。

西多賀病院の主治医から紹介状を書いてもらっていたので、それを持って総合病院を受診した。

病院では、緊急時に使用できるように製剤をストックしておいてくれることを約束し、高校側から直接連絡が入ることもあるので、対応をお願いしたいといった旨を了承してもらい、血液検査を受け診察を終えて帰ってきた。


子どもの頃に、母が病院の注射薬をバケツに氷をいれて運んでいたというのが、なんだか馬鹿げたことのように思えて、すこし腹が立った。


高校入学が決まった後、祖母の知り合いで、

(知り合いというか祖母はいろな人の世話をしていたので、家に野菜とか、お菓子屋などを持って来る人や、お茶を飲みに来る人が普段から多かった)

高校入学のお祝いをもってきてくれた近所のおじさんが居た。

そのおじさんは、「K坊が同じ高校で、今度3年になるから、面倒みるように言っておいた。任せろと言ってたんで、頼っていいからな」と言っていた。


K君は、うちのすぐ近所(歩いて数分)に住んでいた人だったが、学年が違っていたし、私はずっと入院生活をしていたので、一言二言話したことがある程度で、ほとんど話をしたことはなかった。

どんな人だったかというと、喧嘩がすごく強いことで有名な人で、昔の言葉で言えば「とっぽい」お兄さんだった。

時代が時代だったので、学校で何かあって先輩などから殴られたりすると大変だと思い、おじさんが気を使ってくれたのだ。


入学式の日、私は左足首から出血し松葉杖を使わないと歩けない状態になっていた。

バス通だったので、それほど長距離を歩くわけでもなく、教科書入りのカバンを持って歩かないといけないわけでもなかったので、足が痛いこと以外は、特に問題はなかった。

1学期が始まって最初の登校日、バスで通学するのは私だけだったので、早々と学校に到着して教室に入った。

教室は1年生1階、2年生2階とわけられており、とりあえず1階だったので、それも有難かった。そして、教室には誰もまだ来ていなくて、私が一番だった。

最初のホームルームで自己紹介をさせられ、出身中学と名前を言わなければならなかった。私は、「養護学校」というのが嫌だったので、県外の学校だしまぁいいかと思って、「宮城県の西多賀中学から来ました」と自己紹介した。

私が自己紹介を終えると、私の病気について先生から説明がされた。

「怪我をすると血が止まりにくいという大変な病気を持っているので、ふざけて絡んだりしないように、それと、病気があるので体育等は見学になるが、さぼっているわけではない」等の話があった。他に腎臓疾患の子がいて、同じように説明された。

登校初日は、春にしては暖かい風が窓から入ってくるような穏やかな日だった。

正確には覚えていないが、3時間目ぐらいだった思う。

授業が始まって間もなく、3年生の先輩方が、体育の授業か何かで外に出てきたらしく、教室の窓際を数名の先輩が通っていった。すると、突然窓の方から、私の名前を呼ぶ声がして、驚いてはい!と言って立ち上がってしまったのだが、「とっぽい近所のおにいさん」が、私に向かって手を振っていた。

そして、「こいつはな、俺ん家のすぐ近くに住んでて、体が弱い奴で、怪我は絶対にダメなんだ。俺が面倒をみてるんだから、わかってるな」と言うと、にっこり笑って居なくなってしまった。

私は立ったまま呆然としていたが、それは先生も、教室のクラスメートも同じだった。

「すいません」と小声であやまって静かに座り、授業をやりすごした。

このことについて、私に何かを聞いてくる人は誰も居なかった。


高校への通学は、みんな電車通学だったので、私は同じ町に住んでいる同高の生徒と顔を合わせることはほとんどなかったため、幼馴染がいたことにもしばらく気づかなかった。

初日に驚いたのは、先輩方がとにかく怖すぎる。

2年生の先輩はともかく、3年生の先輩方は、普通の学生服を着ている人がほとんどいない。

言っても分からないとは思うが、短ランといって、襟が低くなっていて、丈も少し短いものだ。襟の白いカラーは外されており、黒くてすっきりしている。ズボンは、ボンスト(腿から足首までやたらと太い)かボンタン(タックが3つ入っていて、太もも部は太くて足首部は細い、いわゆるモンペズボンである)。学校中の3年生が全員応援団部か・・・という感じだ。(応援団部は長ランだったが・・・)


そして、髪型はリーゼントだ。

(気合が入りすぎてパンチパーマの先輩もいたが)


受験の時に兄が言った「絶対に大丈夫」という言葉の意味が分かった気がした。

授業中に声をかけてくれただけではなく、同じ電車通学の同級生や後輩達みなに私のことを話したらしく、同級生の中には、パシリをさせられたり、カツアゲされたり、殴られたりしていた人が何人かいたが、私がそういう目にあうことは、卒業するまで一度もなかった。

余談ではあるが、同地域の高校生はみんな何処の高校に通うにしても磐越東線で通っていた。

そして、町と高校の区間は、一つの車両がその先輩方専用の車両になってしまっていて、誰もその車両に入ろうとする人は居なかった。

時代とは言え、日本中のあらゆる場所で、こんなことが普通に起こっていたのだから、今から考えると、なんだか不思議な感じがする。


学校の中でも外でも、私の顔を見かけると、いつも「よう、元気か!」と声をかけてくれていたこの先輩は、仕事の帰りに交通事故に遭い、高校を卒業した後、早くになくなってしまった。

実家で墓参りがあると、お墓も同じ場所にあるので、いつも線香をもっていって手を合わせている。


#血友病#血液製剤#高校生の私