「アーディゾーニ展」絵のある本を抱いて寝床つく
5月23日から銀座・教文館で開催されている『エドワード・アーディゾーニ展』
始まってすぐに観に行ったので、少し時間が経ってしまいましたが、興味深かった展覧会の内容を、少しでも書き留めておこうと思います。
会場へ入ってすぐ、最初に掲げられた挨拶文には、アーディゾーニ作品の収集家であり、今回の展示品の持ち主でもあるこぐま社創業者、佐藤英和さんのアーディゾーニとの出会いについて触れられておりました。
そこには、エリナー・ファージョンの「ムギと王さま」に描かれている、ひとりの女の子の絵が。この女の子こそ、佐藤さんがアーディゾーニの絵を初めて知り、そして夢中になるきっかけとなるカットだったのだそう。
それを読んで、密かに嬉しくなってしまいました。私も全く同じ、その女の子の姿に心を奪われて、アーディゾーニを好きになった一人だったからです。そしてきっと、違う年代の中で、私たち以外にもたくさんの場所で、同じ出会いが繰り返されているのだろうなと思ったのです。
会場には、アーディゾーニの手がけた本がずらり。たくさんのショーケースが会場を埋め、その中にアーディゾーニの仕事ごとに分けられた本がキャプションとともに並べられていました。あっちへこっちへと、島から島へ渡るように、アーディゾーニの半生を作品で辿ってゆきます。目移りしてしまって大変。多作であることにも驚きましたが、最初に作品を発表した頃から、一貫して絵のタッチが変わっていないことにはもっと驚きました。初期の頃から、しっかりとしたスタイルが出来上がっていたのですね。
そして、一番印象深かったのは、一緒に仕事をした人たちが皆、口を揃えてアーディゾーニのことを「物語から一瞬を切り取る天才」と言っていたことです。おそらく、多くの挿絵をアーディゾーニ自身が場面を選んで描いていたのだろうと思います。児童文学は、基本的には文字だけで物語の世界に想像を馳せながら読み進めていくものです。そこに添えられる絵は、その想像を助けるだけでなく、塗り替えてしまう危険性も含んでいます。それを一任するということは、作家が画家に大変な信頼を置いていることに他なりません。
それに応えるようにアーディゾーニは詩の仕事のエピソードの中で、このような事を述べていました。「素晴らしい詩を読むと、はっきりと絵が浮かんでくる」と。それは、アーディゾーニもまた、作家に対しての敬意を常に抱いている事をよく物語っています。
たった一つのカット。それは、アーディゾーニがまぶたの裏に見た光景なのですね。物語の中に閉じ込められた幾千の要素を、一瞬で選び抜く才能。そうして、それを見事に描く才能。描かれた絵の中では、時間は完全に停止しており、その前もその先も描かれてはいません。けれど、物語の中の幾千の要素へ向かって開かれた扉、そんな役割を果たしているように思えてなりません。アーディゾーニが書いたのは、物語の場面ではなく、物語の世界なんだなと、思うのです。
私が一目で心奪われた本を読むあの少女の絵。あのカット一枚で、彼女にとって本がどのようなものであるか、どれだけ楽しく、どれだけ親密か、どれだけ夢中で、どれだけ幸福な時間であるか。それらが、不思議なほどに伝わってきます。その絵が描かれたその本を、何人の人たちが少女と同じように夢中になって読んだことか。
この展覧会では、日本では知られていなかった沢山のアーディゾーニの仕事を見られると同時に、これまでに佐藤さんが行ってきた活動内容にも触れることができます。ちなみに、佐藤さんはアーディゾーニ作品を一点を除いてすべて集められたそうです。入手できていない一点がどのような本なのかもとても気になります。そして、まだまだ未邦訳の作品が沢山あることを残念に感じるというよりも、こんなにも楽しみが残っているのだな、と今後のこぐま社さんについつい期待もしてしまいます。
家に帰り、真っ先に読んだのはファージョンの『マローンおばさん』でした。会場でも紹介されていた詩を読み返したくなったからです。「わかちあう愛」を持つマローンおばさんはファージョン自身に似ていると言われているそうです。そんなマローンおばさんの中から、アーディゾーニへ捧げられた詩。ファージョンのアーディゾーニへの敬慕の念や、二人の間柄がとてもよく感じられます。そして、多くの読者がアーディゾーニに抱いた気持ちの代弁のような詩ですから、本編と一緒に、何度でも読み返したくなるのです。