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選手リレー日記 (第1回)川西智治 Tomoharu Kawanishi

2020.04.20 02:46


いつもたくさんの応援ありがとうございます。


「選手リレー日記第1回」という事、そして今この瞬間にも最前線でコロナウィルスと闘っておられる方々が多くいらっしゃる渦中で投稿することはかなり緊張しますが、その方々のお陰で今もこのように生活をさせていただいています。

本当にありがとうございます。

僕も細心の注意を払いながら日々過ごしていきます。


常にグラウンドで魂を込めてプレーできるのも、一重に皆さんが雨、風、雪、そして夏の猛暑の中もいつも応援してくださるお陰です。


このブログで少しでも皆さんに元気がお届けできることを祈っています。


まずは東野圭吾になった気持ちで、書いてきたいと思います。


川ちゃんブログ第1話 『川西の作り方・・・その①』


僕は1987年9月25日に千葉県のおしゃれな床屋の末っ子として生まれました。

誕生時は4300gあり、赤ちゃん会では6XLサイズで生まれました。

当時の家族構成は、じいちゃん・ばあちゃん・父・母・姉・兄・川ちゃん・ドンちゃん(デカめのパグ)です^^


うちはおしゃれな床屋なので、両親は忙しく、日中はじいちゃん・ばあちゃんに面倒を見てもらってました。笑

僕が3歳の時、当時兄がものすごい泣き虫で、根性叩き直してもらうため、兄が「空手」を習うことになり、僕も一緒に「空手」を始めました。他にも少年野球・水泳などのスポーツもやり始めました。(全部兄がやってたからです笑)ですが、空手は特別でした。なぜなら、父が格闘技好きで、仕事が終わるといつも格闘技のビデオ(当時はVHS笑)を一緒に観て、そのあと、ミット打ちなどの練習をしてくれていたので、それが嬉しかったからどんどんのめり込んでいきました。

そして毎年夏になると東京武道館で空手の全国大会があり、トーナメントを勝ち進んでいくと午後に準決勝・決勝が行われます。

うちは土日も仕事で特に忙しかったんですが、僕が午後まで勝ち進んでいると、午後の決勝戦だけ母は観に来てくれるということで、それが嬉しく一生懸命戦っていました。(床屋は午前が特に忙しいので笑)

そんな感じで空手はずっと続けていました。


中学に入るとみんな部活に入るので、僕も何の部活に入るか悩みました。

少年野球もやっていたので、小学校の友達たちの多くが野球部に入りました。僕も必然的に野球部に入りたかったんですが、僕はちっちゃい頃からアトピーと喘息をもっていて(特にアトピーはひどかった)、屋外のスポーツはやめることになり、悩んだ結果そんなに強くなく空手と両立出来そうな「バスケ部」に入ることになりました。(どっちにしろ野球のセンスもなかったので笑)


ですが、バスケはめちゃめちゃ楽しくて、すぐにのめりこんでいきました^^


第2話に続く・・・


#医療従事者は僕らのヒーロー