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中山身語正宗覚弘院

生老病死ということ(令和2年4月法話)

2020.04.17 21:43

「老は、勇気・記憶・壮年・快楽・やすらぎ・訓戒を受けるという様なものを打ち壊して、怠ける・無精を持ってくる」

「老衰に襲われると、心は常に青年壮年の時分の欲や、楽しみについての思いにふけりがちだ」

「青年壮年の時代は、人からちやほやされるが、老衰するときらわれるものだ」

「人は老衰の険しい岸に臨んでいて、死風に襲われると、いかんともし難いものだ。

人生にとって、老衰は実に大苦である。

菩薩は、かくのごとく老苦を達観する」とお釈迦様が説かれています。

昔のお年寄りと、今の日本のお年寄りは随分違うように感じています。今の日本のお年寄りは若いです。

皆様には、お釈迦様が説かれているお年寄りの姿になるのでなく、菩薩様の立場になっていただきたいと願います。

「病というものは、全ての安らぎや快楽を破るものだ。

また、恨みを持つ人は、心は憂いに閉ざされて、常に恐怖におそわれている。

世の人々もまたそうだ、常に病気を恐れて、心に安楽がない」

「いかに美男美女でも、病苦に襲われれば、多くの人から嫌われる」

「病気というものは、人に苦悩と憂いと悲しみと、心身の不安を与えるものだ。

そして、青年壮年のあらゆる勢力、快楽を破壊し尽くすものだ。

菩薩は、かくのごとく老苦を達観する」とお釈迦様が説かれています。

今、世界中で新型コロナが拡散しています。

病気の正体が分からないから不安であるとか、色々と大変です。

私達は、生老病死などの苦しみある世界の中で存在しているのです。

予防に心掛けながらも、菩薩様に近づいていただきたいと願います。

「国王の怒りに触れた者は、平身低頭して財宝を献上すれば、怒りから免れることが出来る。

しかし死王はいかに平身低頭しても、財産や珠玉を献上しても、赦してはくれない」

「死というものは、ちょうど危険きまわりない山中の旅で、食料は欠乏し、人里を遠く離れて語るに友なく、

昼夜歩きづめに歩いても、どこが果てしということも分からず、昼なお暗き密林の中を燈明もなく、うろうろしている様なものだ。

そして、死は別に入り口もないけれども、自由に入ることが出来るし、

別に痛む所はないが、治療も出来ない病人の如く、別にどうということもなくて、人を恐れさすものだ。

また、死は常に多くの人々の身辺に付きまとっているものだが、それと知ることも出来ない」とお釈迦様が説かれています。

私達は死を逃れることは出来ません。

その死を乗り越えるには、今の自分の『生き様』が鍵になります。

ある方が言われています。

「人は病気や事故で死ぬのではない。寿命が尽きて死ぬのである」と。

生老病死などの「苦」を恐れるのでなく、生かされている今を有意義に過ごすことが大事です。

六道輪廻とも説かれています。

今の人間としての存在を活かし、今よりも良い世界に生まれ変われるように努力、精進すること。

それによって『死』を乗り越えることになると思います。

頑張って仏様の教えを学び、実行させて頂きましょう。